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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿B】教育者 岡本肇シリーズ > 【寄稿B】 ❶ 『平均寿命』 西遠女子学園 学園長 岡本肇
©︎Y.Maezawa
平均寿命
静岡県西遠女子学園 学園長
岡本 肇
終戦直後の日本人の平均寿命は50歳そこそこだった。その頃の老人は腰が曲がり、歯がなかったりして年寄然としていた。小学生だった私はそんな姿を見て、人はいずれこういう風に歳をとって死んでゆくものと思っていた。
大学を卒業して社会に出る頃になると世の中も落ち着いてきて、寿命も60歳くらいまでになった。還暦を迎えるとお祝いをしたりして、60歳まで生きれば大往生だったのである。だから自分も社会に出て55歳の定年まで働いて、あと5年ぐらいの余生を送って死ぬものと漠然と思っていた。
それが目覚ましい医学の進歩で平均寿命は、70歳、80歳と天井知らずのように延びてきた。人生50年と思って走り始めたレースの途中でゴールがズルズルと先へ延び始めたのである。
今まで一生の間に寿命が1.6倍にも延びたことがあったろうか。信長が「人間50年、下夭のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と舞ったように、日本人の寿命は昭和の始めまでずっと50年だったのである。それが戦後の高度経済成長の波に乗って一億総中流社会、経済大国、バブル、グローバルという時代を経て日本人の生活が変わり、考え方が変わり、人間そのものが変わったように思う。
仕事で小学校の校長室を度々訪ねたことがあるが、以前は部屋の壁に歴代の校長の写真が掲げられていた。時代を遡れば遡るほど厳しく威厳に満ちた顔になり、時代を下れば下るほど優しく親しみやすい顔になった。
私は明治、大正の頃と比べて日本人の顔は変わったと思っている。教科書に載っていた幕末の志士や明治の文人のような顔は今の日本人の顔にはない。彼らの多くは二十代、三十代で夭逝しているが大人の顔をしている。
同様に老人の顔も変わった。ここからは私自身の顔について言っていることなのでお許しいただきたいが、鏡や写真の自分の顔を見るとどうしても年相応に見えないのである。彼らより30年も余分に生きれば、当然それなりの顔になって良いと思うが、そうではないのである。“若い“というより“幼稚“と言った方が良いだろう。
結局、寿命が30年延びても、人生が50年から80年に間延びして、一日一日、一年一年の密度が薄くなっただけのことである。
ソクラテスは「人間はどれだけ生きたかでなく、どう生きたかが問題だ」と言ったが、身に沁みる言葉である。
(編集:前澤 祐貴子)