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【寄稿D】老成して観る「夜桜美人図」は素晴らしい 寺川進
交流の広場 | 2022.06.10

老成して観る「夜桜美人図」は素晴らしい  

寺川 進  

ヒトの生活環  

ヒトは成長し、成熟し、活発に活動し、やがて年老いて死に至る。人生の段階が、必ず、このように推移していくのは、基本的には遺伝子の発現に順序があり、生じたタンパクや酵素によ って細胞の代謝が制御されるからである。老化とは、酸化や宇宙線被ばくの効果が蓄積して細胞死が起こったというような、長年に亘って蓄積した疲弊によるものではない、と私は思う。 

細胞分裂によるテロメアの短縮や、Hayflickの細胞分裂回数の限界の話が、寿命の問題として よく取り上げられる。しかし、成長後は分裂しないという神経細胞や筋細胞の減少や萎縮の方 が、老化に直結している度合が高いように思われる。老化は、細胞内に遺伝子発現の順番を指 示するような本があって、そのページが次々にめくられていき、最後に、高齢者の章が始まる、という様に進むものなのだ。個々の細胞は、しかるべきタイミングで、DNA配列の次のコー ドが書かれている新しい章を読み取っているのだ。 

そのような遺伝子プログラムは、後期高齢者において、「かつての幼子に戻れ」という司令を 発するのではないかと思われる。本当は、遺伝子は、成熟した大人の身体を赤子にまで戻し、 さらに、不要な細胞を削ぎ落していって、最後はこの世から自然消滅させることを目指しているのだ。骨は溶け、筋は萎え、背は縮み、身体は丸くなる。髪は抜け、歯は抜け、神経細胞の 数は減り、脳は萎縮する。いずれも幼児化の反応である。しかし、皮膚の面積を縮めるのは難しく、皺が残ってしまう。うまく髪の毛が抜けず、色素細胞だけが失われて白髪になったりする。逆行の反応は、実際は、そううまくはいかず、スムーズに過去に向かう道は容易に制御で きないため、途中で挫折する場合が多いのだ。もし、ヒトの寿命が150歳まで続くようになれ ば、おそらく、逆行反応は新生児の域にまで達し、最後は臍(へそ)だけを残し、それも溶けるか干からびて、この世から消えてしまうのではないか。ホモサピエンスが、生物としての進 化を続けることができるとすれば、遺伝子に新たな配列が加わって、老齢期に、皮膚真皮層の コラーゲン分解酵素などの特別なタンパクや、若返りの特別なホルモンなどを作るようになり、身体の縮退反応がうまく進行するのではないか。その結果、生活環が完結するのではなかろうか。 

老成の反応  

私は老成学の何たるかについてまったく知識を持たないが、自由な想像を巡らせて、多分老成 学に含まれるであろうと思われる事に触れてみたい。ヒトの身体の発達期を表す言葉に「成人」がある。文法では、成るは動詞であり人が目的語なので、人に成るという意味である。下 の写真は、成人になったザリガニが交尾しているところである。実験用に飼っていたザリガニ が、期せずして、人の字形の様に立ち上がっていたのに見とれて、撮影した(写真1)。たし かにザリガニにとって、人生の絶頂の瞬間だったに違いない。ザリガニやエビは、普通、腰を 曲げて岩陰に隠れていることが多い。エビなどが、長いひげを背に担ぎ、腰を曲げている姿 は、「老」の字の形を想わせる。実際は、老の字は、腰を曲げた人が杖を突いている姿の象形 とのことだが、その形は、交尾をしない年代を象徴するようだ。しかし、老の時期には別の絶 頂があると思う。さて話を語順のことに戻すと、「成人」と同じように、成‐老の語順では、 老に成るという意味になる。一方、老‐成の語順が持つ意味は、老いて成すであり、歳をとって初めて、やったりできたりすることを表すのだ。つまり、老いて成す、老いてから到達するような人生の絶頂もあるのだ。


写真1.交尾するザリガニ
通常は、⽔底に横たわるのだが、
しゃち ほこの様に、⾒事に⽴ち上がってい た。
体⼒の頂点を象徴する協同作業 である。 (寺川撮影)

