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【寄稿A】⑨ 第5部 その1 がんと闘い克服した少年と高齢者 白梅ケアホーム 本郷輝明
交流の広場 | 2021.05.21

第5部

がんと闘い克服した少年と高齢者

白梅ケアホーム 本郷輝明

今回は骨肉腫の克服を目指して右脚の切断手術を決断した少年P君と、がんの手術を2回受け現在96歳になった男性高齢者Qさんの話である。後半のQさんについては次回で取り上げる。

なお、P君については彼の母親から講演発表の承諾を14年前に得ており、Qさんからは本人と娘さんから老成学研究所HPへの発表の承諾を得ている。

その1 P君の場合

P君(男児)、9歳の時の3月右膝の少し上に痛みが出てきて、浜松の**病院を受診した。精査が必要と言われ、京都の**病院に入院し生検で大腿骨遠位部骨肉腫と診断された。その後同病院で抗がん剤投与を受けるも効果がなかった。右大腿部切除を勧められたが拒否し入院生活3ヶ月で退院し浜松に戻った。その後6ヶ月間民間療法と免疫療法を受けたが腫瘍は増大し痛みが増してきた。民間療法の先生には「がんではないので脚は切断しなくても治る」と言われ信じた(と後に母親は話してくれた)。いよいよ痛みに耐えられなくなり切開排膿のような治療を期待して浜松医大を受診した。抗がん剤治療と切断術が最善の治療法と話をしたが、本人も両親もこれらの治療を拒否した。2ヶ月後熱が出てきて痛みが強くなり耐えられなくなり入院した。


入院時にP君からゆっくり話を聞くと、「前の病院では病気のことは全く話してくれなかった。麻酔から覚めたら首から中心静脈カテーテルのくだが入っていたりして、自分が聞いていないことをやらされていて、とても嫌だった」と語ってくれた。さらに脚の手術について話し始めると、「足を取るくらいなら、死んだ方がましだ。調子が悪いから、話をしたくない」と言って布団にもぐりこんでしまった。

両親は「化学療法と脚切断しか方法がないことがわかった。本人は最後まで入院をいやがったが、連れてきた。治療を受けさせるので、お願いします。治療中断したことは、後悔していないし、一通り民間療法や免疫療法を試せてよかったと思う」と話されていた。


入院時医学的に評価すると、腫瘍が巨大化し、腫瘍熱がありさらに貧血、低栄養、出血傾向(DIC)、強い癌性疼痛も合併し重篤な状態であった。またほとんど寝たきりで筋力低下も認められた。P君は、病気の内容がわからないまま、あちらこちらで「脚を切る」等の恐ろしい話を聞き、その上病状が進行し苦痛も強くなり、一層不信感を募らせた。


そんな中、我々と両親は何回か話し合いをして、今後治療を進めるにあたってP君本人が主体であることを大前提とし、P君自身の意思を尊重することを本人と約束し、病名も含めて病気の中身と現状をP君にも告げること、病状は重篤だが、本人が前向きに治療していけるように医療者と家族が協力して働きかけていくことを申し合わせた。


入院後少し時間をおいて、抗がん剤投与開始時に治療の話をしに病室に行った。「脚の腫れと痛みがひどくなってしまった。前と同じような薬の治療が必要だ。できるだけ楽に乗り切れるように工夫することを約束するよ。治療にはP君の勝つぞという気持ちが必要なんだ。何でも相談しながらやっていこう」と話しかけると、P君は「薬はいやだけど、しょうがない。」とポツリと言った。点滴にも特に拒否はなかった。治療は、抗がん剤投与1週間、骨髄機能回復までの休薬2−3週間のワンクールを2コース行い、痛みは消失し腫瘍も縮小傾向を見せた。


この時点でP君も落ち着いて話を聞くようになってきた。「P君の病気のあし(脚)の腫れは骨から出ていて、骨肉腫というがん細胞がどんどん増えて固まりをつくり、骨を破壊する病気なんだ。抗がん剤の薬の投与をやめると、前のようにまた大きくなり薬だけで消し去るのは無理と思う。病気が抑えられている時に手術が必要になると思う。これからもP君とよく相談して決めるよ。」と説明した。P君からは「病気が骨からとは知らなかった。手術は絶対にいやだ」との答えが返ってきた。


3コース目の終了後にさらに話をする。「病気は、実は肺にも飛んでいる。脚は大切だが、薬で病気の勢いが抑えられている間に病気の元になっている右脚の付け根から手術で取らないと、もっと体に拡がってしまう。リハビリすれば、今の足よりも自由に動けるかもしれない。」P君「あしがなくなるなんて想像できない。手術はこわいからいやだ」と答えたが、説明をじっと聞いていて、拒否的態度はなかった。そして2週間後にはポツリと「やっぱり手術やらないとだめかなあ」と母親に語っていた。


肺転移が消えた3コース終了時点での右大腿骨切除術が理想だったが、P君の決意がまだだったので、さらに4コース目の抗がん剤投与を行った。4コース終了後に主治医が「たいへんな手術だから、P君の決心がしっかりしていないと乗り越えられないけれど、手術するのはどうだろうか?」と聞くと、P君一言「がんばる」と答えた。


我々医療者にとっても、医療者側の本音を語りながら患者の本音に向き合い、治療をしっかり受け入れてもらうことは、相手が子どもでも同じである。コミュニケーションとは両者の心身を総動員して、時には時間をかけて行っていくものだということを痛感した。短時間で結論を出そうと焦ってはならない。決心するまで時間が必要である。


手術翌日、ICUで目が覚めた時P君がまず訊ねてきた。「脚なくなっちゃった?」 「なくなっちゃったよ。でも病気も全部とれたよ」。そして術後1週間目になり、「こわい。傷見たくない。どうなっちゃうんだろう」。


術後2週間目には体力も回復し院内学級(たんぽぽ学級)に通えるまでになった(おそらくそれまでに、あしのない自分の全身像を鏡で見たのだと思う)。院内学級に術後初めて登校した日に、友達から「P君の右脚がない」と言われて、P君は涙ぐみながら「右脚に悪い固まりができて、脚をとらないと体にひろがって大変なことになるところだったんだ!」と自分の病気を自分で説明した(このエピソードは後ほど、院内学級の先生からお聞きした)。


そして術後3週間してのち、さらに抗がん剤投与を3コース施行し、その間義足歩行を確立し、術後5ヶ月後(入院してから1年後)に退院した。

退院間近になった日に、たんぽぽ学級の親友が元気になったP君の松葉杖姿を歌にした。それが以下である(『「たんぽぽのうた」─院内学級の子供と短歌─』市川恵美作・編、平成16年1月31日、天象短歌会発行、p.35)。


退院しいじめられたらこうやって松葉杖もち撃つ真似をする


P君はその後大学受験に合格し、大学生になり下宿のため一人で横浜に行った、と母親からその後の歩みを聞いた。

手術の時しっかり向き合ってよかった、と安堵し、一人の少年の悩みと真剣に取り組むことの大切さを教わった。

※『たんぽぽのうた』からの引用と表紙の写真に関しては、編者の市川さんから承諾を得ている。

その2 Qさんの場合

がんの治療のうち手術療法は確実で最良な方法だが、がんが発生した臓器とその機能を全部あるいは一部を取り除いてしまい、その部位の機能を損なう危険性がある。P君のように四肢に発生した場合は進行度合いによってはその脚を取り除くことが必要となる。Qさんの場合は肛門と膀胱の摘出が必要だった。

(次回に続く)


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