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【寄稿B】 ❺ 『桜に寄せて』 西遠女子学園 学園長 岡本肇
時代への提言 | 2021.05.22

©︎Y.Maezawa

【寄稿B】

桜に寄せて

西遠女子学園 学園長

岡本肇

©︎Y.Maezawa

今年の桜は、早々と3月のうちに散ってしまった。

温暖化のせいか年々「開花宣言」が早くなっている気がする。

桜というとソメイヨシノが人気だが、ソメイヨシノは江戸末期にできた品種で、全国に拡がったのは明治になってからである。昔の歌人や俳人に詠まれている桜はヤマザクラやエドヒガン、オオシマザクラなどのはずである。

©︎Y.Maezawa

さまざまな事おもひ出す桜かな    芭蕉

芭蕉が「奥の細道」の旅に出る前に故郷の伊賀に帰って詠んだ句である。

夭折した二才違いの君主 藤堂良忠のことや、それを期に脱藩して俳諧の道に進んだ時のことなどを桜を見ながら思い出したのだろう。私達にとっても桜は入学や卒業、就職に転勤と人生の節目に重なってそれぞれに感慨がある。

桜には過去を呼び戻す力があるらしい。

©︎Y.Maezawa

淋しさに花咲きぬめり山桜     蕪村

山の中で木々に囲まれてひっそり咲いている山桜の孤独な姿に、自分の境遇を重ねたのかもしれない。芭蕉亡き後、衰退してゆく俳諧の世界で、蕉風再興のために孤軍奮闘した蕪村は「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」の句も残している。

©︎Y.Maezawa

©︎Y.Maezawa

死にじたく致せ致せと桜かな     一茶

一茶は継母との折り合いが悪く、十五才の時、信濃から江戸に奉公に出される。苦労と放浪の人生を送った後、五十一才で故郷に帰り、家庭を持つ。授かった子ども四人は次々と亡くなり、若い妻にも先立たれてしまう。「生き残り生き残りたる寒さかな」「置きざりにされる思いの寒さかな」と詠った一茶には、桜の花を見ても「死にじたく致せ致せ…」としか見えなかったのだろう。

©︎Y.Maezawa

老いてなお老いゆかんとした花吹雪    伊丹三樹彦

満開の桜が一陣の風に青空高く舞い上がる桜吹雪は壮観で美しく悲しい。「咲ちる」…咲いて潔く散る桜に比べ、老いてなお生への執着がある自分への恥ずかしさだろうか。桜吹雪の中に見える自分を置いて逝ってしまった人たちへの懐かしさだろうか。

©︎Y.Maezawa

骸骨のうへを粧うて花見かな     鬼貫

花見といえば浮世の憂さを晴らすためにあるようだが、どんな化粧をしても皮一枚下は骸骨である。一茶にも「世の中は地獄の上の花見かな」の句があるが、私達の命はいつも死と隣り合わせである。兼好が「死は前より来たらず、かねて後に迫れり」というように、死ぬことを忘れて、楽しいことや面白いことばかりに目がいってしまう。例年 桜の名所は大変な人出になるが、満開の桜を眺めて自分の命に思いを馳せる人はどれだけいるだろうか。

©︎Y.Maezawa

散る桜残る桜も散る桜     良寛

年をとると毎年多くの知人友人が去ってゆく。正月に賀状をもらった人の家族から、暮れには忌中の葉書が届くこともある。お互いの人生を振り返ってみれば、戦中・戦後・高度経済成長期・バブル崩壊・失われた二十年と様々なことがあった。自分個人を考えても「さまざまな事おもひ出す桜かな」でそれなりの事があったように思う。誰の人生も振り返ってみれば山あり谷ありで平坦なものではない。

良寛は人の一生を「裏を見せ表を見せて散る紅葉」と表現している。「散る桜」も「散る紅葉」も共に自分のこととして承知しておかねばならないと思う。

©︎Y.Maezawa

(編集:前澤 祐貴子)



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