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核融合科学研究所3️⃣:⑵哲理人Profile No.3 高畑一也  核融合科学研究所 対外協力部長&総合研究大学院大学装置工学・応用物理研究系 教授
時代への提言 | 2021.05.27

《はじめに》

未来社会を持続可能にするためには その重要な条件群の一つであるエネルギーについて考えねばならない。

本シリーズは、老成学研究所が核融合科学研究所と合意の上 ”核融合” という新しいエネルギー確保の道を多様な観点からご紹介・情報発信することを目的としている。

以下、掲載されている写真/画像群については、核融合科学研究所の許諾のもと、核融合科学研究所管理下の写真/画像群を使用させていただいていることを予めお断りさせていただきたい。


(核融合科学研究所 資料提供)

哲理人 Profile No.3

核融合の構図を決めた男

自然科学研究機構 核融合科学研究所 対外協力部長

国立大学法人 総合研究大学院大学 装置工学・応用物理研究系 教授

高畑一也


真 副 添え

華道 草月流には3本を軸とする基本形がある。

その3本の種類、長さ、角度さえ決めれば あとは追加の花々を放り込めばいい、とする。

真、副、添え

構図を決めるのはこの3軸である。

ことを進める際にはこの考え方は万事に通ずる…

真、副、添え。

真だけでは形は決まらない。

副や添えがあって 初めてことが進む構図が描ける。

(核融合科学研究所 資料提供)

タカハタサン

それは核融合研究所が位置する土岐市、多治見市、瑞浪市、三市の地元住民の方々にとっては

核融合科学研究所と同じ意味をもつ言葉だった。

タカハタサンを通して…

タカハタサンの活動を通して…

タカハタサンと共に何かをやりながら、その間のふとした時に日頃からよくわかっていなかった疑問をぶつける…

そして 親身な語り口で 自分たち側に立った共通の目線からの 丁寧な回答をきく…

そういうことの繰り返しと継続によって人々は単に理解しただけではなく、納得し、安心した…


タカハタサンが言うなら、そうなんだろう…と。

間違いない… と。

(「LHDの実物大模型と一緒に」 高畑一也氏 資料提供)

タカハタサン

高畑一也

核融合科学研究所、国立大学法人 総合研究大学院大学 装置工学・応用物理研究系 教授でありながら、対外協力部長を努めるそのひとは、間違いなく核融合実践の未来に向けて位置付けられた重要な実験 、重水素実験の着火ボタンを押した一人であった。


(↓ 高畑一也氏 資料提供)

高畑一也…

つまり、核融合分野における重水素実験を可能にした重要キーマンである。

(核融合科学研究所 資料提供)

2017年3月7日 重水素実験開始の着火が行われた。

成功裡に終わった着火とその後の実験結果がもたらした功績は確実に日本のみならず世界の核融合分野の発展に大いに貢献した。と同時にこの実験に漕ぎ着けるまでに過ぎ去った年月の終わりと地元住民のサポートを伴いながら進めていくこれからのスタートを告げた。

(核融合科学研究所 資料提供)

核融合(反応)によるエネルギーの創出には高温プラズマ状態が必須条件である。理論・計算による緻密なシミュレーションを経た後には、実際の実験による証明と検証が行われなければ実践段階、すなわち核融合産業には進めない。

そして核融合科学研究所の目標は人類の社会活動の源泉であるエネルギーの創出・担保である。研究所として実践レベルにおけるリスク管理とより効率的な方策を実験レベルで確認する底支えの並走を維持・継続する責務を半永続的に担うものの、核融合産業の確立とその成果の社会還元を達成しなければ 研究所の設立意義を達成したことにはならない。

その過程の中でも重水素実験は大きな段階を踏み越える実践に向けての欠かすことの出来ない重要なturning pointであった。

核融合科学研究所においては 今から約40年前の1980年、学術審議会にて「大学などにおける核融合研究の長期的推進方策について」建議されたことを機に核融合科学研究所の設立、実験棟(大型ヘリカル装置/LHD)完成、LHD実験開始と核融合分野確立のため歩を進めてきた。1980年の着想から1998年4月のLHD実験開始までざっと約20年が流れた事になる。

