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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿B】教育者 岡本肇シリーズ > 【寄稿B】 ❸ 『大人になるということ』 西遠女子学園 学園長 岡本肇
©︎Y.Maezawa
大人になるということ
西遠女子学園 学園長
岡本 肇
少子高齢化は老人が増えて若者が減ってくるから、相対的に「若さ」の価値が上がってくる。
若さは成長、希望、美しさを象徴し、
老いは反対に衰え、老醜、死が連想されて嫌われる。
だから誰もいつまでも若く、今よりももっと若くありたいと願う。
アンチエイジングや若返りの情報が溢れ、一大産業になっている。
今や「年相応」「年甲斐もない」という言葉は顧みられず、若さこそ善であり、老いは悪である。
日本が高度成長期に入った頃から、ピーターパンシンドローム、シンデレラコンプレックス、モラトリアム症候群、パラサイトシングル、フリーター、ニートなどという言葉で括られる若者の集団が出てきた。
各々、その時代その時代の理由があってのことだろうが、共通して感じられるのは
「大人になりたくない」若者の存在である。
とりもなおさず大人が大人の手本をみせられなくなったからかもしれない。
©︎Y.Maezawa
昔から人間社会は子供が大人になるための通過儀礼を用意して、子供が大人になるけじめをつけてきた。
日本では男子は十五歳になると元服して髪型、服装を改めて、一人前に扱った。
女子は十三歳ぐらいから丸まげを結い、結婚して母親になる準備をした。
明治になると二十歳を成人年齢として兵役がひとつの通過儀礼だった。
第二次世界大戦後は法律で 成人の日 が制定された。
初めの頃は戦後の復興期で 中学を出るとすぐ働く若者も多かった。成人式は社会人になっている若者中心で学生は少なかったように思う。
時代が下がり、大学進学率が50 %を越える時代になると、成人の自覚も社会経験もない新成人が式場で暴れたり、私語で式の進行を妨げたりして、顰蹙を買うようになった。
主催者の苦心と工夫で式そのものは滞りなく終わるようになったが、今の成人式が大人になるための通過儀礼の役を果たしているかは分からない。
酒、タバコが許され、選挙権が与えられるだけで 精神的に未熟な成人では、世の中に「大人でない大人」が増えるだけである。
©︎Y.Maezawa
何でも思ったことを口にする人を 正直な人 と言い、
人の話を遮り、大声を出す人を 豪放磊落な人 と言って 大物だと思っている人がいるが、
世の中には真実であっても(本当だからこそ)口にしてはならないことがある。
人の話には耳を傾けなくてはならない。
それを知っているのが 大人 である。
中国の古書 菜根譚に
「人ノ作(いつわり)ヲ覚(さと)ルモ言ニ形(あら)ワサズ、
人ノ侮(あなどり)ヲ受クルモ色ニ動カサズ」
とあるが、これこそが大人の対応で、これくらいの芸当が出来ないようでは まだまだ ということになる。
大人の条件は 常識をわきまえている、礼儀を心得ている、身だしなみに気を配る、不機嫌を顔に出さない、必要以上に喋らない、敬語を正しく使える など沢山あるが、突き詰めて言えば、「大人の分別」である。
これは学校でも家でも教えてくれない。
©︎Y.Maezawa
社会に出て恥をかき、悔しい思いをして 学んで行くものだと思う。
©︎Y.Maezawa
(編集:前澤 祐貴子)