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【寄稿A】⑩ 第5部 その2 がんと闘い克服した少年と高齢者 白梅ケアホーム 本郷輝明
時代への提言 | 2021.06.03

©︎Y.Maezawa

【第5部 】

がんと闘い克服した少年と高齢者

その2 

Qさんの場合

Qさんは現在96歳(男性)である。慢性腎臓病と慢性心不全で**病院に入院して、その後腎臓、心臓とも小康状態になったので、最後の療養の場所として私の勤めているケアホームを選び入所してきた。


入所時の面談で、本人から医大に医学生の解剖実習のために献体を申し込んでいると知らされた。献体申し込み者と出会ったのは初めてだったので、どんな考えで申し込んだか聞いたところ、「妻と一緒に30年前に申し込んだ。妻は8年前に腹部のがんで亡くなり献体した。84歳だったかな。死んだら死体ぐらい役に立たなくちゃ」とおっしゃった。Qさんは死後の身体にもご自分の意思を示すことができるしっかりした人だと思った。

入所後数日して部屋を訪れた時、週間**と**新聞が枕元に置かれており、お聞きするとこの二つは若い時から読んでいるとのこと。どんなところを読むか聞いたところ、「経済面には興味なく、主に社会面かな、以前は小説や政治欄を読んでいたが、今はほとんど社会面だけ」とおしゃっていた。また、枕元には5冊ほど文庫本もあり、何の本かと聞いたところ、五木寛之の『百寺巡礼』と半藤一利の『日本史が楽しい』だった。歴史が好きで、地域の歴史愛好家らの会にも参加して色々なところを訪れたりしていたとのことだった。


しっかりお話ができる方で、難聴もない。言葉も明瞭で聞き取りやすい。どんな人生を歩んできたか興味を持ってその後時間を見つけては部屋を訪れ聞くようにした。

©︎Y.Maezawa


Qさんのお父さんは農業を営んでいた(小作人で、戦後は農地改革で自作農になったとのこと)。Qさんは農家の5人兄弟の三男で当時の浜名郡**村に生まれた(兄弟は既に全員死亡したとのこと)。以下はQさんの語りである。


とても貧しい家庭だった。私は小学生の頃はおとなしい方で、劣等生だった。高等尋常小学校を卒業してすぐ名古屋の軍事工場で働かされた。当時は8割の人がこのコースだったね。

二十歳になり入隊したが軍事工場の重要工員だったので兵役延期願いが出され、3ヶ月だけ兵として訓練を受けただけで、戦地にはいかなかった。戦地に向かった同級生たちは戦地に着く前に輸送船が攻撃され沈没し亡くなった。若い人たちがそうやって沢山無意味に殺された。

そうこうしている時に終戦。戦後も名古屋で鉄工場の旋盤工として働いた。2000人程の大きな工場で、そこでは労働運動が盛んだった。20歳から23歳の頃で、口達者だった私は次第に先頭に立たされた。下宿(アパート)に学生がよく来て革命論などを議論していた。その頃は猛烈に勉強したね。弁証法的唯物論とかマルクス・レーニン主義とかを懸命に学んだ。

当時日本では労働組合運動が流行りで、青年部で『火花』というガリ版(謄写版)の機関紙を発行し、私が主幹となり鉄筆でロウ原紙に直接文を書き、手を真っ黒にして印刷し、工場の門の前で配ったね。首切り反対のストライキで、2000人の工員のうち労働組合の東大出の委員長、八高出の書記長など7人が首を切られたが、(理由はわからなかったが)私もそのうちの一人だった。

その後が一番大変だったね。2年間職に就けず放浪した。昭和25年の朝鮮戦争の時に特需があり、やっと仕事が見つかった。当時は紡績機器や航空部品の旋盤工として、また経営もしながら、注文に応じてなんでも作った。

そして28歳か29歳の頃結婚した。結婚して子供ができた頃の1960-1970年が人生で一番充実していた。昭和41年に女房の在所の浜松の**に戻ってきた。大阪万博に娘を連れて行ったり、東海自然歩道を女房と娘と3人で遠州周辺の山をよく歩いたりした。この頃が楽しかったね。女房は山歩きが好きで、当時東海自然道は整備されてきてブームだった。それをめぐってよく歩いた。

(©︎本郷輝明 ↓ Qさんと娘さんの写真。お二人から許可を得た)

山歩きの話をしている時に娘さんがタイミングよく面会のため部屋に入って来たので、その頃のQさんのことをお聞きしたところ、「今の父とは違って、しつけに厳しかった。母は山歩きが好きだったのでよく連れて行ってもらって3人で歩いたが、私が小学生の時で、歩くのがとても辛かった」とのことで、Qさんの印象とは異なり、笑いが起きた。


娘さんが買ってきたコーヒーとヨーグルト、串団子をテーブルの上にひろげると、Qさんは美味しそうに食べ始めた。「ここの施設の食事はまずいね。もう少しうまければ良いのにね」と率直に私に向かって感想を言った。今日は久しぶりの食欲である。