核融合エネルギー社会を実現化するためには上述の高温プラズマ状態を『1㎤あたり100兆個以上の密度で1億度以上にし、1秒以上閉じ込めなければ』ならない。 

(「未来のエネルギーを創るプラズマ研究」 P.06 抜粋)

すなわち次段階はプラズマ温度の上昇によるプラズマ性能の向上が必須となった。

そこで 重水素実験 という選択肢が浮上した。

「普通のガスより重い重水素を使うと、プラズマの性能が向上し、より核融合条件に近い高温・高密度のプラスマ」が実現する。

(「未来のエネルギーを創るプラズマ研究」 P.10 抜粋)

※ 量子科学技術研究開発機構の装置や諸外国の装置は、重水素実験によるプラズマ性能の向上が確かめられています。実際に、LHDで重水素ガスを用いた実験を行ったところ、軽水素ガスを用いた実験では困難であったイオン温度1億2千万度のプラズマの実験に成功しました。

(「NIFS 2020▶︎2021」 P.25 抜粋)

その重水素実験を進めるには、大きく3条項を満たさなければ実験には着手できない行政的手順があった。

以下を遵守する決まりとなっている。

1. 関連法案

      放射性同位元素などの規制に関する法律等

※実験に用いた重水素ガスの大部分はそのままで変わりませんが、ごく一部が核融合反応を起こして、微量の放射性物質である三重水素(トリチウム)が出来、放射線である中性子が発生します。

2. 協定書 及び 覚書

核融合科学研究所 周辺環境の保全等に関する協定書(2011年3月)

核融合科学研究所 周辺環境の保全に関する覚書  (2011年3月)

3. a 安全管理計画 

大型ヘリカルコイル装置における重水素実験の安全管理計画 〈改訂版〉 (2010年2月)

 b 安全監視委員*会が行う監視・測定に最大限協力

       *…岐阜県、土岐市、多治見市及び瑞浪市が共同設置した第三者による委員会

(「未来のエネルギーを創るプラズマ研究」  P.11抜粋)

《重水素実験の計画補足》

2017年3月から開始された重水素実験は、2017年を初年度として、前半6年間、後半3年間の合計9年間の重水素実験を計画しています。



1998年のLHD実験開始より さらに20年の月日が過ぎていた。最後の山は核融合科学研究所が位置する地域、土岐市、多治見市、 瑞浪市の地元住民に実験の賛同を行政的にいただくことだった。

(対地域住民説明会にて 高畑一也氏 資料提供)

その山を地域に溶け込み、住民と共にあることで核融合の意義、安全性、未来への投資であることを伝え、理解し、賛同にまでこぎつける…

(地域の夏祭りにて 核融合科学研究所 資料提供)

それを心からやり遂げることで

山を崩したのが タカハタサン である。

真似できない唯一無二の働きである。

(地域の夏祭りにて 竹入康彦 第5代前所長と / 核融合科学研究所 資料提供)

その人は 少年のようなはにかんだ笑顔で「僕のやってきたことが 役に立ったなら…そう思ってもらえるのなら嬉しい。」と呟く。

何度もこうも繰り返した…「未だに 何故 僕が(対外協力部総括に)選ばれたのか わからない…」、そして「今さら…もうきこうとは思わない」と笑う。

※ タカハタサンが広報関係の仕事を始めたのは2006年、広報室長としてであった。その後、広報室長、対外協力部長と今に続く。

核融合科学研究所の広報担当部署は、2006年 広報室、2009年 広報部、そして現在の対外協力部がその体制を強化して、2016年4月に正式に設置された。

核融合研究と研究所の研究活動や成果を広く社会や国民に知っていただくことが目的だ。一般の方々に研究への理解と最先端科学への関心を持っていただいたり、将来の研究者育成につながる活動が多くの職員により多様に展開されている。

