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『今、国学が呼びかけるもの』シリーズ ②: 松坂の一夜 〈物語風〉  
時代への提言 | 2021.06.02

©︎Y.Maezawa

松 坂 の 一 夜

 本居宣長は、伊勢の国(三重県)松坂の人である。

若いころから読書が好きで、将来学問をもって身を立てたいと、一心に勉強していた。

©︎Y.Maezawa

 ある夏のなかば、宣長がかねて買いつけの古本屋に行くと、主人はあいそうよく迎えて、

「どうも残念なことでした。あなたがよく会いたいとお話しになる江戸の賀茂真淵先生が、先ほどお見えになりました。」

と言った。

思いがけもない言葉に宣長は驚いて、

「先生がどうしてこちらへ?」

「なんでも、山城(京都)、大和(奈良)方面のご旅行がすんで、これから参宮(さんぐう)をなさるのだそうです。あの新上屋(しんじょうや)にお泊りになって、さっきお出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、お立ち寄リくださいました。」

「それは惜しいことをした。

どうかしてお目にかかりたいものだが。」

「あとを追っておいでになったら、たいてい追いつけましょう。」

 宣長は、大急ぎで真淵のようすを聞き取ってあとを追ったが、松坂の町のはずれまで行っても、それらしい人は見えない。次の宿(しゅく)の先まで行ってみたが、やはり追いつけなかった。

宣長は力を落して、すごすごともどって来た。そうして新上屋の主人に、万一お帰りにまた泊まられることがあったら、すぐ知らせてもらいたいと頼んでおいた。

©︎Y.Maezawa

 望みがかなって、宣長が真淵を新上屋の一室に訪(おとな)うことができたのは、それから数日の後であった。

二人は、ほの暗い行灯(あんどん)のもとで対座した。

真淵はもう七十歳に近く、いろいろりっぱな著書(ちょしょ)もあって、天下に聞こえた老大家。宣長はまだ三十歳あまり、温和な人となりのうちに、どことなく才気のひらめいている少壮の学者。

年こそ違え、二人は同じ学問の道をたどっているのである。

だんだん話しをしているうちに、真淵は宣長の学識(がくしき)の尋常(じんじょう)でないことを知って、非常に頼もしく思った。

©︎Y.Maezawa

話しが古事記のことにおよぶと、宜長は、

「私は、かねがね古事記を研究したいと思っておリます。それについて、何かご注意くださることはございますまいか。」

「それは、よいところにお気づきでした。

私も、実は早くから古事記を研究したい考えはあったのですが、それには万葉集を調べておくことが大切だと思って、その方の研究に取りかかったのです。ところが、いつの間にか年をとってしまって、古事記に手をのばすことができなくなりました。・あなたはまだ若いから、しっかり努力なさったら、きっとこの研究を大成することができましよう。

ただ注意しなければならないのは、順序正しく進むということです。これは、学問の研究には特に必要ですから、まず土台を作って、それから一歩一歩高くのぼり、最後の目的に達するようになさい。」

©︎Y.Maezawa

夏の夜はふけやすい。家々の戸は、もう皆とざされている。

老学者の言に深く感動した宣長は、未来の希望に胸をおどらせながら、ひっそりした町筋をわが家へ向かった。

©︎Y.Maezawa

そののち、宣長はたえず文通して真淵の教えを受け、師弟の関係は日一日と親密の度を加えたが、面会の機会は松坂の一夜以後とうとう来なかった。

 宣長は真淵の志を受けつぎ、三十五年のあいだ努力に努力を続けて、ついに古事記の研究を大成した。

有名な『古事記伝』という大著述(だいちょじゆつ)はこの研究の結果で、わが国文学の上に不滅の光を放っている。


(文部省昭和十三年発行『小学国語読本 巻十一』から。表記は現代風にしました。)

©︎Y.Maezawa

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©︎Y.Maezawa

浜松市立賀茂真淵記念館 

URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp

※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。

この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。

(編集:前澤 祐貴子)


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