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井筒俊彦の東洋哲学とは何か No.3 : 森下直貴
活動の実績 | 2020.12.04

井筒俊彦の「東洋哲学」とは何か

日本形而上学と21世紀リアリティ

老成学研究所 代表  森下直貴

第三回 言葉以前のコトバの世界


前回まで井筒が捉えた東洋哲学の世界を精査してきた。今回は疑問点を掘り下げながら考えてみたい。考察の焦点は井筒の意識構造モデルである。これを三つの柱が支えていた。順に検討しよう。

まずは、第一の柱である意味分節理論から始める。この理論の根本的な見地は、意識=言葉=分節=存在であり、そこから言葉以前の存在=渾沌(絶対無分節)とされ、分節=普遍的本質となる。この見地の元は大乗仏教の禅であろうが、井筒はこの理論を前提にして論を進めている。しかし、この前提をそのまま受け入れることはできるだろうか。「セクハラ」という言葉を例にとって考えてみたい。

たしかに、この言葉が用いられるようになって初めて、それまでバラバラだった類似の事象が<セクハラ>となった。だから、<セクハラ>という事象は「セクハラ」という言葉によって作られたと言えなくはない。「セクハラ」が指示するのは「普遍的本質」である。思考はこの普遍的本質に照らしながら事象について判断したり推論したりする。こうして「セクハラ」に関連する様々の個物・関係・因果の世界が立ち現れる。さらにこの世界には日常のコミュニケーション(パロール)を通じて、「セクハラ」関連の「〜らしさ」や「〜あるべき」といった一連の価値や規範が貼り付けられる。

しかし、「セクハラ」という言葉が生まれる以前、事象としての<セクハラ>は存在しなかったのか。そうではあるまい。明確に分節されず、認知されていなかっただけのことだ。言葉のない存在(事象)、または言葉以前の存在は当然ながらある。その存在は言葉=分節から見ると無分節に映るが、だからといって何ら区別を持たず、無分節=渾沌ということにはならない。むしろ、言葉=分節とは異なる区別を想定することは十分に可能だ。事実、言葉以前の存在の世界とは、具体的にいえば、意識=言葉を持たない生物や物体の世界であり、そこには種々の区別がある。

人間の意識=言葉が存在を分節(区分)するとは、言葉を持たない世界の種々の区別を単純化することだ。例えば、電磁波(光)の刺激を視細胞は二分から四分して受け止め、それを言葉がさらに三色に固定する。意味分節理論は人間の意識=言葉=分節の世界に限定されている。人間以外の生物や物体、物質といった自然の世界にも何らかの区別がある以上、ここにも言葉とは異なるコトバ=区別、言葉=分節以前のコトバ=区別があると考えてよい

言葉は、たんなる名称でも名辞の示差連関(ラング)でもなく、コミュニケーション(パロール)の中で名指しや呼びかけとして働いている。何かをやり取りするのがコミュニケーションであり、この中でやり取りされる何かが言葉だ。とするなら、生物同士や物体同士、物質同士もコミュニケーションの中で、音声や生体分子や光エネルギをやり取りしている限り、それらを言葉(記号)ならぬコトバとみなしても決して荒唐無稽ではない。この観点からは意識についても、内部で言葉をやり取りするコミュニケーションとみなされる。井筒の意味分節理論(ラング)に欠けているのはこのコミュニケーション(パロール)の観点である。

次はA表層意識と深層意識の区別および後者の重層構造である。言葉=存在を映し出す表層意識を垂直方向に降りていくと、その先に現れるのが深層意識である。この深層意識を構成するのは、詩的神話的想像の世界M、言語アラヤ識B、無意識C、そして意識のゼロポイントの四層である。しかしなぜこの四層なのか。そしてそれぞれの正体は何か。

東洋哲学の思考タイプのうち、絶対無の思考や理の思考、正名の思考の場合、無意識と意識のゼロポイントの二層だけで済む。寓話の思考になるとさらにMが加わる。四層のすべてを必要とするのは元型の思考だけである。つまり、多彩な元型の思考を包括するために四層が設定されたということだ。このことは井筒にとって元型の思考が要の位置にあることを意味している。

深層意識の最初に現れるのが詩的神話的想像の世界Mである。

表層意識の次元には現実の分節に即したイメージ群があるが、深層意識の次元には現実イメージをデフォルメした非現実イメージが充満している。イメージとは、意識内部のたんなる形(形象)ではなく、時間の変化を貫いて持続する形の同一パターン(型)である。だから、現実イメージと非現実イメージの違いは、パターン=型のデフォルメの程度の差になる。環境からくる外部刺激を機縁として表層意識の内部にパターン=型が発動され、知覚経験を生み出す。しかし、外部刺激が遮断されると、深層意識の内部でパターン=型がうごめき出し、多義的な象徴(シンボル)を産出し、非現実的な物語を作り上げる。それが夢想や幻想である。

