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【寄稿B】 ❹ 『たのしみは』 西遠女子学園 学園長 岡本肇
交流の広場 | 2021.03.12

たのしみは

西遠女子学園 学園長 

岡本 肇

以前の話だが、日本の首相がアメリカを訪問した時、クリントン米大統領は歓迎の席で

「たのしみは 朝起きて 昨日まで無かりし花の 咲けたる見る時」

という日本の和歌をスピーチの中に引用した。

その意図は分からないが、多分 日本はこんな奥ゆかしい文化を持っている国だと持ち上げながら、貿易摩擦だ、 為替相場だ と経済に狂奔している日本人をやんわり牽制したのかもしれない。

問題は

日本人のほとんどがこの歌の作者を知らなかったことである。

これがきっかけで忘れられていた歌人、

橘 暁覧(たちばな あけみ)

を私たちは知ったのである。


曙覧は福井の人で、幕末の1812年に生まれ、明治維新の年に亡くなっている。

家は商家だったが、家業財産を全て弟に譲り、自分は山の中に隠遁して 歌や国学の研究に専念した。

後に正岡子規が「曙覧の歌想は万葉より進みたる処あり」と高く評価したので世に知られるところとなった。

「たのしみは」で始まる和歌を沢山「独楽吟歌集」に残しているが、その中の一首が冒頭の歌である。

幕末の世情騒然とした中で清貧な生活に甘んじて自由な一生を送ったのである。

福井藩主で幕末の名君といわれた松平春嶽が野遊びに出かけた時、曙覧の家を見つけて 立ち寄った時のことを書き残している。

「小さな板屋の惨めな家で、囲いもなく、片付けもしないのか そこかしこに塵埃が山をなしている。柴の門とてなく 心許ない気持ちで中に入った。壁は落ちかかり、障子は破れ、雨の滴るような有様ではあるけれども、机上にはおびただしい書物が積んである」と書かれている。

鴨長明や吉田兼好など世捨て人の家は方丈の庵であっても 独り身だったから 小綺麗だったろう。

しかし 曙覧の家は「独楽吟」を見ると

   たのしみは 妻子(めこ) むつまじく うちつどい

   頭ならべて ものをくふ時

   たのしみは まれに魚煮て 児等(こら)が皆

   うましうましと いひて食う時

とあるように 世帯持ちで子沢山だった。

狭いあばら屋に子どもが大勢いて 足の踏み場もなかった様子が想像できる。

     たのしみは 珍しき書(ふみ) 人にかり

     始めのひとひら ひろげたる時

     たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に

     我とひとしき 人を見しとき

家族の大勢いる中で泰然と机に向かう姿が浮かんでくる。

春嶽はわざわざ着物を粗末なものに着替えて 虱(しらみ)でも出てくるのでは と思いながら 曙覧と向き合って話すと その教養と心の気高さに打たれる。

「自分は高貴の身であり、何一つ足らぬものとてない身の上であるけれども、その屋に万巻の書物の蓄えもなく、心は寒く、貧しく、曙覧に劣ること言うまでもないから、顔が赤くなる気持ちがした」と書いている。

その後、春嶽は曙覧に城中に伺候するようにすすめたが、最後まで固辞して受けなかった。

「錦を着て憂える人あり、水を飲みて笑う人あり」と言うが、「独楽吟」の曙覧の「たのしみ」を見ると 日常の生活の中の小さな喜びである。幸せや喜びを遠くに求める人より、身近に発見する人の方が幸せかもしれない。

よく見れば なずな花咲く 垣根かな

芭蕉















 
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