その主な活動は 大きく5項目に分類される。

   ・地域連携室

        地域との対話、市民説明会

   ・コンテンツ制作室

        印刷物、ホームページなどで研究所活動紹介

   ・イベント企画室

        オープンキャンパスなどイベントの企画・運営

   ・広報見学室

        施設見学案内、見学者への広報活動

   ・アウトリーチ活動推進室

        所外での展示などのアウトリーチ活動

(「NIFS 2020▶︎2021」 P.29 抜粋)

(「LHDと一緒に」 高畑一也氏 資料提供)

突然の電話からそれは始まった。 対外協力部の長、着任依頼。

自称はずかしがりや、ひとと話すのは苦手、研究室ではずっと一人で過ごし 研究にだけ向かい合っていた自分に白羽の矢がたったこと、対外協力部の長を任された驚きは大きかった。

(核融合科学研究所 資料提供)

対外協力部とは上述の機能を現在担っているが、 タカハタサンが着任依頼をされた当時はその内容は文字通り「対外的に活動する」 というお題目以外は手探りの暗中模索の状態であった。

実質的には 核融合社会の実現を目し、理論的/実験的検証を重ねる核融合科学研究所においては 周辺地元住民にこの研究所の意義と意味、併せて 計画している実験施行における行政的賛同を得、実験の実施可能条件を満たさせる役割を担う方向性を打たなければならないことだけは解っていた。

核融合科学研究所の活動を理解し、納得し、応援していただける民意に周辺地域をもっていくことにある。

核 というワードが入っただけで全面的に拒絶反応が発生しやすい現代日本の実情において 核爆弾や核弾頭、核分裂とは目的も原理、内容も全く異なるものであることを科学的にも理性的にも感情的にもご理解いただく段階にまで民意をもっていく必要がある。

何をしたらいいのか…何が正解なのか…どうしたら任務を果たせるのか…自問自答しても答えはでない。手探りの雲をつかむような対人関係の樹立に苦悩する。

地元住民対象の説明会、講演会…何回、何十回 誠意を込め、易しく理論的に科学的仕組みや内容を説明しても手応えがないばかりか、「やっぱりわからない」との反応をいただく日々が続いた。

(核融合科学研究所 資料提供)

中身ではなく、理屈でもなく対人間として向き合う、付き合う、話をする でなければ響かない と気づけたのはかなりの失敗経験を積んだあとだった。精神的に追い込まれ、病院に通ったり、顔面が片側だけ痙攣することもあったそうだ。ようやく辿り着いた境地は、まず「自分をさらけだそう」という人間としてのありかたの変更だった。

まず自分という人間を知っていただこうとブログを3つ*開設し、核融合とは異なるトピックも交えて発信し始めた。

* 最初に情報配信し始めたブログ(以下①)は残念ながら休止となりました。故に現在は2つ(以下②、③)となっています。

① JANJANブログ…全く違うジャーナリスト集団にも足を踏み入れた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/JanJan

②『星のかけら 核融合』…核融合に関して

https://marumaru-yamane-fusion.blogspot.com/

③『星のかけらブログ』…核融合以外に関して

https://hoshikakera.hatenablog.jp/

核融合科学研究所の発信媒体からは、毎号 研究所内の自然や動植物のネタに写真を添えた「へりかちゃんからのお便り(旧プラズマくんだより)」、「さんぽみち」などの万人に愛されるコーナを継続配信してきた。

※ 上記2コーナーをご覧になるには 核融合科学研究所ホームページ内「一般の方へ」にアクセスしてください。

https://www.nifs.ac.jp/

MINOLTA DIGITAL CAMERA

(高畑一也氏 資料提供)