私自身の身体の老化は、後期高齢者になる直前に起こったようである。ほんの4、5年のこと で、大変急速な変化だったと感じられる。思春期には自分の体が大きく変化するのを経験した が、それと同じような大変化が、同じような期間で起こった。こうした急速な変化は昆虫の変 態とも比べることができる。もしかしたら、老成とは、変態して蝶になることなのだろうか。 それまでは無かった羽根を生やし、空を飛べるようになることを意味しているのだろうか。7年 間地中で暮らし、次の7日間をセミとして暮らすために変態をするのだろうか。昆虫が変態すれ ば、空を飛びまわって、それまでとはまったく違う世界を目にすることができる。活動もすべ て繁殖を目指すものに変わる。ヒトは、思春期に変態のような大変化を起こして繁殖に入り、 その後はだらだらと老化に向かうと思われている。多分ヒトでは、まだ遺伝子の進化が不十分 であるため、はっきりとした変態は認められないのだ。 

峠の絶景  

仮説として、ヒトの一生は直線的なものではなく円環状なのだ、と考えることを前述した。時 計の文字盤でいうと、誕生は朝の6時に相当し、本来の死は夕の6時に相当する。時計の短針 は一回りして元に戻る。こうした一生の中で、昼どき前の15分間くらいが老成期であり、大体 12時が老成が完了する目安である。現実的には、老成後の人生の長さはそれ以前の人生よりず っと短く、午後に相当する人生は午前よりずっと短い。仮説は今の現実には合わないのであるが、将来は、徐々に、そのようになっていくものと考えられる。今は、遺伝子の不完全さにより、老成後の人生はまだ短いものになっている。しかし大事なことは、老成期は時計の文字盤 の頂点付近にあるということだ。体力の頂点は20~25歳くらいにあるが、知力の頂点は老成直 後にあるのだ。

 

私は、最近になって、老成した心の反応を自分自身のものとして体験することになった。それ は、高齢者になって初めてあるものに出会い、そのものから強い印象を受けたことである。後 で考えてみると、それが老成の(老いて成した)結果であったのだと気が付いた。75歳のこの 歳まで生きてきて、人間界の諸々をたくさん学び、自分が大事に思う研究ごとに深く没頭し、 多くの経験を積むことによって、初めて、新しい対象を理解する準備が完了したのだった。定年までの人生の活動期の段階がすなわち「老する」期間に相当する。それを過ぎてから何かに 出会い、若い頃の自分であったなら、さらりと通り過ぎたであろう対象物が、無言の輝きを発 しているのを、敏感に掴みとることができる。これが「成す」に相当する。鋭く感じ、深く理 解するには、たくさんの経験と学習が身に付いて、外から送られたものを受け取る準備が完了 していることが必要条件なのだ。それゆえに、老になって初めて得られるようなものがあるの だ。 

ヒトは、繁殖を目的に空を飛べるようになるということはないが、密かに変態反応を済ませて 老成期に入るとすれば、それは上り坂の山を登り続けた後に、やっと峠に辿り着いたことに例 えることができる。その後は、空に飛び上がるのではなく、山の向こう側に下っていくのだ。 それでも、私は今、後期高齢者として山の高みの近くに居る。急に辺りが開けた絶景の峠道な のである。あるいは、観覧車の頂点付近にさしかかっているといってもよい。そうした所に立 って初めて見えるような景色がある。私は、ある画を見てひどく感動したのである。これから 紹介する「夜桜美人図」は、そんな峠の景色のひとつである。その画を見たのはほんの数分のことであったが、老成した峠からでなければ見えなかったであろう美の力に、生まれて初めて の感動を覚えた。画の詳細を見ているうちに、いくつもの想いの波が押し寄せて来て、涙が溢 れるまでになった。 

