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【寄稿A】 ⑤ 第二部 コロナ禍の中、介護老人保健施設の高齢者と接して  白梅ケアホーム  本郷輝明 
交流の広場 | 2021.01.13

第2部 

コロナ禍の中、介護老人保健施設の高齢者と接して

白梅ケアホーム 本郷輝明

《はじめに》

新型コロナが流行する中、介護老人保健施設(老健)での高齢者と会話する中で感動したこと、考えたことを記載した。

(個人情報特定を避ける為Gさんで表し、老成学研究所HPへの発表に関してGさん本人から承諾を得た)


その4:「毎日歩くことと、書く見る読むことがボケ防止と長生きの秘訣」とおっしゃる高齢男性Gさん


百寿者の男性は少ない。

老健に入所している高齢者の男性の割合は2割で、百歳以上の方はいない。

さらに高齢者の男性入所者は脳梗塞/脳出血等で言語障害があったり、認知症が進み会話が難しかったりする方が多い。お話ができ、ご意見やご自分の人生について語ってくださる90歳以上の方は数名のみである。


Gさん(男性94歳)は大正15年生まれで、昭和という時代とともに生きてきた人である。会話好きで身の上について色々話をしてくださる。紙で作った筒を手に持ち毎日廊下を歩いている。紙の筒は30cmほどの長さで、広告紙を丸めたものを十数本束ね、両端をテープで巻いて作った自製のものである。筒棒を本人は「紙の相棒(愛棒)」と言っていつも手に持ち、肩たたきやリズムを取るのに使用している。コロナ禍でも施設内を2000歩歩くのが日課で、これが長寿の秘密だとご自分からおっしゃる。書く見る読むこと(この順番は本人のこだわり順)はボケ防止のために必要と自ら進んで行っている。


Gさんは浜松**町の出身で、3人兄弟の長男。父親は**紡に勤めていた。Gさんは高等小学校3年で卒業し、数年電報関係の仕事をしていたが、二十歳で招集され陸軍名古屋師団に入隊、そこで厳しく鍛えられた。この時の経験がその後の人生の基礎になったとおっしゃる。「軍隊での訓練で精神的にも身体的にも鍛えられ、これがその後の自信と生きる糧になり、今の自分を作り上げていると思う」とのこと。陸軍では浜松地区(三ケ日周辺)の沿岸警備隊に配属され、そこで終戦を迎えた。


「終戦後すぐに名古屋に戻ったら、一面焼け野原だった。名古屋では船の引き上げ作業を手伝ったり、船に乗って港湾に沈んでいるもの(船など)を引き上げて解体したりした。必要なものを調達する運送業や斡旋業の仕事もした。一所懸命仕事をした。昭和60年までの40年間名古屋市の復興の手伝いをした。我々の努力が報われる、いい時代だった。自分のアイデアで色々仕事が出来たし、前を向いて頑張ってこれた、やりがいのある時代だった。特に趣味はないが一生懸命努力すること、前を向いて頑張ることがモットーで、そのことでいろんな病気を克服して今まで生きてこれたと思う」。


Gさんは、確かに多くの病気に罹患し克服されてきた。89歳の時徐脈でペースメーカーを埋め込み、その年に老健に入所。その後結腸狭窄を起こし半年の間に3回入院し手術を受けた。3回目は直腸穿孔で腸管切除とストーマ(人工肛門)造設術を受けた。最後の手術の時(90歳)の記憶が鮮明に残っているという。


「棺桶に入っていてなかなか出られず、やっとぶち破って出てきたら周囲には何もなく、切り立つ崖のみが立っていた。そこの崖を登るしか生きられる方法はなく、必死で這い上がった。夢中だった。手を崖の石にかけ全身の体重を手にかけ、痛みも忘れ生きたいという一心で登った。

やっと登った時に景色が見えてきた。その時子どもたちがいるのが見えた。」


その時(90歳)からご自分の死を意識するようになったとのこと。その後折に触れてご自分の亡くなる時のイメージを描くようになり、そして今では死ぬ時のイメージを言葉で表すことができるようになった。

「景色のない空間、宇宙の中に身体のない自分を連れて行ってもらい、そこで浮遊し静かに宇宙の中で消え去る」というのがご自分の描いた死のイメージだとのこと。


「苦痛もなく静かな空間(おそらく宇宙)に連れて行ってもらい、溶け込むように死んでいくというイメージ。これをいつもイメージしていると、実際に亡くなる時には本当になると思っている。

今はボケ防止のために歩くこと、書くこと見ること読むことを心がけている。食事の心配もなく生活をしっかり世話してもらっているので、自分からボケ防止の努力していないとダメだと思っている」。


Gさんの書いているノートの表紙には「行動帳No12 2020年12月」と書かれており、中は1ページ目から上下左右の空白なしにぎっしり書かれていた。「何をお書きになっているのですか」と聞くと、「日常の細々したことですよ、ボケ防止のために書いている。ボケ防止は自ら進んで行わないとだめだと思っている」との返事だった。若いときからコツコツ書いているとのことだった。「このコロナ禍で子供に会えないのは寂しくないですか」、と聞くと、寂しくないとの返事。お子さんは息子一人、娘二人いらっしゃる。


「子供達は自分達で生きていけるように育てたので悔いはないし、それぞれに家族があるので特に会う必要はない。子供の世話になると肩身の狭い思いをしなくてはならないので。ここ老健で自由に自分なりの生活を行えている。このような施設に入れて生活ができ、食事の用意や戸締り、火の始末などの心配がなく、生活の世話をしてもらいとても感謝している。現在の状態に満足している。」とのことだった。


「今は人生の終着駅に来ている。心配事がなくて、自らの体と精神のことのみを考えてればよいので、最近はボケ防止に励んでいる。二本足で歩ける幸せを実感している。人生は自分で作るものですよ。元気な体を生んでくれた両親に感謝ですね」。


お話を聞いていて、人生は自分で作り上げるものという態度に感心した。また、ご自分で「死のイメージ」までしっかり描き切っているのに驚いた。ここまでしっかり死ぬ瞬間を何回も描いている人に会うのは初めてである。

今回お話を聞く中で、Gさんは戦中戦後を一生懸命に生きて働いてきた日本人の典型的な姿だと思った。このような前向きでまじめに働く人々が現在の日本を作り上げてきたのだと思った。この良質な日本人の資質がきちんと我々の世代以降に受け継がれているのだろうかとコロナ禍の状況を見ながら思った。

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本郷恭子

 
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