特に自然の風景の時は 週末 ご夫婦で散策しながら写真を撮りためたそうだ。

研究所のある土岐市を中心に 地元の方々にお便りを ネット配信にまかせず紙媒体で 隔月 新聞に折り込んだ。核融合の難しいことはわからなくても住民が親しくしている動植物に関する情報は喜ばれた。徐々に ”核融合のひと”ではではなく、対外協力の担当者でなく、タカハタサンならば   が定着し始めた

タカハタサが言うならば

タカハタサンがきいてくれるならば

という入り口が出来た。

研究所はその敷地内も食堂も開放されている。勿論 securityの問題はあるものの

「タカハタサンに研究所の花を見せてもらいに来た」と言えば、”タカハタサン”は何をおいてもかけつけ、飛んでいった。なかにはついでに研究所内施設を見学してくれる人もでてきた。喜んで案内した。研究所内の食堂に食事に来られもした。

研究所と地元の人びとの間にあった垣根が”タカハタサン”というキーワードで崩れていった。

昔、土岐市に赴任して間もなく、自動車教習所で「きない!」と教官にいくら怒鳴られてもそれが”黄色”を意味するとは全く結びつかず 暫く叱られっぱなしであったことなどが嘘であるかのように…地元に溶け込んだ。


振り返れば 「核融合は決して危険な反応ではないため きちんと科学的根拠、説明、論理性を話せば理解していただける」 と信じていた。が、現実はそんな簡単なことではなかった。地元の方々が信用したのは人間タカハタサンへの信頼だった。このひとがいうなら間違いないのではないか という極めて本能的な勘とでもいえる非科学的判断だった。しかし それだけに それを勝ち取るのはそう簡単なことではなかったのである。

「本当に研究時間は減りました。本当に減りました」という言葉を聞いた時は胸が詰まった。核融合に夢を抱き、研究者としてこのbig project に携わることに使命感をもって臨んだ。多くの時間が対外協力という名の地元対策についやされる日々は研究者としてほぞを噛む想いの日々もあったのでは と推察する、

(核融合科学研究所 資料提供)

タカハタサンは 重水素実験実現に大きく貢献する。

(核融合科学研究所 資料提供)

そのタカハタサンはこう言う。

「廊下を歩いていると 研究者仲間が僕を避けてきる気がする、笑」

「いつ あとを宜しく! ナンテ肩を叩かれないか と恐れているのではないか」と。

また こうも言葉を継いだ。

「この仕事はまだ若い研究者にはさせたくない…」

その言葉のウラに秘められた苦悩が読んで取れる。

(核融合科学研究所 資料提供)

タカハタサン、高畑一也教授。

生まれは兵庫県相生市。

穏やかな瀬戸内で重工業の工場が乱立し 漁業の栄えた豊かな地域。

そこで生きる姿勢として父親の影響を強く受けた。

少年の頃、石川島播磨重工業で造船関連に携わっていた父が造船所を見せに連れていってくれた。

巨大な船のエンジンの塊をみて

「親父よりでかいものを作る 。」

と心に決めたらしい

(↓ 「本の切り取り部分」 高畑一也氏 資料提供)

高校生の頃 なぜだかブルーBOOKSの三角のおまけ切り抜きを集めることにはまる。 何枚か集めて送ると新書用のブックカバーに交換された。

結果 枚数を増やすために次々とシリーズを読み進めることとなった。商業ペースにすっかり乗ってしまった!

そんななかに 運命を導く一冊が紛れ込んでいた。

(高畑一也氏 資料提供)

吉川 庄一著 「 核融合への挑戦 (ブルーバックス)」(講談社、1974年)である。

(↓ 「石油がなくなる時期」 高畑一也氏 資料提供)

高校時代に出会った この中の文章が未来を決め、一途に夢を追いかける生き方を選ばせる。

P.18、L.2

「今世紀中に全部石油を使い尽くすことになる」

(↓ 「核融合の完成時期」 高畑一也氏 資料提供)

