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【寄稿C】 (1) 『「ペスト」から考えたこと』 精神科医 菅原一晃
時代への提言 | 2020.08.21

中世の面影を残すトレドの町


『ペスト』が問いかけるリアリティ 

何が抽象で、何が具体なのか?


菅原一晃

前橋赤十字病院/精神科医師


カミュの『ペスト』は私にとって特別な存在です。

私が一番好きな作家はフランスのアルベール・カミュです。その代表作『ペスト』が目下のコロナウイルス禍で売れているそうです。カミュのファンとしてはやや複雑な思いもしますが、ともかく嬉しいことではあります。『ペスト』は文字通り感染症のペストのことです。ヨーロッパの中世から近世にかけて膨大な人々を死に至らしめました。私はこれまでドイツ語でもペスト禍の物語をいくつか読んできました。感染症と医学のつながりを考える上で、ヨーロッパにおけるペストの歴史が重要だと思ったからです。その中で『ペスト』は私にとって特別な存在です。

物語の粗筋を少しだけ紹介します。

アルジェリアの街オランがペストに襲われ、閉鎖されます。ロックダウンですね。オランの街の人々は取り残され、毎日、新聞で報道される死者数に怯えながらも、懸命に生きていきます。ペストはいわば舞台装置です。その舞台の上で、カミュは社会が持つ不安や連帯、恒常性を浮かび上がらせながら、個々人の信念にスポットライトを当てます。例えば、最重要人物の医師リウーは職務に対して誠実に臨む者として描かれます。その他、恋人と再会するために脱出を試みる記者、小説の序文を直し続ける老吏、疫病を運命として受け容れる牧師、混乱を喜ぶ元犯罪者等、多彩な生き様が克明に描かれています。

多彩な生き様を通してカミュが見据えているのは、人間存在の「不条理」です。その象徴がペストという疫病ですが、ペスト以外にも(執筆当時のアルジェリア)戦争や、相容れない政治的イデオロギーの対立も不条理の一種です。カミュのもう一つの代表作『異邦人』が不条理と相対した個人の生き様に主眼を置いているとすれば、『ペスト』では不条理と向き合う人々の関係や社会に焦点が当てられています。

私にとってとくに印象的だったのは、医師リウーに投げかけられた「抽象」という言葉です。

オランの街はペストのため隔離され、外部とは人との交流ができない状態になっています。当時、アルジェリアはフランス統治下にあり、本国フランスに家族を残してきた人物も多数いました。誰も街の外に出られず、外部の人に会えない状況でそのような人々から、「あなたたち医者がやっている隔離政策は抽象的な考えにすぎないが、家族に会いたいという気持ちや愛は切実で具体的だ。だからなんとか会わせてほしい」と、リウーは訴えられるのです。しかし、医師であるリウーは、患者の往診や報告を受ける立場にはいますが、隔離政策などの行政的な対応には関与していません。また、リウー自身も病気の妻を街の外に転地療養させています。そこでリウーも色々と考えることになりますが、それについては直接『ペスト』をお読みいただくこととして、ここでは省略します。

私から見ると、街に爆発的な感染症の病気があり、それを恐れて隔離政策を行うということは、決して「抽象的」なことには思えません。病気に対しては具体的に対応をし、また病気自体も「ペスト」という名前を持った具体的なものであるわけですから。他方、私たち人同士の愛情や結びつきは「愛」や「友情」と呼ばれていますが、確かな実感を持っているようでいて、その実は分からないものではないかと思います。目には見えないし、いつか無くなってしまうかもしれません。実際、リウーに「愛」の名を語った人物も、街からの脱出を試みましたが、失敗を繰り返すうちに愛情自体が薄れていきました。

何が「具体」で、何が「抽象」なのか。今回、コロナ禍の中で『ペスト』を読み直すうちに、そのことを強く考えさせられました。考えたことの一端を少しだけ書いてみます。

カミュが『ペスト』を書いた第二次世界大戦後の世界と今日の世界とを対比させてみますと、大きな違いが二つあります。

一つは、医学の認識の違いです。つまり、病気の捉え方の違いです。

当時はまだウイルスのことはよく分かっておらず、遺伝子構造も不明でした。もちろん、感染症の原因が細菌などの物質的な基盤だということは分かっていました。19世紀後半にはフランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホらによる病原菌の細胞の可視化が成功し、20世紀前半にはペニシリンなどの抗生剤が開発されています。しかし、人を含む動物や微細な生物までもが共通の遺伝子構造をしているという認識はありませんでした。「病気」と言った際、現代であれば、何らかの病原菌やウイルスによる私たちの遺伝子を含んだ生命体への攻撃という構図は直ぐに浮かびますが、当時は決してそうではありませんでした。

