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老成学研究所 > 初代所長 森下直貴 作品群(2018 09〜2022 12) > 老成学事始 > 家族の変貌と自助力の低下 森下直貴
老成学通信〜その2〜 2019年7月22日
1980年代の前半、突如として「家族」ブームが起こった。橋田壽賀子が脚本を手がけた朝の連続テレビ小説「おしん」は、テレビ史上空前の視聴率を記録した。映画では旧家の四姉妹を描いた「細雪」や、新感覚の奇妙な「家族ゲーム」が話題を呼んだ。出版物では家族論や家族史のシリーズも相次いで出された。
なぜ、この時期に「家族」だったのか。予兆はすでに1970年代の後半に現れていた。高度経済成長の終息に続いて出現したのは、人類史上類例を見ないほど豊かな消費社会である。時代はすでに「近代日本」から転換しつつあった。しかし、人々の意識はいまだに過去の記憶にとらわれていた。その戸惑いが「家族」に映し出される。
ただし、家族の変貌は日本だけではなく、先進国に共通する現象である。空前絶後の消費社会の中で、快楽の先延ばしに慣れてきた親世代と即時的な快楽を求める子世代との断絶が広がる。「らしさ」を固定する規範が崩れ始めた。1980年代の特筆すべき現象は女性の社会進出である。これが人々の意識を決定的に変えた。
家族の変貌は1990年代の半ばには「墓」にまで及ぶ。「墓」は子孫と先祖をつなぎとめる要石である。この守り手がいなくなることは、家族の凝集力の紐帯が消えることである。日本人は明治以来、親族中心の「家」の一員として生きてきた。戦後になると「連帯する個人」の「核家族」が主流になった。そして2000年代、「墓」石から解放された人々は「適度な距離をおいた関係」を好むようになる。
現在、家族の標準モデルは存在しない。事実婚を含めて多様な対関係が広がり、教育現場でもLGBTが話題にされている。単身(単独)世帯が3割に近づき、今後とも増加すると見積もられている。核家族の形態はほぼ6割で一定しているが、これが高齢化して介護問題を引き起こしている。
「家族」としての結合力が弱まった結果、「自助」が著しく低下している。社会集団は「共助」なしに成り立たない。私の用語法では「共助」には、家族による「自助」、近隣仲間や機能集団による「互助」、国家による「公助」が含まれる。しかし、現代の日本社会では「公助」は補助の役割以上には期待できないし、「互助」はほとんど目立たない。頼れるのは「自助」だけである。その「自助」が弱体化している。
自助を支え、共助力を強化するためには何が必要か。老成学が注目するのは老人世代による互助の企てである。
*「老成学通信」は2020 07 以降、「老成学事始」に整理吸収されました。