夜桜美人図は美しい  

葛飾応為(かつしか おうい)の夜桜美人図(写真2)を見たのは、2021年7月頃のNHK番組で あった。応為を紹介する番組だったと思う。ほとんどの北斎の画は、どこかで一度は見たこと があると思っていたが、北斎の娘の画というのは見たことがなかった。本当のところは、北斎 画の一部に応為の筆になる部分があるので、それとは知らずに見ていたようである。特に北斎 の晩年の肉筆画では、応為の筆が頻繁に現れるとのこと。応為は、北斎の小布施行きにも同行 し、何点もの画作を手伝っていたという。確かに、北斎の画風とは異質の部分を含む画もあ る。美人画や花鳥図では、北斎自身が「お栄(応為)にはかなわない」と言っていたそうであ る。はっきり応為作と分かっている画は10点あまりしか残っていないとのこと。三曲合奏図、 吉原格子先之図、そして夜桜美人図が有名である。後で見ると3つともよいが、特に、テレビ に現れたときの夜桜美人図は、涙が浮かぶほどの感動ものであった。 

さて、ここで遠回りをしてみたい。それまで知らなかった応為に興味を覚えてネットを見る と、朝井まかてという作家が応為を主人公にした小説を書いていることを知った。書名は眩 (くらら)という。早速、アマゾンから送ってもらい、妻に音読してもらった。印象に残って いるのは、応為が男勝りのところがあり、火事を見るのが大好きで、酒も下戸の北斎の娘とは 思えないほど好きだったなどの点である。母の小兎とは違い、料理や掃除は得意ではなかったようだ。北斎の弟子の一人で妻帯者である善次郎と親密な関係を持った。彼に誘われて吉原に 行き、そこで芸妓をしている彼の三人の妹達が、箏、三味線、胡弓を合奏するのを聴く。そし て、その楽の音の美しさに涙する。自分の涙を意識しながら、応為は思う。「何と美しい楽の 音なのだろう。この美しさに涙する自分がいるように、はたして自分が描いた画を見て涙して くれる人がいるだろうか?」。私は、150年前に生きた応為に伝えたい。「私は、これまで画を 見て泣くということはなかったのですよ。ところが最近、貴女の画を見て初めて、涙すること になりました。それは、75歳になった私にとって、うれしい驚きでした。決して、感情失禁な どではありません」。音楽ではよく泣けることがあったが、画そのものは時間軸上での動的な 変化が無いが故に、感動して涙するようなことはなかった。



写真2.葛飾応為作 夜桜美人図
(写真提供:メナード美術館)

一体私は、何に感動したのだろうか。その画には何が描かれているのだろうか。おそらく応為 は、とても自然な気持ちの中で、あの画を描いたのだろうと思う。それでも私の琴線を強く揺 さぶる特別なものがある。それは長さ 90 ㎝ くらいの縦長の肉筆画で、全体が暗闇に見えるよ うなものである。まず一言でいえるのは、応為は暗闇の中に光を描いている、ということだ。 

彼女は、光の物理的本性を知るはずがないが、光というものが画面に固定できる実体的なもの であることを、見抜いていたと思われる。暗闇の中に3種の光るものを配置し、それぞれが同じ 性質のものを醸し出していることを想いながら、それ(光)を画面に定着させることを目指した のだ。画面に何を置くかを考えた時、多分、桜にするか蛍にするかは、迷ったところであろ う。光の作用に魅せられて、それを脳・神経の研究のために応用することを目指してきた私に とって、この画は心底馴染みの物に感じられた。静止画であっても、光が暗闇に拡がるのが見 えるほどの、動きを感ずることができた。レンブラントは光の画家と言われる。その彼が描い た画面は暗く、主題となるものだけが不自然に明るくなっている。他にも暗闇と光を描いた名 作はある。昔、ワシントン近郊に住んでいた頃、National Gallery of Artで、ローソクの火の 下で本の上に置いた頭蓋骨をいとおしむ女性の絵を見た。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作の 「悔い改めるマグダラのマリア」である。その後、テレビで、速水御舟の「炎舞」という、夜 の焚火に誘われて火中に飛び込もうとする蛾たちの絵を見た。どちらも一度見たら忘れられな い印象を残すが、情景としては鬼気迫る感じが強い。これに対して、夜桜美人図ほど、すがす がしく、気持ちの良い、落ち着ける画は無い。

 

