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老成学研究所 > 時代への提言 > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ > 『今、国学が呼びかけるもの』シリーズ ②: 松坂の一夜 〈物語風〉
©︎Y.Maezawa
松 坂 の 一 夜
本居宣長は、伊勢の国(三重県)松坂の人である。
若いころから読書が好きで、将来学問をもって身を立てたいと、一心に勉強していた。
ある夏のなかば、宣長がかねて買いつけの古本屋に行くと、主人はあいそうよく迎えて、
「どうも残念なことでした。あなたがよく会いたいとお話しになる江戸の賀茂真淵先生が、先ほどお見えになりました。」
と言った。
思いがけもない言葉に宣長は驚いて、
「先生がどうしてこちらへ?」
「なんでも、山城(京都)、大和(奈良)方面のご旅行がすんで、これから参宮(さんぐう)をなさるのだそうです。あの新上屋(しんじょうや)にお泊りになって、さっきお出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、お立ち寄リくださいました。」
「それは惜しいことをした。
どうかしてお目にかかりたいものだが。」
「あとを追っておいでになったら、たいてい追いつけましょう。」
宣長は、大急ぎで真淵のようすを聞き取ってあとを追ったが、松坂の町のはずれまで行っても、それらしい人は見えない。次の宿(しゅく)の先まで行ってみたが、やはり追いつけなかった。
宣長は力を落して、すごすごともどって来た。そうして新上屋の主人に、万一お帰りにまた泊まられることがあったら、すぐ知らせてもらいたいと頼んでおいた。
©︎Y.Maezawa
望みがかなって、宣長が真淵を新上屋の一室に訪(おとな)うことができたのは、それから数日の後であった。
二人は、ほの暗い行灯(あんどん)のもとで対座した。
真淵はもう七十歳に近く、いろいろりっぱな著書(ちょしょ)もあって、天下に聞こえた老大家。宣長はまだ三十歳あまり、温和な人となりのうちに、どことなく才気のひらめいている少壮の学者。
年こそ違え、二人は同じ学問の道をたどっているのである。
だんだん話しをしているうちに、真淵は宣長の学識(がくしき)の尋常(じんじょう)でないことを知って、非常に頼もしく思った。
©︎Y.Maezawa
話しが古事記のことにおよぶと、宜長は、
「私は、かねがね古事記を研究したいと思っておリます。それについて、何かご注意くださることはございますまいか。」
「それは、よいところにお気づきでした。
私も、実は早くから古事記を研究したい考えはあったのですが、それには万葉集を調べておくことが大切だと思って、その方の研究に取りかかったのです。ところが、いつの間にか年をとってしまって、古事記に手をのばすことができなくなりました。・あなたはまだ若いから、しっかり努力なさったら、きっとこの研究を大成することができましよう。
ただ注意しなければならないのは、順序正しく進むということです。これは、学問の研究には特に必要ですから、まず土台を作って、それから一歩一歩高くのぼり、最後の目的に達するようになさい。」
©︎Y.Maezawa
夏の夜はふけやすい。家々の戸は、もう皆とざされている。
老学者の言に深く感動した宣長は、未来の希望に胸をおどらせながら、ひっそりした町筋をわが家へ向かった。
©︎Y.Maezawa
そののち、宣長はたえず文通して真淵の教えを受け、師弟の関係は日一日と親密の度を加えたが、面会の機会は松坂の一夜以後とうとう来なかった。
宣長は真淵の志を受けつぎ、三十五年のあいだ努力に努力を続けて、ついに古事記の研究を大成した。
有名な『古事記伝』という大著述(だいちょじゆつ)はこの研究の結果で、わが国文学の上に不滅の光を放っている。
(文部省昭和十三年発行『小学国語読本 巻十一』から。表記は現代風にしました。)
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浜松市立賀茂真淵記念館
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(編集:前澤 祐貴子)
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