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【寄稿A】〈16〉第8部 自宅死について再び考える 《その2》 白梅ケアホーム 本郷輝明
交流の広場 | 2022.08.31

©︎Y.Maezawa

〈16〉

第8部 

在宅死について再び考え

その2》 

壮年期男性を家で看取った

自主映画の感想


白梅ケアホーム 

本郷輝明

その1」では 86歳の男性TIさんが終末期を迎えるにあたって、奥さんが在宅での看取りを選んだ経過を述べ、コロナ禍において自宅で亡くなることの意義について考えてみた。

今回の「その2」では、がんに罹患した壮年期男性を家族で看取った自主映画の感想について述べてみたい。

なお、次回予定の「その3」では、小児がんの子どもの終末期を在宅で看取る という決心をされた両親の願いを支えた小児科医としての私の経験について述べたい。

©︎Y.Maezawa


4年前の2018年4月7日の土曜日、地域情報センターで開かれた

生死 いきたひ」のドキュメンタリー映画(長谷川ひろ子監督

を観た。

「命のバトン」という副題で、夫(顔面腫瘍の再発、47歳で死亡)を在宅で家族と共に看取った映像を映画にした作品である。

監督の長谷川ひろ子氏は、夫の死の3年後に記録を編集し映画にしたとのこと。その後は記録映画と監督本人の講演のセットで公開上映している。


自主上映会を企画し紹介してくれたのは 私が勤めていたケアホームの介護士さんである。私の妻に 映画を見に行かないかと誘ったところ、「そんな映画は見たくない、夫が亡くなる時にそれを映像に撮るより手を握っていた方が どれだけ大切かわからないのに」と言ったので 私一人で観に行った。亡くなる瞬間の映像はなかった と記憶しているが、観て とても考えさせられた。今後どう在宅で看取るか の示唆もあった。

©︎Y.Maezawa


この映画は、夫であり父親でもある壮年期の人間を 子ども4人と妻が自宅で看取った物語であり、生活の中で死を迎えることの大切さを訴えていた。

長谷川監督は上映後の講演で「家という空間がもたらすエネルギーがある」と話した。

家の持つエネルギーがあるのは私の看取りの実感からも確かだと思った。

また、「生まれて抱かれ、抱かれて死ぬ」ことも当たり前の人間の姿としてあっていいのではないか と話した。

「生まれて抱かれ、抱かれて死ぬ」ことは長い人間の歴史の中で続いていた生死の本来の姿であるが、最近の生活環境の中で徐々に失われている感覚であると感じた。誕生した赤ん坊が抱かれるのは自然な姿である。それに対して大人や老人が死ぬ前(そして死ぬ時)に抱かれることはほとんどなくなった。死んでいく人を抱くという行為は自然なこととはなっていない。これは病人あるいは老人を自宅ではなく医療機関(病院)や介護施設(特養)などで看取る結果起きた現象だと思う。「生まれて抱かれ、抱かれて死ぬ」というのは現在に通じるユニークな考えであり、そして自然な感情だ と感じた。

©︎Y.Maezawa


さて、この映画を見て私が考えたことを5点 述べてみたい。


1点目は 臨終(臨命終時という言葉から来たと話をしていた)はしっかりアレンジしないと「より良い臨終」が作れないということだ。

家族にとっても、亡くなる本人にとっても しっかりとしたアレンジがあって初めて 人生の臨終の時間の大切さが後々まで残る。誰かがしっかりアレンジをする必要がある と思った。ただし アレンジしてても 亡くなる時刻まで予測するのは 医師でも難しい。


2点目は 「映像を撮る」ことと「自主映画を作る」ことのあいだには「質の転換」があるということだ。

私にはそれが見て取れたし、映画を作る意図もはっきり伝わった。

この映画を作り始めようとするまで3年かかったそうだ。当初は病気から生還するする夫の姿を撮るつもりだったが、徐々に意図が変化していって 結局は亡くなるまで(そして亡くなった後まで)映像を撮ることになった。しかし この意図の変化に関わらず 長谷川監督は心を打つ映画を作り上げた。


3点目は 「日常の中に死がある」という感覚が必要であることだ。

特に 家族の中に 病人や老人がいた場合に その自覚が大切になる。そしてその自覚があれば 大切な時間を失わずに済むことになる。


4点目は 生前の49日という見方だ。

亡くなってから49日というのがあるが、生前(亡くなる前)の49日も大切であり、この生前の49日が 母と子の出会い直しを生み、本当の夫婦にしてくれた と長谷川監督は語った。

これを聴いて 私は驚いた。私の母も危篤になってから亡くなるまでが 49日だったからだ。この生前の49日の間、母のことが気になり、私と母、私と父のことを考え続けた記憶がある。

勿論 臨終の時点の予測は 経験のある医師でも難しい。そうであれば厳密に決めなくても、今が亡くなるまでの49日という期間に当たると思えばよいのではないか。そう思えば出会い直しの49日になるだろう。


そして 5点目は 亡くなる人から残された家族にエネルギーが受け渡されるということだ。

看取りとは 命のバトンを受け取ることであり、亡くなっていく人が放出するエネルギーを家族はしっかりと受け取る必要がある という監督の話は印象深かった。

それを聴いて 私は当初、夫が47歳という若さで亡くなったので そう感じたのかもしれない と思った。しかし、亡くなるということは、その人が保持していた命の残存エネルギーのすべてを放出することだ というのは、老人に接していて 私も実感としてもっている。

90歳で亡くなる方なら 90年生きてきた「重さのエネルギー」があるように思う。このことを次世代の家族に意識して伝えていく必要があるのではないだろうか。

コロナ禍では 亡くなる家族と会えない悲劇が繰り返された。これでは亡くなる方も、また残された家族も エネルギーの受け渡しができなかったのではないか と悔やまれる。今後は一人でもそのようなことがないようにもっていきたいものだ と思う。

©︎Y.Maezawa


なお、映画の自主上映は 2015年から年間100回ほど実施され、2022年の現在も継続している とのことである。

©︎Y.Maezawa

(編集:前澤 祐貴子)

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