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《私の本棚》 No.5 書評 『ファクトフルネス』 森下直貴
初代所長 森下直貴 作品群(2018 09〜2022 12) | 2021.01.20

©︎Y.Maezawa



ドラマティックな見方では

複雑な現実は捉えられない!


『ファクトフルネス』

ハンス・ロスリング

(日経BP社、2019年)

老成学研究所 代表

森下直貴

著者のロスリングはスウェーデン出身の医師で公衆衛生専門家だ。

(惜しくも数年前に亡くなった)

彼の人気の高い講演の冒頭では決まってクイズが出てくる。

平均寿命や、超高齢者数、人口、乳幼児死亡率、ワクチン摂取率、女子の教育年数等、単純な統計に関するものだ。チンパンジーの正答率は三分の一になる(当てずっぽうだから)。

ところが、チンパンジーよりも賢いと思い込んでいる人々は、知識人でも一般でもたいてい三分の一に達しない。

©︎Y.Maezawa

なぜそうなるかを考えさせるのが教授の狙いだ。

(以上の講演はユーチューブで確認することができる)

©︎Y.Maezawa

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クイズには一つだけ例外がある。一人当たりのGDPだ。

この統計は複数の指標から構成される。ただし、現行の指標の選び方に改善の余地がある。

例えば、ソーシャルキャピタル、住環境の清潔度、治安、女性の夜の一人歩きといった指標がないのだが、その点についてロスロングはあまり気にしていないようだ。

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彼が一人当たりのGDP、つまりは所得に注目する理由は、

人々の生活に一番影響を与えているのは 宗教でも文化でも国家でもなく、

人類の通文化的な生存だと考えているからである。

©︎Y.Maezawa


ロスリングの考え方で重要な点は、

一人当たりのGDPを四つのレベルに分け、

これを多くの統計を比較する基準にしていることだ。

©︎Y.Maezawa

レベル1は一日1〜2ドルの極度の貧困、

レベル2は4〜8ドルの低所得、

レベル3は16ドルの中所得、

レベル4は32ドル以上の高所得

に当たる。

この所得ストリートに沿って 生活水準が向上する。

例えば、水の調達方法、移動手段、調理方法、料理(皿の数)、ベッドで比較すると、変化の方向はどの社会集団でも驚くほど類似している。

©︎Y.Maezawa

これが「世界の本当の姿」だ とロスリングは考える。

©︎Y.Maezawa


ところが、クイズの誤答率に見られるように、大多数の人々は世界の本当の姿をありのままに見ることができない。

なぜか。

ロスリングによれば、

我々人間の頭の中と外の世界のあいだには「関心フィルター」があり、

これが我々の「本能」を刺激してドラマティックに聞こえる情報だけを

通過させるからだ。

その種の本能は10個あるという。

以下、10個の本能をパラフレーズして紹介しよう。

©︎Y.Maezawa


⑴ 分断本能 

正義か悪か、白か黒か、自国か他国かのように二項対立を求める本能。

これはじつにシンプルにして直観的である。二項が対立すればなおドラマティックだろう。この二項対立思考を回避するやり方は、平均値ではなく一人当たりの数字を見ること、両極端な数字に注意すること、そして自分の原体験がどのドルレベルにあるか(たいていはレベル4)を知っておくことだ。


⑵ ネガティブ本能 

物事のポジティブな面よりもネガティブな面に気付きやすい本能。

この本能を抑えるには、ものごとには必ず両面があると考えることだ。良い出来事やゆっくりした進歩はニュースにならない。悪いニュースだから悪い出来事が増えたとは限らない。


⑶ 直線本能 

物事がひたすら増え続けるとみなす本能。

貧しい子を救うと人口はひたすら増え続けるから援助しないと考える人がいる。倫理的な観点からいえば、極度の貧困は人の尊厳を傷つけるため、この状況から人々を救い出すことは人類の責任だ。しかし、現実的な観点からいっても、病気で亡くなる子供を全力で減らすことは、今苦しんでいる子供と将来の地球の両方を救うことになる。


⑷ 恐怖本能 

何らかのリスクを偏執的に怖がる本能。

危害・拘束・毒に対する恐怖は太古の時代より人類にとって必要不可欠だったが、現代では逆に生活に支障を生じる。リスクを過大評価すると返って多大の二次被害が生じる。これを抑えるやり方は、該当する病気にかかったらどんなふうに亡くなるかと想像し、どんな根拠を見せられたら考えが変わるかと自問自答することだ。


⑸ 過大視本能 

物事の大きさや割合を勘違いしてしまう本能。

この本能を抑えるには、数字を比較すること、全体の8割を占める項目を探してなぜ8割なのかを考えること、一人当たりのように比をとることが必要だ。


⑹ パターン化本能 

ものごとを類型化する本能。

人が生きていく上で類型化することは不可欠だ。思考の枠組みそのものといえる。異なるものや人や集団を間違って一つのグループに入れたり、同じグループのものや人はすべて似通っていると思い込んだり、ほんの少数の例や一つだけの例外的な事柄に基づいてグループ全体の特徴を決めつけたりすることは、人類には避けがたい。


