交流の広場

老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿C】医師 菅原一晃シリーズ > 【寄稿C】 No. 12 『大河ドラマ「どうする家康」と過去の救済』  精神科医 菅原一晃 

【寄稿C】 No. 12 『大河ドラマ「どうする家康」と過去の救済』  精神科医 菅原一晃 
時代への提言 | 2023.07.31

©︎Y.Maezawa

大河ドラマ

「どうする家康」

過去の救済

ベンヤミン的視点でみること

精神科医

菅原 一晃

私は歴史が好きでした。中学校、高校生の頃から一番好きな科目が日本史、世界史で 理系では受験科目で使えないことを残念に思っていました。
現在も様々な日本史、世界史などの本を 気分転換にぱらぱらと読んだりしています。ただ、あくまで力が抜けた趣味みたいなもので 詳しくはないです。一応前提ということで。

©︎Y.Maezawa

で、2003年の大河ドラマの「どうする家康」の話であります。


これは賛否両論のドラマですね。2022年の三谷幸喜脚本の「鎌倉殿の13人」があまりにも評判が良すぎて、ちょっと比べてしまうと うーん という点が多いのは仕方がないか と思います。


この家康のドラマの問題点は 多々ありまして 例えば 若い織田信長の城の 小さな城である清須城が 中国の紫禁城や大阪城のように 大きなものとして見えたり…幼い頃の信長の妹と家康が 恋愛関係にあったような描写であったり…と 視聴者に 「誤解」を生じさせるような演出が あまりにも多すぎるのです。


また 家康が あまりにも優柔不断、泣き虫で弱々しすぎて とてもこれでは 天下を取るどころか 三河の国の統治すらできなさそうな感じで 20代はおろか 30代半ばになっても 一向にその様子が変わらないのです。


また 歴史上 家康や信長がピンチを迎えながら 如何に その状況を脱したか…その能力や戦術眼などに着目するところが ナレーションで終わり その代わりに 歴史上 有名ではない家臣や 家康に敵対していた人物、それどころか 名もない人物に 焦点が当たり過ぎ そこに1話のかなりの部分が使われる…という具合です。


「どうする家康」というタイトルの割に 家康がどうやって 問題やトラブルを切り抜け 成長し、家臣たちの信頼を得たか ということが 全く見えてこない、名前倒しのドラマになっている と言われても仕方がないでしょう。

©︎Y.Maezawa

と このドラマに対して かなり厳しい言葉を 書き連ねました。
歴史が好きな あるいは 詳しい視聴者にとっては 余計に 見難いものになっている と思います。

ですが…敢えて擁護しますと このドラマは それだからこそ 違う点が見どころでもある と言えるのです。

先ほど 毎回毎回 スポットが当たるのが あまり知られていない人物や家臣、対立者、名も知らぬ人など と書きました。徳川家康となれば その後 260年にわたる江戸時代を作った幕府の祖ですし、多くの英雄譚が作られています。仮に 「10の事件」などを描いたとして 結構 有名な事件が多かったりしますね。

一方で このような家康の 「英雄譚」 というのは 現代の私たちの視点 つまり 江戸時代の徳川幕府から さらに明治維新、太平洋戦争から現代の 世界や歴史を知った上での視点 であるわけです。
ある意味で 徳川家が勝者であることを 知っている人間による歴史なわけです。
そこには 都合が悪い事実なども 捨象されているかもしれないのです。実際に 例えば 姉川の戦い、長篠の戦いなどは 実際よりも 織田・徳川が好印象を持つように 「勝者の歴史」 として伝えられていることが分かっています。

©︎Y.Maezawa

更に もう一点、現代の私たちが このような歴史的ドラマを見る問題点があります。


私たちは SNSやインターネット検索など、多くの電子技術を手にしています。「情報」 というのは すぐ調べられる というのが 前提にあります。地理的なものなどは その最たるものであり、Google mapなどを使ったり、ストリートビューなどをさらに使って 遠く離れた世界のことも 知ろうと思えば 知ることができてしまいます。


しかし 当時は 当然ながら インターネットなどの通信機器はおろか 自動車も鉄道もありませんし、そもそも 地図自体がありません。時計もありません。敵の陣地の他、自分たちの領土のことすら 把握が難しい と言える時代です。

