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【寄稿D】❺ アルツハイマー病と診断された人のその後の人生 筒井祥博
時代への提言 | 2022.04.12

©︎Y.Maezawa

アルツハイマー病と診断された人の

その後の人生


神経病理学 医師 

筒井祥博

©︎Y.Maezawa

はじめに

2016年ニューヨークタイムズでアルツハイマー病と診断された人のその後の人生を追った長い記事を読んだことがある。アルツハイマー病と診断されてから、病状が悪化していくまでに何年もの歳月があり、その間の「患者の人生」と「生きがい」が重要であることが分かった。アルツハイマー病であることを隠さず公開し、同じ悩みをもつ人達のグループに積極的に参加し、社会的に交流する生活をすることが大切であると書かれていた。


私は臨床医でないので、アルツハイマー病を病む人たちと直接交わっていない。アルツハイマー病と診断されればそこで全てが終わった訳ではなく、新たな人生がはじまるのではないかと思う。このことについて三つの角度から書かれた本を読んで考えてみた。はじめにレーガン元アメリカ大統領が、私はアルツハイマー病であると世界に公表した時の強い印象と、レーガン氏の娘がそのことと関連して昨年本を出したことを知り、アルツハイマー病患者のいる家族の思いに触れた。次にアルツハイマー病の患者自身が書いた貴重な本があることを知り、既に多くの人に読まれていると思うが、私の印象を書いた。第三に、アルツハイマー病を含めて認知症の患者に寄り添ってきた臨床医の想いに感銘を受けたことに触れた。

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レーガン元アメリカ大統領のアルツハイマー病

1994年アメリカ元大統領レーガン氏が、「私は今、私の人生の黄昏に至る旅に出かけます」と、アルツハイマー病と診断されたことを、アメリカ国民および世界に向けて手紙で宣言した時のことを私は鮮明に記憶している。


20世紀の後半のアメリカとソ連の冷戦時代を見てきたが、両国の核兵器の開発と量産競走が続き、対立はますます激しさをまして行った。私はあの状況のなかで世界は破滅以外にないと絶望的な気持ちがつのっていった。レーガン氏は冷戦時代の最後のアメリカの大統領として、柔軟政策「ペレストロイカ」を採ったソ連のゴルバチョフ書記長と友好的な会談を重ねた。その後、1991年にソ連が無血の中で崩壊した。私は前途の暗雲が晴れたように嬉しかった。


レーガン元大統領はアルツハイマー病であると宣言してから10年後2004年に死去している。この10年間どのように生きたのか気になったが、私は一切知らなかった。昨年、レーガン氏の娘パティ・ディビス(Patti Davis)が『深い終焉のなかを漂う:介護者はアルツハイマー病を越えた向うをどのように見ることができるか』 (Floating in the deep end – How caregivers can see beyond Alzheimer’s Liveright Pub Corp, 2021)という本を出したことを知った。これはアルツハイマー病を介護する家族を支援するために書かれた本である。


パティはレーガン氏が晩年を過ごしたカリフォルニアから遠いニューヨークで自由奔放な生活をしていた。麻薬に手を染めた時もあり、離婚によって精神的に窮地に追い込まれ、死にたいと思うほどであった。そんな時元ファーストレディーであった母親のナンシー夫人から、レーガン氏がアルツハイマー病であることを宣言すると、直前に電話で知らされた。「突然に、その病気のこと、そしてそれが示唆することが私自身の中に痛みとなって入ってきた。何かが私の中で口を開けた瞬間を感じ、そしてそのために生きようと決心した」とパティは書いている。


パティはレーガン氏がアルツハイマー病であることを知ってから人生が変わった。アルツハイマー病の患者の家族に対して、生活上および精神的ケアに関することなどについて講演するために米国内を廻った。上記の本『深い終焉のなかを漂う』 は、アルツハイマー病患者が親族にいる人のケアのために書かれた本であるが、私はこの比較的長い序文を読んで感銘を受けた。


