交流の広場
老成学研究所 > 時代への提言 > Coming Topics > 《シンデレラ母性》 ⑴ 母性の危機?
母性は危機に瀕している?
シンデレラは母性というガラスの靴を履き違えてしまったのだろうか?
区分、シェア、分業、効率化、機能化という時代現象が女性を後押し…
結果的に stylish, cool handsome, effective, elegantly free な時間のつなぎ合わせが『望みたい』goalであるかと思わせるような昨今である
幅のあるchoicesや努力結集の結果報酬は当然一人の人間として目標としたい
人間誰しも一つの身体が1日24時間という時間を生きている
考えるべきは『母性』の担保である
特に受け取る側からの問題を考える必要はないだろうか?
誕生以来未だ自らの判断で取捨選択が出来得ないいわゆる(生物学的な意味での)乳幼児にとって”母性なるもの”は一体誰から/いつ/いかに受け取ればいいのだろうか?
社会、代替機関、代理人…即ち行政のレールに乗せることが正解なのだろうか?
『母性』とはそういう割り切れるもの、代替補完できるものなのだろうか?
全ての始まりは母なるsomethingからの育み、継承を基準軸にする。
ここがブレた生物は人間に限らず常に母性回帰ループを訪ね歩く生と
なる。その意味で原始的ではあるが母性は必要不可欠な社会インフラ
とも言える。