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【竜ヶ岩洞:74歳からの洞窟掘り 戸田貞雄翁】シリーズ No.1: 「自分への約束」
時代への提言 | 2024.02.14

【竜ヶ岩洞:74歳からの洞窟掘り 戸田貞雄翁】シリーズ

No.1

自分への約束

©︎戸田達也

男は 一人 

立ち上がった

齢は 70を超えていた

人生 最後の闘いから

降りる気は なかった

©︎戸田達也

妻も 子も 家族は全員 猛反対

友人たちも 無駄だ と全く話に乗らず

世間も 気が違った と思った…そうな

たった一人の 孤高の闘いに なる…

それでも 男にためらいはなかった

自分への約束が あった

そこに 全てをかけきることに 疑問はなかった

最後の約束は 破れない

闘いは 精神的なものだけではなかった

幼少より鍛え抜かれてきた身体とはいえ 齢 70を超え
岩石を掘削·運搬する作業は 厳しいものでしかなかった

洞窟内は 泥、水で そっくり ぬかるみ状態…

狭く冷たい暗黒空間に 潜り浸り

 なんとか 1日 数十センチが やっと…

入口から30m掘り進むのに 4ヶ月かかった

©︎戸田達也

一人では

スコップ、つるはし、一輪車

これが 穴の中で 使える道具

”穴”に 終日 籠り

つるはしで砕き

スコップですくい

一輪車で運び出す

延々と 繰り返す

全身は 1時間で 泥の塊 と化した

そんな男が…20世紀末期 この日本に 

まだ 存在した

「やる」 という 二文字の意味を 識る 

ここに 一冊の本がある

我 地底の 楽園を 見たり*

この著作*を基に 稀有なる男の生き様を通し 

地の華がほころんだ 男の精神の華を 

愛でたい

* 「我 地底の楽園を見たり ー竜ヶ岩洞所長 戸田貞雄翁伝ー」

昭和60年 10月 発行・(株)東方新報社 

編著: 竜ヶ岩洞所長 戸田貞雄伝編集委員会

初回は 戸田貞雄 70歳からの挑戦 序盤 を扱う

静岡県 引佐郡(いなさ) 引佐町 竜ヶ石山にある 

竜ヶ岩洞(りゅうがしどう) 

東海随一の観光鍾乳洞**として 名を馳せる


** 鍾乳洞: 石灰岩で山が形成 が第一条件、落ち葉で腐葉土が堆積 が第二条件。

雨水が腐葉土層に染み込み 酸性化し 山のカルシウムを溶かし 含む。

その溶液が 地中の空洞に滴り落ち 空気に触れると 

再び固まる化学反応を起こすと 鍾乳石となる。

放置されていた 標高 約359mの 小さな石山…

郷土の発展に貢献したい

という 戸田貞雄の強い想い は

この竜ヶ石山の地の底には 必ず 華が咲いている」

という 信念 に昇華する

 

「オレのことは 病気と思って 諦めてくれ」

と 言い放ち 入山

元々は 地元では ”石山”と呼ばれる 採石場

大正時代から セメント用の石灰採掘、 護岸・道路工事用の採石 が行われていたが

その品質に難、 コンクリートブロックの普及も相まって 閉山、

石山は お荷物となっていた…

 

竜ヶ石山は 見捨てられ 荒れ果て 忘れられていた

「町の人に喜んでもらえる場所にしなければならない」 

という 戸田貞雄 最後の責任感が

石山の再開発を 決意させる

1977年 戸田貞雄 70歳は 

突然 名古屋大学 地質学の専門家 塩崎平之助 教授を訪ね 

鍾乳洞についての教えを乞う

と同時に

現地調査を依頼


地質学のことなど 何も知らなかった…

しかし

翌年1978年夏 塩崎教授の綿密な石山調査が 実施され

「地形的に 奥に 花(鍾乳石)が咲いている可能性が高い

という言葉が 発せられる

これ…こそが その後の支え となる

全ての役職***を辞め 家督を息子に譲る

*** 戸田貞雄は 戦後 戸田製材を開業、その後 奥山村損壊議員、奥山木材(株)創設・社長、奥山村観光協会設立・会長、引佐町々議会議員、西四村区副区長、引佐町観光協会奥山協力会々長、引佐町消防団長、(株)戸田建設 設立・社長、引佐長商工会々長、引佐郡木材協同組合組合長、西四村自治会長、引佐町自治会々長、住友セメント栃窪原石山土地買収(開発)委員長、奥引佐観光開発組合 創設・常務理事、引佐土地開発(株) 設立・副社長、「山の家」開店、奥引佐観光開発(株)発足、遠州鉱山有限会社 設立・社長、(株)奥山高原 設立、三ヶ日インター風越線開発促進連盟 委員長…等を務める。

公職略歴としては 青年学校 指導員、奥山村役場 事務員、奥山中学校PTA 会長、奥山村村会 議員、奥山村観光協会 会長、奥山中学校PTA 会長、引佐郡交通安全協会 会長、引佐町観光協会 副会長、引佐町町会 議員、引佐町消防 団長、引佐郡木材協同組合 組合長、引佐町商工会 会長、奥引佐観光開発組合(山の家)専務、三ヶ日インター風越線開発促進連盟 委員長 を歴任。

「なんとか もう一度 山を蘇らせる」

1981年6月 戸田貞雄 74歳は 一人 石山を掘り始める

周囲の反対****は ますます激しくなり 

戸田貞雄は 家を出て

石山の入り口近くの旧事務所で 住み込み自炊生活を始める

事務所脇には 長期戦に備え 野菜も植えた

**** 戸田一族にとっては 不況下 (株)戸田建設 運営を担い 当該業界の厳しさを反映した経営状況。 あてのない鍾乳洞掘りが 道楽を超えた暴挙 と映ったのも 無理はない 

自らがお祓いをし お神酒をいただく という

神主も来ない起工式を済ませ

一旦 行動を起こすと 一歩も引かない気力を持つ 古希 70歳を越えた 戸田貞雄翁は 

頑固に 自分の意志を貫く

「責任は 果たさなければならない

たとえ 誰の協力がなくても

一人で やれるだけのことはやる」

戸田貞雄の 人生哲学…

密かな決意だった

この状況のベクトルを変えたのは 

二人の若者たち だった

いつの世も 若者が 変えていく

素晴らしく頼もしい新しいエネルギー

受け継ぐのは 若者

次回は 『志を同じくする結集の力 と その波及力』。 

どうぞ ご期待ください。

©︎Y.Maezawa

尚 本シリーズにおきましては 戸田貞雄氏の直系の御子孫であられる 戸田達也氏(株式会社 戸田建設・竜ヶ岩洞 代表取締役)のご承認とご協力のもと 進めさせていただいております。

(記: 前澤 祐貴子)

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