活動の実績

死生学から老成学へ 森下直貴
初代所長 森下直貴 作品群(2018 09〜2022 12) | 2019.07.16

老成学通信〜その1〜 2019年7月16日

私は数年前から「老成学」という名称の学問を提唱している。それは超高齢社会の現実に応える新しい学問である。しかし、そのどこが新しいのか?今回は「死生学」と比較する中で新しさの一端を紹介する。

「死生学」については一度ぐらい耳にしたことがあるだろう。それは文字どおり<死に方>、つまりいかによく死ぬかを考え、準備するための学問である。例えば、人工呼吸器をつけるかつけないかの選択もその中に入るが、これは鮮烈である。しかしその反面、<生き方>のほうは漠然としている。橋田壽賀子さんが提起した最近の安楽死論議を見ていてもそう思う。

それに対して「老成学」は死に方を生き方から切り離さない。死に方の前にはたいてい長くて緩慢な<老い方>がある。死に方のほとんどは老い方の最後の局面に到来する。つまり、<老い方>の中に死に方がある。そして<老い方>とは人生後半の<生き方>である。

私は20年前に『死の選択』という本を書いた。そこでは「病の中の死」を中心にして様々な死を論じた。社会の中の死について満遍なく取り上げたつもりでいた。しかし、じつは、もっともありふれた死が抜けていた。それが「老いの中の死」である。要するに、私が若かったということだ。

<老い方>とは人生後半の<生き方>である。そして、老い方の手前には人生前半の生き方が広がる。人生前半を<若>、人生後半を<老>としよう。すると、<老−若>の軸は<死−生>の軸を包み込む。さらに延長されると、一方では死後に、他方では生前にまでつながる。ちなみに、<女−男>の軸も<老−若>の軸に統合される。

人生100年時代、人生後半の生き方は50年にも及ぶ。その長くて緩慢な人生をいかに生きれば、つまり老いればいいのか。これは人類にとって未踏の世界である。生き方を問う学問が倫理学である。とするなら、老成学は21世紀の超高齢社会の倫理学になる。

老成学は具体的には新しい老人観を提示する。それについては次回で説明しよう。

* 「老成学通信」は2020 07以降、「老成学事始」に整理吸収されました。

 
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