また、Twitterなどでは『ペスト』では手洗い指導もきっちりと行われていないと指摘されています。しかし、医療界では19世紀後半になっても、手から細菌が感染したり、細菌が病気の媒体になったりすることは明確には分かっていませんでした。現代では当たり前のことでも、19世紀から20世紀前半の時代ではそうではなかったのです。

もう一つは、リアリティの感じ方の違いです。「愛」や「友情」といった観念をどこまでリアルに感じられるかの違いです。

今日の社会はかつてないくらいに物質的には満たされていますが、物質的な豊かさがどんどん増していくのは近代社会の本質的な特徴です。大まかにいえば、20世紀の初めの頃まで、ナポレオンの戦争から百年近くを経て、科学技術が発展し、物理や化学も精緻化され、そのまま発達を遂げることで世界が豊かに幸せになれると信じられていました。

もちろん当時、人間の科学的説明や社会の合理化に反発するかのように、夢や非合理、非日常の世界に焦点を当てた理論がありました。前世紀からロマン主義は通奏低音として常に存在していましたが、そこに無意識を扱う精神分析や、直観や体験を主題として扱う哲学(例えば現象学など)が加わりました。ただし、それらは時代の主流ではありませんでした。

しかし、二度の世界戦争が楽観的な世界観を打ち壊します。世界が科学技術の発展と共に良くなっていくという進歩史観はもはや成り立たなくなってしまいました。カミュの小説はそのような時代を背景にして書かれています。

カミュのように、個々人の生き方や存在、いずれ(病気や戦争などで)死んでしまう生を主題として描いた作家たちは「実存主義者」と呼ばれました。実存主義は精神分析や現象学の精神を受け継いでいます。感情や生き様などが最もリアルに感じられた時代だったのでしょう。だからこそ、離れ離れになった人同士の愛情が抽象的ではなく、何の疑問も持たずにリアルに感じられたのだと思います。

翻って今日の私たちはどうでしょうか。何を抽象的と、何をリアルと感じているかです。インターネットのような通信手段が発達し、また死んだ人間の声を蘇らせる人工知能技術も登場しています。デジタル化の中では、生身の身体や感情以上に、バーチャルなものにリアリティを感じる人々が増えています。

超高齢社会の現在、元気な高齢者があふれています。彼らや彼女たちが若い頃と今日とではメディア環境が大きく異なりました。会いたい人がいれば手紙を書き、連絡をとり、電車や自動車で会いにいくという行動パターンから、SNSですぐに会うという行動パターンに変わりました。身体が弱った時には遠方の人に会いに行くのを諦めざるをえなかった世界から、メディアを使用することでいつでも会える世界に変わりました。このコロナウイルス禍で考案された「リモート帰省」「オンライン飲み会」「リモートお盆」のように、「物理的な距離をメディアで埋める」という流れはますます加速するでしょう。

ここまでは違いについて書いてきました。とはいえ、忘れてならないことがあります。それは、今回のようなコロナ禍において、多くの人々が「恐怖」を共通にリアルなものとして感じたことです。それは、病気にかかる恐怖、経済的な恐怖、自分の国に帰れなくなる恐怖など色々です。もちろん、テレビなどのマスメディアやネットの情報を通じてのことですが、それでもウイルスに対して、受け手である私たちの身体や人生の一回性がそう感じさせずにはいられないからでしょう。

つまり、メディアの情報を受けとる私たち自身は、身体を備えたウイルスと同じ生き物です。生き物である限り、デジタル情報との付き合い方には身体的な制限があるということです。

身体的な距離を広げてくれるデジタル化とリモート化は避けられません。しかし、それと同時に、身体的に接近して同じ時間や場所や感情を共有するということも、生き物である限り捨てられません。インターネットで観光地を回ることは、それが物理的にできない寝たきりの人にとっては希望となりますが、歩いて回れる人にとってはそれだけでは満足できないものです。

これからの時代、何が大切かを考え、何ならば必ず人と会わなければといけないか、何ならばオンラインでも済むかを選り分けること、つまり、オンラインとオフラインという複数のリアリティを上手に使い分ることが求められます。だからこそ、いま自分にとって何が大切かをじっくりと考えることが必要なのだと思います。

カミュの『ペスト』は、デジタル化される超高齢社会において、これからの人の生き方をあらためて考えさせてくれる小説です。別の読み方もあるでしょうが、一人でも多くの方に読んで、考えていただければと願っています。


(編集:前澤 祐貴子)



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