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老成学研究所 > 時代への提言 > 「海へのLINE」シリーズ > 『海へのLINE』シリーズ: ① 「シリーズ開始 ご挨拶」 NIFS雑魚釣り隊 磯部光孝
『海へのLINE』シリーズ
《第1回》
シリーズ開始 ご挨拶
NIFS雑魚釣り隊
磯部 光孝
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、アウトドア系のレジャーが人気となり、海釣り公園を中心に、魚釣り場は多くの人で溢れるようになった。特に、ファミリーで楽しむ姿が目立つ。釣りガールも現れるようになった。単に、コロナ対策という理由だけでは、こうはならず、魚釣りには、楽しい要素に加え、知的好奇心をかきたてる要素があるからに違いないと思っている。ちびっ子達が、釣り竿を持って魚に挑む姿は、大変微笑ましく、思わず頬が緩む。魚釣りをしない人の中には、「なかなか釣れないでしょ。」、とか、「長時間じっとしていられないよ。」、とか、「スーパーで買った方が安くない?」と仰る人がいる。この問いかけに対して、釣れた方がいいけど釣れなくてもいいし、長時間何もせずにじっとしているワケではないし、そもそも食材集めのために釣りをしているワケじゃないし、等々、直ぐに思い浮かぶ言葉は、言い訳じみたフレーズであって、なかなか説得力のある言葉がサッと出てこない。相手を説得するつもりがあるわけでもないので、この場合、なんとなくボヤっと会話が終わることが普通である。「海へのLINE」を通じて、魚釣りとは何か、自分にとって釣りとは何なのか、について自身の中で少し整理したいと思う。そして、魚釣りの楽しさを少しでもお伝えすることができたらと思う。魚釣りの楽しみ方は人それぞれで、正答がある種類の話ではなく、雑多な内容になってしまうようにも思うが、「海へのLINE」シリーズ、お付き合いいただけたら幸いです。
魚釣りには、様々なターゲットがあって、形態がある。そもそも場所からして多種多様で、スケールの順に言えば、用水路、池、川、湖、そして海。また、陸っぱりでやる人、船で沖に出る人。用水路で雷魚を釣る人、川で鮒、鯉、鮎を釣る人、河口でハゼを釣る人、堤防で黒鯛を釣る人、沖で真鯛やブリを釣る人。中には、イカやタコを専門とする人もいる。全部やるには、一度の人生では時間がぜんぜん足らず、更に原資も足らず、釣りをする人は、何処でやるのか、何を釣るのか、自然と絞り込みをしている、或いは、したはずである。自身のルーツを振り返ると、魚釣りをする切っ掛けになったのは、父親にあり、小学生の頃、しばしば弟とともに海釣りに連れていってもらった。私は、名古屋の南部生まれで、名古屋港にほど近い海抜ゼロメートルのエリアで育った。なので、私の釣り場は、名古屋港や知多半島が中心だった。かつて、古くからの湊町で知られる半田市亀崎に父親がおんぼろ船を持っていた時期があって、沖での釣りも経験した。また、魚図鑑を眺めるのが好きで、やたらと魚の名前と生態に詳しい子供だったと思う。魚釣りが先なのか、図鑑が先なのか、記憶が定かではない。また、伊勢湾奥は、潮の干満による潮位の変動が激しく、両親が運転するクルマで近所の天白川に架かる橋を渡る際には、車窓から川面を見つつ、今、満潮だね、干潮だね、という会話があったように記憶している。伊勢湾台風の高潮で甚大な被害を受けた土地柄ということもあって、満潮のタイミングで台風が接近すれば警戒度が一気に増し、時に鉄筋コンクリート製のお隣さんのお家に避難させてもらうなど、潮の干満との付き合いについてはそもそも普段の生活の中にあったように思う。以降、今に至るまで海での釣り、そして陸っぱりの釣りを楽しんでいる。子供の頃から、川、海を見ると、魚がいないか水面を凝視するようになり、また、スーパーマーケットに行けば用があろうとなかろうと、鮮魚コーナーで足を止め、魚と産地を確認するとともに、漁法についてイメージを膨らませるようになった。デパ地下には、近所のスーパーではほぼ見かけることのない所謂高級魚が在りし日の姿のまま並んでおり、見ているだけで大変楽しい。これは齢50を過ぎた今でも変わらない。