「私が父を思い出す時、彼の目を思う。私は子供の頃、父の目が私に焦点が合うと、彼がいつもこっけいなことを言った、または満月の妖精のように楽しませるような何かを言う時、その目が輝いた。明るいカリフォルニアの空に、彼の目は調和していた」と書き、さらに「アルツハイマー病が父を連れ去り始めた時、彼の目の動きが病気の進行のバロメータになった。早期の時期にはまだ私を認識しうる状態であったが、以前の親しさが消えていった。10年間の病気の間に、彼は遠くに行ってしまったように感じ、ただ彼の目が落ち着いている時が唯一の慰めで、彼がそこにいると感じた。父が亡くなる数秒前、彼の目は開いた。その目はずっと昔のように明るい青色で焦点が合って瞬いた、遠い古代の歴史のように思えた。彼は私の母に焦点を当て再びまぶたが閉まり、そしてまもなく彼は逝った」。


パティはアルツハイマー病の家族をもった人達の悩み、絶望について話を聞きアドバイスをしてきた。レーガン氏が亡くなって8年目にUCLAでアルツハイマー病患者の家族を支援するグループ、“アルツハイマー病を越えた向う (Beyond Alzheimer’s)” を立ち上げた。その後パティは米国各地に幾つかの支援グループを作り現在でも続いているという。


パティは序文の最後近くに書いている、「愛する人がアルツハイマー病になって失うという否定できない事実によって、あなたはこの旅の最後には始めた時と同じ人ではなくなるであろう」と書いている。家族のなかにアルツハイマー病の患者がでるということは、本人だけでなく家族の意識を変え、人生観、生き方を変えることを示している。


パティは、レーガン氏がアルツハイマー病であると診断を受けた時、フランスの作家サン=テグジュペリの“正しく見えるのは、心を伴う時だけだ、本質的なことは目には見えない”という言葉が思い出され、レーガン氏がこの世を去る時まで長い年月この言葉を思い続けたと書いている。そして、アルツハイマー病になると、言葉を間違え、記憶がおぼつかなくなり、新しい記憶を形成できなくなるが、それでも、それらを越えた神秘なフレームの中に完全に無傷な心が存在すると信じ続けた。また別の箇所で「私は彼の心は深く、測り難いという確信を持ち、如何なる病気もそのことを侵すことはできないと考えた」と書いている。

©︎Y.Maezawa

アルツハイマー病になった人の書いた本

私は最近まで知らなかったが、アルツハイマー病になった患者自身が書いた本があることを知った。クリスティーン・ボーデンというオーストラリアの女性で、『私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界』(檜垣陽子訳、クリエイツかもがわ発行、2003年)として出版されていた。続いて二冊目が『私は私になっていく 認知症とダンスを』(馬籠久美子・檜垣陽子訳、クリエイツかもがわ発行、2004年2012年改訂版)として出版されていた。この2冊はほぼ連続した内容であり、一冊目は20回以上印刷を重ね、2冊目も10回印刷を重ねている有名な本であることを知った。一冊目の日本語のタイトルは非常に興味をそそり、二冊目のタイトルはそれに呼応していてなるほどと感じた。


著者は生化学で学位をとり研究生活の後、国の科学政策の閣僚補佐官として責任の大きな知的レベルの高い仕事をしながら、離婚して3人の娘も育てていた。以前から偏頭痛に悩まされていたが、ストレスが多く混乱した気持ちになり、1995年46歳の時、精密な検査を受けた。その結果、自覚症状、画像検査による脳の萎縮、心理テストなどの結果から、アルツハイマー病であることが明らかになった。


彼女はそれまで一度に幾つかの仕事を平行して行っていたが、ひとつのことをするのにも時間がかかるようになった。電話をしている時に誰に電話しているのか分からなくなる、話している時言葉が出て来ない、話に集中できない、また、テレビをみていてもあら筋が分からないというような症状が現れてきた。「私は考え方が直線的になり、思考の歩みは一歩一歩さらにゆっくりになった。かつて持っていたあの活気や、あらゆるものを関連づけ想起する時のざわめくような感覚や興奮と、その興味の中心にあるものが失われた」と患者でなければ書けない表現をしている。


