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『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ ⑨:「荷田春満(かだのあずままろ)が真淵たちに伝えたもの」
交流の広場 | 2022.08.31

©︎Y.Maezawa

『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ

荷田春満(かだのあずままろ)が

真淵たちに伝えたもの…

万葉人(まんようびと)になりきれ 

 

真淵が春満に初めて会ったのは、真淵 26歳、浜松の木村玄竹亭での和歌会の席でした。

11歳から教えを受けていた春満の姪、杉浦雅子(真崎)と和歌会を主催していた雅子の夫、杉浦国頭(くにあきら)の仲介によるもの と推察できます。その後、真淵が、伏見に出て正式に春満に入門したのは、31歳の頃 とされています。

そして、本格的に伏見の春満の許に上京したのが 37歳の頃でした。

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真淵は 万葉風 (※1) の和歌を多く詠みました。

※1 万葉風(万葉調): 万葉集の歌の特色をなす調べ。

現実生活における素朴な感動、強い実感を素直に表現し、格調は雄健でおおらか。五音七音のリズムが強調される五七調を主とし、短歌では二句切れ・四句切れが多い。真淵はのちに「ますらおぶり」と称した。

それは、『万葉集』を研究し味読するのに、横から眺めるのではなく、『万葉』の世界に直に分け入り、『万葉』風の歌を自分も詠み、『万葉』風の書き方をしてみて 万葉人になりきろう とした のです。

こうした考え方や万葉人が使っていた万葉仮名 (※2) で和歌を書くという試みは、真淵の師であった春満が試み 勧めたものでした。

真淵たちは、それを実践したのです。

※2 万葉仮名:上代(奈良時代以前)の話し言葉の音を写した文字。

(例)「阿米都知能」と書き 「アメツチノ」(→天地の) と読む。

©︎Y.Maezawa

こういう若き日の体験から、真淵は 69歳の時 『にひまなび』で、

万葉集を常に見よ。

且つ我歌もそれに似ばやと思ひて、

年月によむほどに、

其調も心も、心にそみぬべし。

と 力説するのでした。

(編集:前澤 祐貴子)

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浜松市立賀茂真淵記念館 

URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp

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