その中で 生き、さらには 対立する武将を倒し、裏切り者を粛清しなければならない時代でした。あまりにも、何をするにも見通しが悪すぎる時代と言えると思います。

このドラマでは 各々のシーンが 結構 矛盾があったりします。実際には 時代考証は きっちりしていて 細かい歴史マニアには 評価されている面が多いにも関わらず…です。


一言で言えば 映画の言い方をすると カメラを「引き」ではなく「寄り」が多い。というより「寄り」を多用している し過ぎているのです。

必然的に 多くの登場人物は 全体像を全く捉えられていないので 不安や猜疑心などは 強くなっているはずです。それによって 矛盾のあるような発言や行動も 増えてくるのです。

歴史、特に 「勝者の歴史」、その後の出来事を知っている者が 後から観る歴史というのは そのような細かい部分を捨象して なだらかにし 統一性を持たせている歴史 と言えます。


例えば 2022年の大河ドラマの 「鎌倉殿の13人」 に関しては ストーリーテラーとしての脚本家 三谷幸喜が あまりにも素晴らしすぎました。

鎌倉時代は この戦国自体と比べて さらに資料が少なく、歴史の記述も 矛盾したような資料が多く、さらに 何が正しいか 分からないことが多いはずです。それを ほとんど遺漏がない形で スムーズに繋げ、さらに 矛盾している資料、解釈が難しい資料は、どちらの解釈でも可能なように脚本をつくってしまう…という 天才的な台本でありました。これぞ まさに 「勝者の歴史」の完成版 とすら言えるものでもあります。


それと比較して この「どうする家康」は 「寄り」の取り方で 個人にスポットを当てすぎています。家康も 全然成長しているように見えず、混乱して 良くわからない判断をしている あるいは 判断すら全くできず 信長や家臣団など 周りに振り回されているようにしか見えません。「どうしようもない家康」と言えます。

©︎Y.Maezawa

この脚本家が 意図してかどうか は分かりませんが このような観点によって ある種 ドイツの思想家である ヴァルター・ベンヤミン が意図したような 歴史の見方が 可能になっている と言えるのです。

ヴァルター・ベンヤミンは 第二次世界大戦前に生きた ベルリン生まれの思想家であり ユダヤ人の出自もあり この時代は 不遇なものでありました。結局 最後は スペイン国境から逃げようとして 足止めをくらい 自殺してしまうのです。この直前まで 「歴史」について 考えていました。他にも メディア論や言語論、ロマン主義、都市論など 様々な重要な仕事をしていますが 私が最も好きなのは ベンヤミンの歴史論 であります。それは 先ほど私が書いた「勝者の歴史」を批判するもの になっています。

歴史を語る上で 大事な役割をしたのが 哲学者 フリードリッヒ・ヘーゲル です。


ヘーゲルは 近世哲学の完成者 として 知られていますが 「ミネルヴァの梟(フクロウ)は黄昏に飛び立つ」という言葉を 残しています。歴史を語る上では 後代の人間が語る…それは 必ず 正しい歴史である ということです。そこにあるのは 過去の歴史は 現在に繋がり 過去を乗り越え そして それは未来に繋がり 現在を乗り越える という 進歩史観 です。


そこでは ヘーゲルは 「世界精神」が動いている と考えました。歴史の主人公は 「世界精神」であり、それが 発展するように 世界史も動いている と考えるわけです。

例えば ヘーゲルは 同時代のナポレオンの活躍を見て 「世界精神」になぞらえたことが 知られています。ある時代には カエサルが 時代を下って カール大帝が そして 神聖ローマ皇帝 フリードリヒ2世が ルイ14世が そして ナポレオンが…それぞれ 「世界精神」を体現している と考えるわけです。
その意味で この視点に立てば 完成された家康の物語で言えば 家康が 「世界精神」を体現し 江戸幕府に繋がっていく。幕末であれば それが 「明治政府」や それを作った「長州藩」 だったりすることになるでしょう。

©︎Y.Maezawa

さらに この 「精神」を 「物質」に 置き換えたのが カール・マルクスです。

マルクスは 物質的なものが 時代を動かしていく と考えました。資本主義のような生産様式から やがて その資本主義の矛盾故に 共産主義に変っていく としたわけです。
ヘーゲル・マルクス主義 と呼ばれたりもしますが、いずれも 「勝者」が代わって 時代を動かしていく と考えているのに違いはありません。


ヴァルター・ベンヤミンは この マルクス主義 に影響を受けています。というより 第1次世界大戦を経て 世界恐慌にも見舞われるヨーロッパにおいて 資本主義に疑問を持たず その代案としての共産主義や その思想的バックグラウンドであるマルクス主義に注目をしない人間など 受け入れ方の多寡は 別にしても いなかったでしょう。