魚釣りにおいて格言とも言える、「釣りは鮒(フナ)に始まりフナに終わる。」というフレーズがある。フナ釣りを一生懸命やったことはないが、この言葉、かなり当たっているように思う。魚釣りにおいて、ビギナーズラックが無いわけじゃないが、魚の生態を知った上でやらないとまず間違いなく空振りに終わる。ラッキーパンチなどそうそうない。これは魚釣りに限った話じゃなくて、仕事でも同じ。世の中、甘くはないのです。身近なフナを引き合いにし、何事においても基本が大事であるというところでの正鵠を射ったフレーズ。魚とのコンタクト、魚を釣るための確率を少しでも上げるというところで、諸々考えながらショアに立つ。そういった意味では、ターゲットが何であろうがランディングに向けた事前準備やそのプロセスは、フナも、鱸(スズキ)も、ブリも同じと言える。魚釣りのややこしいところは、そもそも魚がいないと釣れるはずもなく、ホントにいるの?という大きな不安を抱えたままフィールドに立つことから始まる。もう一つの不安は、この釣り方でホントに良いの?、このルアーで大丈夫?という不安。不安との戦いである。現場では、この2つの不安を抱えながら、釣果を出すというところでの思考そして試行が継続的になされており、釣り人は、水面を眺めながらボーッとしているわけではぜんぜんない。
我が国は四季の変化に富むことで知られるが、海の中も同様である。ただ、海の場合、熱容量が大きく、気温が変化したからと言って直ぐに水温は変われないので、季節変化が少し遅れてやってくる。春、夏、そして秋には賑やかだった海は、水温の下がる冬においては、生命感が乏しい静かな海へと変わる。魚たちは、水温の安定した深場に落ち、ジッとしている、或いは水温低下に伴い活性が下がりあまり口を使わなくなる、と言われている。魚を研究対象として扱ったことはないので、ホントかどうか定かではないが、一釣り人の感覚としては、多分正しい。カレイなど産卵で接岸してくる魚も中にはいるにはいるが、冬は、基本、かなり釣れなくなる。海中浅場のテトラポットや石積みに、海藻が生え始めると、それは冬の終わりのサイン。少し暖かくなってくると、小魚たちが現れ始め、賑やかさが戻ってくる。また、稚鮎は、川を遡上し始め、これらを捕食しに、スズキ等のフィッシュイーターが接岸し、またその一部は河口奥深くまで入ってくる。日本人にとって昔から魚は身近な存在あるが故、メバルを春告魚と呼んだり、サワラを漢字で魚へんに春(鰆)と書いたり、季節を表す文字をあてるケースがある。実際、春になると確かにメバルがターゲットになるし、自身がしばしば出かける越前では、春になるとショアからサワラが釣れ始める。これらの魚が釣れ始めると、それは春到来のサインである。さらに水温が上がってくると、海藻が抜け始め、釣り人視線で言うと、抜けきる頃には梅雨の到来といった感じか。ザクッとした話ではあるが、海には海の四季がある。
自身は、ここ25、6年、ショアからのルアーフィッシングを中心に海釣りを楽しんでいる。中でも、スズキを主たるターゲットにしている。スズキは、沿岸部を住処としている大型魚で、大きなものでは1メートルを超える。因みに、そんな大きなスズキを釣ったことはない。ここで敢えて申し上げておく。やはり身近な魚であるが故だと思うが、スズキはサイズによって呼び名が異なる所謂出世魚である。伊勢湾奥で育った私にとって、セイゴ→マダカ→スズキが一番馴染みのある呼び名であるが、地域によって違うらしい。ルアーで釣る場合、シーバスと呼び、不思議なことにその時点で、サイズの大小は関係なくなり、即ち出世魚ではなくなる。出世魚としては、ボラも有名か。最近ではほぼ聞くことはないが、イナセな兄さん、とか、トドのつまりは、とか、ボラに由来したフレーズである。スズキについて言えば、沿岸部の魚の中で食物連鎖の頂点にいる魚であって、生きた小魚やワームと間違えて漆黒の海の中から獰猛にルアーを喰ってくる。長い冬を経て、今年の春も、それは突然訪れた。時は2022年3月上旬。名古屋市南部を流れ、名古屋港に流れ込む天白川の河口部から何キロか上流でのこと。この川には、子供の頃、「良い子はここで遊ばない。」という看板が立っていたが、悪い子であった自分は、そんなの無視して友達や弟とゴカイを餌にした魚釣りや蟹獲りをして遊んだ。ここは汽水域にあたり、当時の記憶では、セイゴ、ハゼ、ボラ、フナ、コイ、ウナギなどが釣れたと思う。その昔、河川敷はいたる所で蟹の巣穴を目にする葦原であったが、往時とは異なり、今時の都市河川らしく、護岸工事により両岸ともにコンクリートでガチガチに固められている。残念だが、これでは、今のちびっ子達には蟹取り遊びはちょっと無理だ。この川、あまりに身近過ぎて、長く敢えて出かけないフィールドだったが、職場の雑魚釣り隊メンバーの一人から名港一級のシーバスポイントであるとのタレコミがあり、原点回帰のつもりで一人で入ってみた。魚釣りという点では40余年ぶりの帰郷。釣りにおいては、満潮・干潮及びその前後の所謂潮止まりよりは、潮が動いている方が良い、更にシーバスについては下げが良いと言われている。これ、自身の経験において反例も多々あるので、どこまで正しいのか私自身よく分かっていないが、取りあえずセオリーどおり夕方の満潮からの下げ潮のタイミングで入った。