画に描かれているのは、春の夜の庭に立つ女性である。上段には、暗い空が広がり、沢山の星 が見えている。星々は、松の枝葉の間の細かい隙間にまでバラまかれたような広がりを見せ る。大きな星や小さな星が美しい色で瞬いている。実際の星座が配列されているというより は、いくつものカップルがそこここに並んでいるように見える。おそらく、応為にとっては、 星はお得意の花鳥風月の一部だったのだろう。繊細でありながら、強い輝きを放つ星々。この ような画を描いた画家を他には知らない。星を描いたもう一人の画家としてゴッホがいるが、 彼の描いた星(星降る夜;星月夜)は夜空の灯や渦のようで、美しさとはほど遠い。自然の力 強さや彼の不安な心理状態を映しているように思われる。不安に昂るゴッホの気持ちが、人生 を達観し澄みきっている応為の気持ちのように落ち着いていたなら、ゴッホは自殺をしなくて も済んでいただろうと思われる。 

中段には、暗闇の中に、石灯籠と桜の花が描かれている。この画の一番明るい所である。花は 大きな桜の木のものではなく、枝も少ない小さな木に付いているようだ。それでも、一枚一枚 の花びらが精一杯に開き、灯籠からの光を受けて、綿雲のように白く浮かんでいる。冬が終わ った温かさが感じられる。桜の花と並ぶように、若い女性の明るい顔が見える。彼女は、左手に持った短冊に筆で何かを書こうとしている。画ではなく、多分、歌を書こうとしているのだ。幸せそうな顔の様子からすれば、恋歌なのであろう。それとも、夜桜の美しさか。星の美 しさか。

 

下段には、女性の顔から下の着物姿が描かれている。足元近くに、もうひとつ石灯籠があり、 その光で着物の細かな模様が見える。着物の裾に広がる模様は、そのまま、地面に咲く繊細な 花々が織りなす模様に繋がっているかのようだ。固く黒い輪郭を見せる石灯籠と、柔らかく明 るい着物や花々は、流れるような、そしてまた、静止するような時間の中で、強い対比を成し ている。石灯籠は、長い時間その形を保つことのできる象徴だ。着物や小さな花々は、儚くも 美しい生命の象徴である。筆を繰る女性を挟むように立つ大小の灯籠は、散りやすい命を守ろ うとするかのように、柔らかな光を与えている。その光によって、時間の川に流されそうにな る儚い命が、しばしの間、動かぬものに繋ぎとめられている。

 

さて、私は何に感動したのか。上のように言葉で表してみると、夜桜美人図に、それほど大そ れた画材が並んでいるようには思えないかもしれない。しかし、この画を上から下にゆっくり と見ていくと、描かれている3つの身近なものが、それぞれとても大きな対象であることに想い 至る。手の届かぬ大宇宙、身の周りの大自然、そして人が為す広いアートの世界。この画は、 正に、「天に星、地に花、人に愛」を描いているのだ。この言葉は誰が言い出したのかと思 い、ネットを見たところ、源(もと)はゲーテという説があり、それを否定する説もある。一 番多いのは高山樗牛とする説で、武者小路実篤が広めたようだ(樗牛は、ゲーテの著作の翻訳 者でもあるとのこと)。ゲーテが生きたのは応為より少し前である。樗牛は明治になってから の人である。そこで、応為はあの言葉を知っていて画を描いたのだろうか、という疑問が湧 く。北斎も応為も外国から入ってくる西洋画や絵具に強い興味を持っていて、オランダ人が滞 在する日本橋の長崎屋などにも行っているので、ゲーテの言葉を知る機会が絶対に無かったと いうわけではないが、彼女自身が人生を眺め、父の画を眺めるうちに、直感的に分かっていた 可能性が高い。何しろ彼女は、天才である北斎の肩の上に立ち上がっていたような人だし、火 事に魅かれ酒を好むような粋人だったのだから。

 

