交流の広場
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【書評】
『システム倫理学的思考』
森下直貴(幻冬舎、2020年)
浜松医科大学 倫理学 准教授
長田 怜
人の営みは複雑で、ある人の言動は誰かにとってはおぞましく映る一方で、本人は平気な顔をしていることもある。ある言動がある社会では日常茶飯事でも、別の社会ではまったく受け入れがたいこともある。このようなズレはときに対立を生む。そんなときに互いに対話をして、なんとかやっていく方向へと歩みを進めるのは簡単なことではない。本書での森下の試みが野心的かつ包括的であるのは、このように一筋縄ではいかない心や社会の働きを、たった四つの項目分けで一括してとらえ、具体的な事例を挙げながら、対立をずらす提案を示しているところだ。
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ただ、「たった四つ」だから簡単だということではない。四つとは「対外」「対内」「対他」「対自」の四次元だが、読者はしょっぱなで、これらの少しいかつい哲学的概念を理解する必要がある。本書の基盤となるアイデアだからだ。基本的には、コミュニケーションにおいて外から直接情報を得て(対外)、それをいったん内側で解釈して(対内)、今度は別の文脈の情報と比較して(対他)、再度内面的な総合的評価をもとに応答へかまえる(対自)、といったプロセスを念頭におけばよいだろう。
本書の残りの部分では、心と社会の複雑な諸相に対して、これら四次元をどう適用するかが提示されていく。森下によれば、これら四次元は個人の行為にも、経済や文化などの社会的なシステムにも、さまざまに異なるレベルで反復的に適用できるものである。読者は適用の仕方を読解して、自分の問題にも適用できるかどうか考えてみる必要があるだろう。特に後半では、図式をもとに具体的に人々の対立に向き合う方法や幸福の尺度を作り上げる方法を提案しているから、ヒントになろう。
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私はといえば、幸福(QOL)の尺度作成にもっとも関心をもった。本書には他にも、子宮頸がんワクチンの問題など、森下の専門領域である医療分野からの題材が豊富だが、この分野はまさに、物質レベルから心や社会のレベルまでさまざまな働きが複雑に絡み合っており、対話へ向けた努力が否応なく必要とされる分野である。中でも幸福の尺度作成では、森下によると、生存、生活、人生という「ライフ」の三つの層それぞれにおいて、主観的尺度と客観的尺度で幸福を考える必要がある。日ごろこのような意味での複層性とその統合的理解に強い関心をもっている私にとって、この議論は特に考察の参考になった。
このように読者は、関心に応じてどこを重点的に読み、洞察を得るかを決めればよいだろう。後半はある程度独立して読めるはずである。ただ逆に言うと、図式による整理を目的にしている部分も多いので、あらかじめ当該テーマにある程度の知識がないと、何を整理しているか理解するのが大変かもしれない。また、図式の適用が「名人芸」的でもあるので、ある程度知識があったとしても、読解の努力は常に必要となるだろう。
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(編集:前澤 祐貴子)