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老成学研究所 > 時代への提言 > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ ①: 一期一会 賀茂真淵と本居宣長の「松坂の一夜」
(賀茂真淵:浜松市立賀茂真淵記念館 提供資料)
『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ
①
一期一会
(浜松市立賀茂真淵記念館 提供資料)
奇跡の「松坂の一夜(ひとよ)」
「冠辞考(かんじこう)が結ぶ真淵と宣長」
宝暦十三年(一七六三)五月二十五日の夜、宣長は憧れの真淵先生に松坂の旅宿〝新上屋〟で出会い、学問について教えを受け、弟子入りの内諾を得ました。この一期一会の出会い「松坂の一夜」がなければ「古事記伝」はできなかったとさえ言われています。
冠辞考 「真淵先生に会いたい」と宣長を熱望させたものこそ、宣長の膝の上の本、真淵の著書「冠辞考」でした。
万葉集などでの枕詞の用例や語源等の解釈を付けた本で、江戸での初版は宝暦七年(一七五七)六月。松阪で宣長が借覧したのが同年十月。三百部はなかったと推察される初版本が、宣長の目にふれたのは、奇跡に近いかもしれません。冠辞考を通じて真淵の学問にふれ、古代の言葉への造詣の深い学者がいることを知ったのです。宣長は著書「玉勝間」の中で、「(冠辞考を)見るたびに信ずる心の出来つつ、ついに、いにしえぶりの冠辞考は、枕ことばを五十音順に並べ、こころことばの、まことに然る事をさとりぬ」と記し、真淵の冠辞考から古事記の解読に向けての光明を得たことを述べています。真淵六十七歳、宣長三十四歳、老若二人の出会いが、師弟として共に学問を究め、その後の国学の大きな広がりへと進む起点となりました。
【真淵と宣長の出会いには伏線が…】
真淵は松坂に数日滞在していました。これは、史料探訪、古書の探索のためだったと推測できます。一方、宣長は、本屋「柏屋」に頻繁に出入りし、「真淵先生にお会いしたいものだ。」と述べていました。ここから、古書探索に訪れた真淵のことを、柏屋の主人が宣長に知らせ、二人は出会うことになりました。奇跡の出会いの裏には、学問探求への二人の思いという伏線があったともいえます。
【一口解説】 ※松坂=現在は松阪
(浜松市立賀茂真淵記念館 提供資料)
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浜松市立賀茂真淵記念館
URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp
※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。
この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。
※ この度 「2021年4月よりシリーズ開始」を”お知らせ”しておりました当コーナーですが、研究所側の事情により今月5月にずれ込んだことをご報告と同時にお詫び申し上げます。
(編集:前澤 祐貴子)
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