⑺ 宿命本能 

物事は未来永劫変わらないし、変わるはずがないとみなす本能。

実際には社会と文化の動きはゆっくり進んでいる。だからニュースにもならない。


⑻ 単純化本能 

すべての問題は一つ原因から生まれるとか、一つのやり方で解決されるとするシンプルな見方。

専門家や活動家は一つの考え方や解決策に囚われるがちだ。この本能を抑えるには、複雑さを喜んで受け入れること、違う考え方を組み合わせること、妥協を厭わないこと、ケースバイケースで問題に取り組むことだ。


⑼ 犯人探し本能 

何か悪いことが起こったとき単純明快な理由を見つけ、しかもそれを誰かの責任として追及する本能。

メディアが世界を歪めて報道するのはドラマティックな見方を好むからだ。話題の選び方で全体像が違ってくる。犯人やヒーローを探すのではなく、絡み合った複数の原因や社会を機能させている仕組みを捉えるべきだ。


⑽ 焦り本能 

今やらないと取り返しがつかない考える本能。

目の前に危機が迫っていると感じると他の本能の抑えも効かなくなる。逆に、遠い未来のリスクとなると他人事に感じる。ドラマティックな対策より地道な小さな一歩が必要だ。


以上の10個の本能が働くことで世界のドラマティックな見方が生まれる。

©︎Y.Maezawa

この見方に慣れた人々は、戦争や暴力がますます拡散し、自然災害や人災が至る所で発生し、政治腐敗は絶えず、貧富の格差は広がるばかりで、何か手を打たなければ人類は今にも滅亡してしまうと考えがちだ。


たしかに、グローバルな世界は感染症の流行(パンデミック)、金融危機、世界大戦(見えない戦争)、地球温暖化、極度の貧困(内戦の悪循環)等のリスクに溢れている。

しかし、ロスリングによれば、事実に基づいて世界を見渡せば、時を重ねるごとに世界は少しずつ良くなっている。何もかもが改善するわけではないし、課題は山積しているが、人類は大いなる進歩を遂げている。

彼は自分のことを可能性信奉者(訳では可能主義者)という。

根拠のない希望を持たず、根拠のない不安も持たず、いかなる時も世界をドラマティックに見ない人のことだ。


世界を事実に基づいて正しく理解するためには、自由か平等かのように一つの対抗軸だけで世界を理解したり、途上国と先進国、または貧乏人と金持ちのように一つの視点から世界を二つのグループに分けたりしてはいけない。

そうではなく、

所得レベルに応じて四つのグループに分けるべきだ。これがシンプルだとしても「事実に基づく世界」の見方を支える「ファクトフルネス」の思考法なのだ。

©︎Y.Maezawa


なお、ロスリングの所得による四つのレベル分けは私の四次元相関の論理に通じるものがある。

ロスリングの四つのレベルは生存=生活に焦点を置き、その限りで事実に基づく世界の見方を支える。

それに対して私の四次元相関は特定の立場を相対化して対立を解きほぐすところに狙いがある。

このように違いはあるが、どちらも四に注目し、四によって複雑性を汲み取ろうとする点では共通する。


さて、以上に示した10個の本能はただ並べられているだけだ。

なぜその10個なのか、またそれらは相互にどのように関係するのかが判然としない。それだけでなく、そもそも「本能」という表現には疑問がある。


人間には生き物と共有する本能だけでなく、社会性動物と共通する知能もあれば、独自の記号を操作する理性もある。

そして何より自己反省がある。

この自己反省によって四次元の心が統合されている。

それが人間の本性だ。

だから本能ではなく人間の本性というべきだが、四次元の中で身体に密着する本能が動機として一番強力であることは間違いない。


以上の人間本性の視点から10個の本性(本能)をあらためて眺めてみると、二つの基軸が見えてくる。

一つは「分断本能」だ。これは人間の思考にとって本質的な二項区分の見方をもたらす。

この「分断本能」の系列に属するのは「パターン化本能」「過大視本能」「単純化本能」「犯人(またはヒーロー)探し本能」だ。

もう一つが「ネガティブ本能」である。これは行動経済学でお馴染みの「自己の現在の状態=正常性バイアス」の基盤だ。

この系列に属するのは「直線本能」「運命本能」「恐怖本能」「焦り本能」である。


以上の本能が働くことを通じて、人間はドラマティックな物語を好むようになる。それは人間本性の性向である。

それではその根源には何があるのか。

私見ではその答えは生命システムに求められるが、『ファクトフルネス』ではそこまで考察が及んでいない。しかし、公衆衛生の専門家の本にそこまで要求するのはお門違いというものだ。それは哲学者の仕事なのだから。

©︎Y.Maezawa

(編集:前澤 祐貴子)


 
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