しかし ベンヤミンが注目したのは 決して 勝者 ではありませんでした。勝者がある中で 忘れ去られてしまう歴史、「敗者の歴史」 と言えるものでありました。


ベンヤミンは 『パサージュ論』 という膨大な資料集 及び それへのメモ、感想集 というようなものを作成していますが、そこでも 例えば 当時流行の最先端であったアーケード街(=パサージュ Passage)の至る所に かつての それぞれの人間の夢、欲望、場合によっては ひっそりと心の奥にしまったような憧れや思いなどが反映されていることを 発見しました。


歴史でも同様であり 歴史が進歩していく中で 埋もれてしまうものや埋もれていることを発見し、歴史の「進歩」の名のもとに 多くの死骸、敗者が積もり積もることを言っています。いわば 歴史 というのは 死者が多く堆積しているカタストロフの歴史であり、進歩していると思えば思うほど その残骸、死体、屑が積み重なっているだけである ということです。

ベンヤミンは その中で 「屑拾い」 という 誰も注目しないものやことに 興味、注目を当てる仕事を 自覚的に 行っていきました。アーケード さらには 歴史の屑拾い といえる作業です。

その意味で この「どうする家康」は 死んでいった人間たち、名もなく消え去っていった人間たち を掘り出す作業 とも言えるのではないか と思います。
それぞれの人物に注目して 「寄る」ことで 感情移入をしやすくする点も 見逃せません。ベンヤミンも(歴史の)屑拾いの際には 感情移入もまた 重要な要素である と述べているのです。

©︎Y.Maezawa

家康が 最初に結婚した築山殿を このドラマでは 有村架純が演じていました。
築山殿は 劇中 自害するわけで 非常に悲壮なシーンでありました。この人物は のちに 「悪女」 とされています。織田、徳川を裏切った ということで 自害をしなければいけない状況に 追い込まれるわけです。


実際のところは どういういきさつでそうなったか は分かりません。恐らく 最近の研究などをみると 築山殿は 「どうする家康」よりも 実際に 家康を裏切っていた可能性が高く 家康から それへの処罰の意味も 大きかったように思います。

©︎Y.Maezawa


しかし このドラマでは 江戸時代以降に 築山殿が悪女 とされていた一方で 同時代の資料からは その記述がなかったことなどから あくまで その評価は 後世が作ったもの まさに 「勝者の歴史」によるもの との考えを採用しています。

そして 築山殿は 徳川、織田、北条、武田など 周辺の国が 手を取り合いながら 戦争をせずに 経済的に助け合う国を 作っていくことを提案し、それが難しくなれば 自分が責任をとって自害する、家を護るためには仕方ないし、後世 悪女 と言われても構わない…という態度の人物として 描かれています。
何故 悪女 と言われていたか…それが 後代に言われるようになったのであろうか ということに答えを出しながら 「悪女 と言われても決して構わない、なぜなら 本当のことはあなた(家康)の心の中にあるのだから。それで十分だ」と述べています。

©︎Y.Maezawa

「勝者の歴史」に埋もれてしまったこと、それで 失われてしまったこと、「悪女」と言われてしまったこと を掘り出し、屑拾いをし、意味を与えること。
このドラマは それに成功している とさえ思いました。
ベンヤミンは このような作業によって 「救済」が与えられる と考えていたと思います。

一人一人の 名もなき人物に 視点を向け、その人物の 後世作られた評価と別の意味を 「屑拾い」をして 探し出し 救済すること。
このドラマは このように考えることで また 別様に 見えてくるのではないか と思いました。

一人一人の人間 というのは 「世界精神」 の糧になるためのものではありません。
喜怒哀楽を持ち 多くの人間と関わる出来事があるはずです。その意味で このドラマは 意義あるものではないか と考えながら 今後も 観ていこうと思っています。

(編集: 前澤 祐貴子)


* 作品に対するご意見・ご感想など 是非 下記コメント欄にお寄せくださいませ。

尚、当サイトはプライバシーポリシーに則り運営されており、抵触する案件につきましては適切な対応を取らせていただきます。

 
一覧へ戻る
カテゴリー
© 老レ成 AGELIVE. All Rights Reserved.
© 老レ成 AGELIVE. All Rights Reserved.

TOP