「父はコーヒーが好きなんです、お団子も」と言った後「**ちゃん(孫娘の名前)に子供が授かったようですよ」と報告した。Qさんの孫娘に、今年10月ひ孫が生まれる予定と娘さんが告げた時、嬉しそうに笑顔を見せた後、「それまで生きていられるかな」とポツリと呟かれた。

©︎Y.Maezawa

Qさんは60歳の時、直腸癌の摘出術と人工肛門作成術を受けた。さらに75歳の時、膀胱癌の手術と尿道留置カテーテルの導入を受けた。本人の印象では、はじめに受けた直腸癌の手術の時がとっても辛かったとのこと。「直腸癌についての病気と手術の説明を受けた時は仕方がないな、と思った。肛門の近くにがんができ、肛門も一緒に取ってしまった。そして大腸の一部を腹の外に出した。実際手術を受けてみると生きるか死ぬかだった。手術は4、5時間かかり術後がとても辛く大変だった」とおっしゃった。


人工肛門(ストーマ)をつけそのケアはご自分でされている。その十数年後、今度は膀胱癌の手術を受け、尿道留置カテーテルを置くようになった。留置カテーテルは3週間ごとに交換される。それから20年経過し、生活は外出など制限され不自由であるが、ご自分で好奇心を広げている。聞いて楽しむ日本の名作CDや、Qさんの若い頃に流行した田端義夫(名古屋の大須にある劇場に16、17歳の若い頃よく聴きに行ったとのこと)の「こころの昭和歌謡」CD5枚を手元に置き聞くなどして生活を楽しむ工夫をしている。

©︎Y.Maezawa

数日後再度訪室したところ、私に「おたくは昭和何年生まれ?」と聞いてきたので、「昭和**年です」と答えたところ、「そうか、大宅壮一の名付けた団塊の世代か。おたくが生まれた頃、私は二十歳前半で、その頃私も血気盛んで、労働運動を起こしていた。デモにも参加したし、大学まで行って講義も聞いた。若い男女が講堂を埋め尽くし、講師の先生がマルクスの話をしたね。私も熱心に聞いた」。


何回かお話をお聞きしていると、やはり若い頃の話が多い。特に労働組合運動の頃の激しく戦った頃の話が頻回に出てくる。Qさんの考え方を決定づけた青年の頃の思い出が本人にとっても印象深いのだと思った。

©︎Y.Maezawa

奥さんのことをお聞きしたところ、「女房は優しい人だった。浜松の**出身で、尋常小学校しか出ていない。名古屋の紡績工場の女工だった。当時の女性の多くは、尋常小学校を卒業すると遠州の紡績工場などで働くのが一般的だった。私の姉も紡績工場で働き、肺結核で亡くなった」。そして出会いについては「紡績工場の(同じ労働運動仲間の)労務課の課長が自分の会社の人を紹介するといって紹介されたのが女房だった」とのこと。

©︎Y.Maezawa


お話の中で、Qさんが「人生100年時代になったね。以前は長寿と言って喜ばれたが、今は老害と言われるようになった。世話をされながら生きるのは老害なのかな?老害と言われながら生きるのは少し辛いね」とおっしゃった。

この話をQさんがした時丁度娘さんが聞いていて、即座に「老害じゃないよ。私はお父さんに会いに来るのが楽しみで来ているの。もっともっと生きていて欲しいわ」と返答。


私は少し話題を変え、「あと4年で100歳になりますね。何かけじめとか、身辺整理とか、戒名とか考えていますか」とお聞きしたところ、「私は無神論者なので法名(戒名)は考えていない。残すものもないし、お金にも物にも財産にも執着していないので、特別心の準備はしていない。人生は、今生きているのが人生そのものだから。亡くなったら身体は学生の教材になれば良い」と明言された。

©︎Y.Maezawa


Qさんのような考え方と生き方をしっかり聞き、それを記録し残し、Qさんの孫の世代に伝えていくのも「現場を大切にし、現場から考える」私の役割ではないかと考えた。戦中戦後を真面目に生き働き、そしてお金や物(土地や家や財産)にとらわれない一人の庶民のまっとうな姿勢と生き方を学んだ。


「老害」についてQさんが言った時、娘さんが即座に否定したので、それ以上言及しなかったが、その後「老害」について考えてみた。そして多くの高齢者がこの考えに囚われていることに気がついた。以前お話したDさんも同じことをおしゃっていた。「自分の体が、起きるのにも人手が必要になり、それが辛い」と。この考えには高齢者が生きてきた資本主義社会の価値観が強く反映されていると思った。労働力としてもはや売る価値がなくなった人を、価値のない人として排除する考えだと思う。


人間の社会は、商品価値だけで成り立っているわけではない。多様性を保つことで次の世代の新しい価値や考えを生み出すことができる。労働力の低下した高齢者を「老害」として排除する思考は、多様性を保持することでかろうじて成り立っている現在の人間社会の未来を潰す考えだと思った。

©︎Y.Maezawa

(編集:前澤 祐貴子)


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