しかし、アルツハイマー病になっても、本当の私(自己の本質)は残ると書いている。自己がなくなって誰だか分からなくなって行くのではない、とはっきり言っている。彼女を支えたのは7年前からのクリスチャンとしての信仰であった。そしてアルツハイマー病であることを隠さずに、積極的に社会的に行動した。


著者は1年に1度シドニーの完備した医療機関で、PETを含む脳画像検査、臨床心理士による脳機能テストを受け、信頼出来る神経内科医に総合的な診察を受けていた。その結果、認知症の進行は非常にゆっくりしていることが分かった。その理由はいろいろ考えられるが、第一に、結婚相談所で紹介された元外交官であったポールと再婚したことである。ポールはアルツハイマー病の父親の世話をしたことがある。さらに彼女に従ってクリスチャンになって日曜日の礼拝に行くようになった。またその知的経験を生かして彼女の活動の強力な支えになった。彼女によれば早期から医者に処方されたタクリンを服用していたのがよかったという。この薬はコリンエステラーゼ阻害剤で、神経機能賦活剤として認知症の治療薬ではないが対症療法薬として用いられている。


何よりも注目すべきことは彼女の高度な知的活動である。仲間と一緒に国際認知症啓発支援センター (DASNI)を立ち上げて活動をした。そして国際アルツハイマー協会の理事にも推薦され、世界各地で会議に参加し講演をした。日本へも数回訪れ各地で歓待されて講演をした、その様子はNHKの番組にもなったという。このことから、知的な活動、社会的交流は認知症の進行を遅らす大きな要因になっていると考えられる。


著者はこの本で、認知症になると記憶は薄れてゆき、「今」の連続を生きているだけの存在に近くなっていく。しかし、人間の特徴は根底を貫いているスピリチュアルな存在であるという。認知や感情を超えたところにあるスピリチュアルな自己がある。この自己の本質はアルツハイマー病になっても変わらず、その人の崇高さは残ると書かれている。


私は著者が引用した幾つかの本の中で、フランクル (Viktor Frankl)の、『〈生きる意味〉を求めて』(諸富祥彦監修、上島洋一・松岡世利子訳、春秋社、1999年)を読んでみた。フランクルはアウシュビッツの収容所で生き残り、その体験を世界的に著名な『夜と霧』として出版した。フランクルはスピリチュアルな自己については直接述べていないが、人間として生きるためには、「生きる意味」が重要であるという。それは人によって違い状況によって違う。どんな状況であっても生きようとすることが大切なのだろう。なぜなら、本当に人間らしい、唯一無二の、生まれながらの真の人間であることは、変わらず残り続けるからだ。

©︎Y.Maezawa

臨床医が診たアルツハイマー病の人々

最後に、臨床医が認知症について書いた本から特に感銘を受けた印象について触れる。小澤勲『痴呆を生きるということ』(岩波新書、2003年)は出版されてから20年が経っており、丁度、患者の尊厳に配慮して「痴呆」という病名から「認知症」へ移行する時であった。この本は20年を経ても名著であると感じる。


認知症特にアルツハイマー病の症状は、教科書的に「中核症状」と「周辺症状」に分かれている。中核症状は記憶障害、判断力障害、見当識障害(何時、何処、誰だか分からない)などがあり、脳そのものの障害なので根治的な治療の余地がほとんどない。これに対して周辺症状は、妄想、幻覚、徘徊、抑うつ、不安、不眠などであり、症状を改善し、ケアの届く領域であるとされている。


周辺症状は中核症状からくる生活の不自由さ、患者が置かれている状況の困難さなど種々の条件が絡み合って生じるとされている。これらの症状は病気の時期によっても異なる。初期は健忘に伴う症状で、精神活動が活発な時期、中期は、見当識障害が明らかになり行動障害が活発な時期、末期は寝たきりになることが多く、失禁、嚥下障害が目立つという。これらの症状と過程は個人差が大きく一律には捉えられない。


