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【寄稿B】 ❾『ひとりになるということ』 西遠女子学園 学園長 岡本肇
時代への提言 | 2022.06.11

©︎Y.Maezawa

ひとりになる ということ

西遠女子学園 学園長

岡本 肇

「禍福はあざなえる縄の如し」というが、幸・不幸は交互に来るものではなく、続けて来るものらしい。昨年は自分にとって 悪い方の当たり年だった。

コロナ禍の中で義兄や義弟、頼りに思っていた若い知人が相次いで亡くなった。それだけでなく 五十年共に生きてきた妻にも先立たれてしまった。彼女は十五年来 ガンの再発と闘ってきたので 覚悟はしていたが 「まだ大丈夫」と自分で勝手に決めていたので 喪失感はやはり大きい。

©︎Y.Maezawa

昨年八月に医師から 「もうこれ以上の治療の方法はないから」と ホスピスか緩和ケア病棟への入院を勧められた。しかし 「家で最期を過ごしたい」という希望なので 終わりの二ヶ月は家で息子と二人で看取った。

亡くなる数日前に 誰にともなく「お世話になりました」と言うので その時は冗談のように笑って聞き流してしまった。後になってみれば それが最後の言葉で その時 「こちらこそ 長い間 有り難うございました。また一緒に暮らしましょう」と伝える機会を逃してしまった。

©︎Y.Maezawa

今思えば 妻がいなくなってしまう という現実から目を逸らして 自分を欺いていたのだろう。死にゆく人は自分が失うものはわかっていて 自らを欺いているのは生きている方なのだ。

©︎Y.Maezawa

昔、子供を亡くした母親が、お釈迦様に 「どうしても子供に会わせて欲しい」 と懇願した。すると お釈迦様は「それでは村中の家を訪ねて 一度も葬式を出したことのない家からケシの実を一粒もらってきなさい。そうしたら子供に会わせてあげよう」と仰った。

母親は村中を歩いて 葬式を出したことのない家を探したが見つからなかった。そこで お釈迦様は どんな人も大切な人を喪う悲しみを背負って生きてゆかなければならないことを 母親に諭された。

©︎Y.Maezawa

この逸話は 新見南吉の童話 「でんでんむしのかなしみ」を思い出させる。

ある ひ その でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。

わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまっているのでは ないか。

でんでんむしは おともだちの ところへ いき 

「わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって います」

と はなしました。

すると どの おともだちの でんでんむしも いいました。

「あなたばかりでは ありません。

わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです。」

でんでんむしは きが つきました。

「かなしみは だれも もっているのだ。

わたしばかりでは ないのだ。

わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃならない。」

そして この でんでんむしは もう なげくのを やめたのです。

©︎Y.Maezawa

周りを見回せば 自分くらいの歳になれば 誰もが悲しみを背負って生きていることに気がつく。両親を亡くし、兄弟が欠け、連れ合いに先立たれ、中には子供が夭逝して逆さを見た人もいる。

悲しみを背負いながら 背筋を伸ばして普通に歩き、誰とでも普通に話し、皆が笑えば一緒に笑って 生活している。馬齢を重ねて 無駄に歳をとったのでなければ これくらいの芸当が出来なければ 老人の名に値しないだろう。これからの老人の独居生活も人生の修行と思えばいいのである。

©︎Y.Maezawa

生き残り 生き残りたる 寒さかな 

一茶

置きざりに される思いの 寒さかな

一茶

限りある 命のひまや 秋の暮

蕪村

去年より 又さびしいぞ 秋の暮

蕪村

 

©︎Y.Maezawa

(編集: 前澤 祐貴子)

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