二番目は「言語アラヤ識」Bである。

ここはパターン=型を記録し保持する場所である。環境との働き合いの中から形成され、深層意識の次元でデフォルメされたパターン=型は、脳細胞同士の同型パターンとして物質化されて蓄積される。それが記憶の身体的土台である。この記憶に支えられないと意識はうまく働けない。例えば、誰かが私の老成学研究所を初めて訪れたとしよう。キョロキョロとあちこち見て回った割には、細部をほとんど思い出せない。何度か訪問を重ねるうちにようやく細部が見えてくる。意識の働きを記憶が背後から支えているのだ。

記憶されたパターン=型には文化由来のものもあれば、生物由来のものもある。それでは、井筒のいう「元型」はどこに由来するのだろうか。例えば、陰陽二元の組み合わせから展開する八卦十六卦は見事な体系である。また、阿字から分岐したアルファベットや、カッバラーの十個の「セフィロート」も同様だ。このとき働いているのは体系を作ろうとする図式的思考である。これが種々のパターン=型を操って元型を作り上げている。元型の思考とは体系を志向する図式的思考であり、広く言えば形而上学的思考のことだ。

形而上学的思考とは何か。記号を操作する推理のコミュニケーションが自身に折り返って差し向けられると、そこに際限なく自己言及を繰り返す反省のコミュニケーションが立ち上がる。その高次化したものが形而上学的思考である。意識という用語を使うなら、それは極限まで研ぎ済まされた、意識を意識するメタ意識である。これが深層意識の次元にある想像世界、言語アラヤ識、さらには次に検討する無意識や意識のゼロポイントを隈なく精査する。しかし、形而上学的思考は井筒の意識構造のどこにも位置付けられていない。

三番目は無意識Cの層である。

無意識とは何か。井筒はそれを意識=言葉が生じていない次元、あるいは意識=言葉が働き出していない次元としか説明していない。そこで私なりに、無意識とは本能(欲動)というパターン=型によって統御された情動のコミュニケーションの次元のことだと捉え直してみる。本能によって統御された情動の次元は、意識の全体にエネルギーと情報(型)を注入する。ただし、人間の場合、本能の次元が独立して働くことは稀であり、たいていはそこに意識=言葉が重なる。ローレンツの言うように文化的な儀式行動は本能的行動を修飾したものだ。

四番目は「意識のゼロポイント」である。

これについても井筒の説明は不足している。私の解釈を推し進めるなら、本能によって統御された情動コミュニケーションの底は身体であり、ゼロポイントとは身体の中心(自己)ということになる。それはダマシオが推測するような、身体を構成する細胞同士の多重ネットワークを統合する高次元の中心(自己)であろう。この身体の中心(自己)は言葉を発しない。

深層意識の多重構造は修行の身において実修され、体得される。したがって深層意識は身体経験である。研ぎ澄まされたメタ意識である形而上学的思考が深層意識=身体経験を精査し、その内容を言葉で表現するのだ。

最後に検討するのは、第三の柱、東洋哲学を分類するための鍵となる「普遍的本質」である。井筒は種々の本質について語っているが、肝心の本質の本質については何も語っていない。本質の元はパターン=型であり、パターン=型の元はものの形である。ものの形が表層意識に映し出されるのは、身体に基づく知覚が複雑な刺激を縮減し、この縮減した形を意識=言葉がさらに単純化することによる。縮減と単純化の変換によって意識された形を直観すると、変化しないパターン=型が得られる。ものの形とはパターン=型の表現であり、パターン=型が本質である。普遍的本質、個別的本質、種的本質、概念的本質の区別はその上での話だ。

表層意識に映し出されるパターン=型は変換によって縮減・単純化されている。この見地に立てば、意識=言葉の世界におけるパターン=型の側から、言葉以前のコトバの世界の事物についてもパターン=型があることを想定できる。これを反対側から見れば、コトバの世界のパターン=型が変換されて意識=言葉の世界のパターン=型が生じている。この変換の論理によって初めて、意識=言葉の世界とコトバの世界がパターン=型において対応づけられ、意識=言葉の外部にあるコトバ=区別の世界について言葉で語ることが可能になる。

意識=言葉の世界の外部には、言葉以前のコトバ、したがって意識のコミュニケーション以外のコミュニケーションの世界が広がる。これを探索する方向は水平垂直の二つだ。水平の方向には人間の言葉と並んで生き物の鳴き声や物体が起こす音響がある。垂直方向には人間の意識の基盤である身体の内部で細胞同士がやり取りする生体分子の振動音がある。そして二つの方向が重なるところに、もの同士が<もの=コトバ>をやり取りするコミュニケーションの世界が立ち現れる(続く)。

 
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