認知症になっても自己の本質は変わらずに保持されるかどうかは大きな問題である。アルツハイマー病になってしまえば分からなくなるので、喜怒哀楽が薄らいでいくと思われがちであるが、認知症に病む人たちとつき合っていると、彼らの喜び、怒り、悲しみ、楽しみが見えてきて、彼らのこころの世界は正常人と地続きである、と書かれている。このことは、前述のパティがアルツハイマー病の患者の心の本質は変わらない、あるいはクリスティーンがこの病気による自己のアイデンティティーは変わらないと言っていることと呼応していると考える。

この著者は、なぜ周辺症状が現れるかについて臨床的に分析している。中核症状からくる不自由さ、置かれている状況の困難さ、に加えて高齢者が多いので、老いることに伴う喪失感が大きな要因であると考えている。これらの要因から生じる妄想が周辺症状の中心をなしている。もの盗られ妄想は女性に多く、男性では妻盗られ妄想があるという。徘徊にもいろいろな原因があるが、なじみの場所へ生きたい、女性では実家へ帰りたいなど「帰宅願望」、男性では現役時代の生きがいであった「職場」へ帰りたいと思う。


この著者の分析で、なるほどと思った周辺症状の由来について、「自分がやりたいこと」と「現実にやれること」とのあいだにギャップ、「自分はこうありたい」と思うことと、「現実の自分」とのあいだにズレがある。このギャップとズレが妄想などの周辺症状が生じる要因になっているだろうと指摘である。


認知症という病を受容すべきなのは、この病を抱えた本人だけではない。彼らと関わる人たち、さらに彼らが住む地域のコミュニティが、そして社会全体が、彼らを受容できるようにしなければならない。そして、認知症という事態を、生き、老い、病を得て、そして死に至る自然な過程の一つとみなすことができるようになれば、周辺症状は必ず治まり、彼らは認知症という難病をかかえても生き生きと暮らせるはずである、と書かれている。

認知症の患者などを多く診てきた臨床医である大井玄の『いのちをもてなす』(みすず書房、2005年)でも同じような考えが書かれている。認知症への対処で重要な「周辺症状」がどのような状況で現れ、どのようにすれば消えるか分かってきた。「彼らとのおつき合いを通じて、(自分自身が)認知症になることへの恐怖はほとんどなくなった」と書かれている。私も後期高齢者として生きており、最近、近時記憶であるエピソード記憶が落ちてきて、どこにものを置いたか忘れ、パソコンのどこに書いたか忘れるようになってきた。大井玄氏の言葉に大いに励まされている。

小澤勲氏は著書の最後で「私は今肺癌を病んでいる。全く無症状であったが、昨年の検診で発見され、検査の結果すでに全身は転移していることが分かった。告知を受け命の限りが近いことを知らされた。しかし、最初から大きな動揺もなく平静に事態を受けとめている。自分でも不思議であった。認知症を病む人たちとともに生きてきたことと、どこか深くつながっているように思う。彼らとともにいると人の生は個を超えていると感じる」と書いている。深い感銘を受けた。 

©︎Y.Maezawa

おわりに

私はアルツハイマー病と診断された人のその後の人生を想った。一番気になることは、『私は誰になっていくの?』というタイトルが示しているように、自己の本質が変わり、あるいは薄れていくのではないかという恐れである。パティがレーガン氏を観察した直観、クリスティーンの自分自身の体験、そしてアルツハイマー病の患者に寄り添ってきた小澤勲氏の体験から、この病気になっても自己の本質は変わらないと言っている。私は神経病理学の領域で研究してきたが、脳は一様でなく神経細胞が変性・消失し難い脳の部分、あるいはネットワークがあるのではないかと漠然と思っている。


認知症に「中核症状」と「周辺症状」があることは知っていた。周辺症状の中心である「妄想」が如何にして起こり、どのようにしたら起こらないようにできるのかが、最も重要な課題であり、それがかなり解明されつつある。そして認知症になっても、喜びも哀しみも伴うそれぞれの人生が続き、その第二の人生が大切であることを知った。

 (2022年3月24日)

©︎Y.Maezawa

(編集: 前澤 祐貴子)

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