P.198、L2〜3

「核融合は、もし順調にいけば、二十世紀の末期に完成を見、二十一世紀にはこれによって比較的クリーンで、豊富なエネルギー源が得られることになろう。」

大学は大阪大学大学院工学研究科原子力工学専攻であったが後期課程で中途退学する。なぜならば、ちょうど1989年に核融合科学研究所が9年の準備期間を経て名古屋市千種区に設立されたからである。

高畑青年は飛び込む。

(核融合科学研究所 資料提供)

面白い話がある。高畑教授は核融合科学研究所への就職*初日を鮮明に覚えているのである。

1989年度予算案は消費税3%導入をめぐり揉めに揉めた。年度予算成立は大幅に予定を繰り越して衆議院を通過、その後1ヶ月たってやっと参議院を通過した。文部省(現文部科学省)管轄下にある自然科学機構 核融合科学研究所は国の年度予算が成立しなければ発足できない。年度予算、消費税3%法案、核融合科学研究所 全てが成立したのが1989 05 29であった。

* 高畑教授は核融合科学研究所発足と同時に、大阪大学を退学し、助手として”就職”する。工学博士は退学までの研究をまとめ、後日(1990 11)大阪大学から授与される。

(↓ 核融合科学研究所 資料提供)

高畑教授のもう一つの顔は 国立大学法人 総合研究大学院大学 において物理科学研究科 核融合科学専攻 装置工学・応用物理研究系に所属する教授である。大型超伝導コイルの高性能化について教育・研究指導を行う。

(↓ 核融合科学研究所 資料提供)

核融合科学研究所では世界最大級のプラズマ生成装置「大型ヘリカル装置(L HD)」の建設に従事した。主に超伝導コイルの設計・製作を担当する。

(↓ 「超伝導体」 高畑一也氏 資料提供)

この断面の一つのピースの中に100本もの極細線が詰まっている。

そしてヘリカルコイルとしてプラズマを抱える。

(↓ 「超伝導体」 高畑一也氏 資料提供)

(↓ 「超伝導体 拡大写真」 高畑一也氏 資料提供)

(高畑一也氏 資料提供)

「写真は親指くらいの太さの超伝導体を短く切ったもの。

この導体を450回、周回させて巻きつけることでひとつのコイルに仕上げる。導体の全長は37キロメートルに及ぶ。(山手線一周の長さに相当する)

この導体の中に15本の直径2ミリ程度の超伝導体が詰まっており、その一本一本にさらに726本の極細線が詰まっている。

非常に微細な構造から始まり、10メートルを超えるコイルにまで作り上げていくところが難しい。」

(高畑教授 説明)

👉超伝導体についての解説: 

 https://marumaru-yamane-fusion.blogspot.com/2017/07/blog-post.html

(「ヒンメリ*と一緒に」高畑一也氏 資料提供)

* フィンランドの伝統的なヨウル(ユール:古代ヨーロッパのゲルマン民族、ヴァイキングの間で、冬至の頃に行われた祭り)の装飾品。別名「光のモービル」。

現在は核融合炉用超伝導コイルの開発研究に従事している。

(核融合科学研究所 資料提供)

ひとの心を動かす/変える仕組みは正解のない課題だ。

何故選ばれたのかわからない…には答えはみえないが、何故成し得たかには答えがみえる。高畑教授がタカハタサンとなり、タカハタサンが人として信頼を集める人物に自らを変容させていった人間修行に近い努力の賜物であろう。

核融合は時代の優の頭脳と技術で実現の途を歩んでいる。その根底をこのprojectに携わる者々の未来人類への純粋な想いが支えている…

何かを成さんとした時 ありあまる才、情熱、覚悟、精緻な戦略、そしてその中で果たすべき自らの役割どころに対する十二分な理解と体現…それらをこなしうるall round playerが 真、副、添え として毅然として立つ構図を決めた時 ことは動く。根幹には共通して人間そのものの質 がある。

(「太陽の塔(裏)と一緒に」 高畑一也氏 資料提供)

(文・編集:前澤 祐貴子)


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