さらに驚くことに、夜桜美人図には、人が最も慈しむべき「真、善、美」が描かれているとも 言えるのだ。星の姿は宇宙の真実である。科学的真理を表す。桜は美を表す。そして、愛や筆 は善なのだ。もともと、「空に星、地に花、人に愛」は、「空に星、地に花、人にこころ (心)」とすべきところである。善なる心は、愛にも、アートにも、科学にも通ずるものであ る。「短冊と筆」は、和歌という狭いものだけでなく、心が筆を通してこの世に創り出す善な るもののすべてを表している。設計図、法律、法則、そして数式までを象徴している。この画は、全世界を包含するような大きなものを表わしている。この応為の達観の見事さが、私の涙 を引き出すことになったのだ。私は再び応為に伝えたい。「この世界で少なくとも一人は、貴 女の画を見て涙を流しましたよ。貴女が吉原で三曲の合奏を聞いた時のようにね」。

 

浜松医大を退職後、私の興味は、実験的な研究から脳の機能を思索的に研究することに移っ た。常葉大で講義するために必要な医学の基礎、生物学、物理学、さらに数学など、新たに学 んだことを織り込んで、若い頃に目指した「意識の世界の探究」を再開した。新たな知識を追 加して得られた指導原理がいくつかあるが、そのひとつに「脳は世界を写像する臓器であ る」、という原理があると考える。虫からヒトまで、脳を持つ生き物は、その脳を、周りの様 子を知り、記憶するために使い、その記憶した地図なり情報なりに基いて、生きるための行動 をするのだ。ヒトは、巨大化した脳で、周囲の自然環境や人間世界の様子、その他諸々の多く を学ぶ。そしてそれらの認知対象を利用したり、あるいは遠ざけたりして、自分がよりよく生 きられるようにする。その究極の姿が、夜桜美人図に表現されているように感じられる。星の 並びを脳に写すことは、季節、時間、緯度、方角を知ることである。それが季節に合った労働 を計画させ、生活に時刻を与え、住んでいる位置を教え、旅の方向を示す。桜を初め、花鳥風 (月)や、自然から得られる食べ物、そしてお茶やお酒に至るまで、ほぼ自分の手に届くものの 全ては、感覚器を通して、生きることの喜びを与えてくれる。筆やペンによって、人は歴史を 作り、建物を築き、学問を成し、最終的にはアートを拡げ、サイエンスを進める。この世と人 生の全てが、暗い闇に覆われてしまいそうな、それほど広くない画面の明るみの中に詰まって いることが感動的なのだ。応為は、ヒトの精神とはどのようなものなのかをよく理解してい た。心を生み出す精神こそが、真善美の元であることを理解していた。彼女は、私が、長い 間、科学の知識を駆使して理解しようとしてきた脳の働きというものを、ほとんど直感的に把 握していたように思われるのだ。 

応為は、北斎の死後、十年経たないうちに亡くなったようだ。それまでの様子を語るものは何 も残っていないという。あれだけの画を描いた人の晩年が、どのようなものであったのか知り たい気がするが、詮索する必要はないのかもしれない。応為は、ヒトの代表として、全てを悟 っていたはずで、どのような人生をも受け入れたことだろう。あの画を完成させたときに、彼女は、この世に見られるすべての美醜を観収めたように思っただろう。自身が見た江戸時代の街や村、人々とその生活、さらに、親父殿を初め周りの絵師達の眼を通して見た、おびただし い数の自然、風景、生き物から魑魅魍魎までを観たのだ。彼女は、楽の音にも高い感受性を持 っていたようだ。応為は、身の周りに在るすべての美しい形を‘観’て、すべての美しい ‘音’を聴いた。派手な有名人ではなく、それとは分からぬ観音様といったような晩年を過ごし、他人知れず亡くなったのだろう。彼女は、他の誰もができなかったことを成し遂げた。それは、天才絵師の葛飾北斎を踏み台にして前人未踏の峠に上り(写真3)、至高の美を描きとめたことだ。 


写真3.インド北⻄部にあるナイニタールから⾒たヒマラヤ⼭脈
ガンジス川の源流となる湖から、⼈幅の急な⼭道を⾺で上り、やっと着いた峠からの眺望である。 ⽴っている所は、全⼈⽣を懸けて到達した知⼒の頂点を象徴するように思われた。 遠くに⽩き⾼峰が連なるのが⾒えたが、その⼿前には、まだ越えていかなければならない峠が幾重にも横たわっていた。(寺川撮影)

 2022.4.20  

(編集:前澤 祐貴子)


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