この時期、ゴカイ類が産卵のためボトムから這い出してくる時期(釣り言葉で、バチ抜け)と言われており、マッチ・ザ・ベイトよろしく、これまたセオリーどおりワームに似た細長いルアーを選択。陽が沈み夕闇が降りてきた段階で、ルアーを川の上流側に向けて投げ(釣り言葉で、アップクロス)、ワームの動きに合わせて、ボトム付近を水の流れに任せる形でゆっくり引いてみる。これを何度か繰り返す中、突然ドスンとしたアタリ(ルアーフィッシング言葉で、バイト)。次いで、ロッドの先端がぐいぐいと引き込まれ、アドレナリンが一気に噴き出す。寄せるに伴い、そこそこ大きいことが分かったが、間もなく釣りにおいてアルアルの話に襲われる。途中、釣れない長い冬があって、ヒットするとはぜんぜん思っておらず、ランディングネットはなんとクルマに置いたまま。どうやってこの魚をランディングするの、俺?、と泣き出しそうになる。釣りに出かけているのにどうせ釣れないと思ったとは、つじつまの合わない話である。ただ、これ、しばしばある話で、なんでこういう矛盾した行動を取るのかについては合理的に説明することが難しく、不思議としか言いようがない。約20年来苦楽を共にしてきたライトクラスのロッド/パームス・サーフスターSGP-96Lが激しく弧を描く。丁寧に、丁寧に足元まで引き寄せ、しっかりとフッキングしていることを確認後、ロッドよ絶対折れるなと祈りつつ、思い切って抜き上げると、50cmを優に超えるサイズの今年最初のシーバス、お腹パンパンのシーバスでした。このシーバス、抜き上げランディングにおいて、自身の最長記録となった。ただ、この記録は今後更新しなくて良い。ランディングネットは常に持参すべし。こうして、私の2022年釣りシーズンは開幕を迎えた。
4月に入ると、ボトムが砂地のショアではキスが釣れ始め、また小魚も現れることから、これらのベイトフィッシュを捕食しに真鯒(マゴチ)が接岸してくる。マゴチは美味で知られ、また、ルアーに獰猛にアタックしてくることから、ルアーフィッシングのターゲットとして大変人気が高い。伊勢湾奥においても、愛知県の知多半島側、三重県側ともにマゴチが釣れる。また、シーバスほどではないが、ベイトを追っかけ河川奥深くにも入ってくる。浮き袋を持たないマゴチは、基本、ボトムに張り付いて生活をしており、即ち、マゴチを釣るには、ルアーをボトムでキープすることが肝要である。根掛かりを恐れず果敢にボトムを攻めることができれば、マゴチとの出会いがあることでしょう。写真は、2022年4月上旬に知多半島新舞子パリンパークでヒットしたマゴチ。マゴチは、日照りマゴチとも呼ばれ、夏の魚のイメージがあるが、真冬じゃなければ、ショアからでも釣れる可能性あり。大量に獲れる魚ではなく、結果、マーケットの店頭に並ぶことはあまりないので、マゴチの美味を楽しめるのは釣り人の特権と言える。自身は、普段、クーラーボックスをクルマに残してなるべく身軽にフィールドに赴く。釣れた場合は、魚の下顎にストリンガーを通し、いったん海にお戻りいただく。ただし、申し訳ないが紐付きである。そして、帰る間際に血抜きして、ストリンガーに魚をぶら下げてクルマへと凱旋する。この時、マゴチを凝視するちびっ子と出会う。暫くした後、ちびっ子が大きな声で、「お父さん、大きな魚!」と言い、この子のお陰でちょっとした堤防のヒーローになる。で、このマゴチ、ちびっ子ファミリーにもらっていただいた。食卓でどんな会話が交わされるのだろうと思うだけで、楽しい気分になった。新舞子マリンパークは、釣りシーズンが本格化すると、サビキ釣りを楽しむファミリーに加えて、多数のマゴチ師や黒鯛師で賑わう場でもある。
椎名誠さんの「わしらは怪しい雑魚釣り隊」が大好きで、出張の移動中に仕事ができない私は、椎名さんの文庫本を何冊も鞄の中にしのばせ、移動途中に読みふけっていた時期がある。夏には海で泳がないと気が済まない私は、仕事仲間及びそのファミリーと越前海岸に出かけた。2020年8月のこと。この時、後に雑魚釣り隊副隊長となる輩から釣りをしてみたいという話があり、自分が持っている釣り道具のほぼ全てをクルマに搭載し、越前海岸に向かった。夕食後、あるだけの竿とリールを出して、ちびっ子達を含め旅館近くの白浜(城崎)漁港の堤防で豆アジ釣りを楽しんだ。皆、一生懸命でなかなか止めようとはせず、夜11時くらいまでやっていたように思う。これが切っ掛けになって、職場にてNIFS雑魚釣り隊を結成する運びとなる。職場において非公式集団であることはご想像に難くない。また、椎名誠さんの真似っこであることも申し上げるまでもなかろう。時々、週末に大人数で出かけ、釣れない釣り?を楽しんでいる。追々、NIFS雑魚釣り隊についても紹介していきたいと思う。
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