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【読物】記憶 ❶ 記憶生
時代への提言 | 2020.11.13

©︎Y.Maezawa

それは研ぎ澄まされた御影石の冷徹な冷たさだった

凍った石

循環がない温度には無しかなかった

零…

一瞬で伝わった

生き返ることはありえない

死んだんだ、と

©︎Y.Maezawa

彼は東京築地、国立がん研究センター中央病院地下の一室にオーダーメイドの背広を着て横たわっていた

こんなことがなければ1993年8月レインボーブリッジの竣工式に着用予定の背広だった

©︎Y.Maezawa

鼻筋の通った細長い顔は冷気にさらされ、しまっており

黒白がお洒落に混じった豊かな髪はいつものように少しウェーブがきいてダンデイーにきまっていた

幾分狭めではあるものの、形良い四角い額は知性を表すかのように高く迫り出していた

©︎Y.Maezawa

どこかでみたことのある映画のシーンかのように

ノロノロと広い霊安室を縦に進んでいった

鈍い蛍光灯に照らされた台上に白い蘭と濃紺の背広姿の彼がいた

近づくにつれ、茶番劇のような実感のない思いに捉われた

私はなぜここにいるのだろう?

一週間前に出産し終えた心身に全てが夢かのように思えた

これじゃ、まるでドラマじゃない?

現実に引き戻したのは触感だった。

何をしていいか、わからなく伸ばした手は

まるで熱を測るかのように

彼の滑らかに光る額に降りた

刹那で捉えた感覚

それは全ての生物に本能的に悟らせる感覚だった

文句ない死

動かせない死

教えてもらわなくてもわかる…

一つの掟だった

©︎Y.Maezawa

大腸原発肝臓癌

判明した時にはステージⅣ末期

還暦の年に 細胞が若いと言われ 半年で逝った

©︎Y.Maezawa

晩秋、最後の紅葉が鮮やかな11月の寒い朝だった

別室では生後7日目の新生児が毛布に巻かれ籐籠の中で眠っていた

©︎Y.Maezawa

©︎Y.Maezawa

生命とは温もりである

範囲のある温度

感じられる温度

石となった物体は外気温よりも更に冷たく

凍った塊となる

それが父から学んだ初めての死の認識だった

戻らない

居ない

帰らない

抜け殻の死体とやらにはもう”その人”はいなく

永遠に会えない ということを

手の感触は語った

最後の最大の教えだった

©︎Y.Maezawa

あれから数十年が過ぎた

今、さらに思う…ありがとう、と

ほんの少し背中を見せてきただけの人…

でも人間の深奥については

確かに、きちんと、示してくれた

生死の循環から外れた時

人は人でなく物体に還る

塊は人体を留めてはいるものの

最早それは物質の腐敗過程に入っている

化学的反応の進行がある…のみ

しかし その生から死へという生命の状態変化においては

医療的に一点の時刻を死としながらも

ある意味、生物学的には生体の完全死までには一定の移行過程期間があるとも言えなくはない

その間、”その者であった”ソフトを他生に物理的に全データ変換移送する存在の位相変換をすれば”その者”は消えないと言えるのだろうか?

生から抜けた死骸が最後の最後に人間だったものとして役割を果たす舞台があるとするならば

そのラストステージは遺された者ものと臨在する本人との最後の刻であり

他者の記憶に刻まれ永遠に時空間を飛び越えるための再生の舞台なのかもしれない

©︎Y.Maezawa

彼の人生を辿りなおしてみようと思う

遺されたメッセージは何だったのか

何を受け取れば良かったのか

人が繋がるとは

そういうことかもしれない

記憶に刻み

先に伝承することで

彼を再び生かすために…

記憶で生きさせる記憶生を与えるために


©︎Y.Maezawa


石は有り難い

特に秋冬の夜半から早朝の石はいい

その凍るような冷たさが確実に彼を思い出させてくれる

実感として彼を感じれる

地面を、足元をみて

忘れてはいけないこと、考えねばならないことを思い出させてくれる


彼は満州から始まった

(作:前澤 祐貴子)

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