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【竜ヶ岩洞:74歳からの洞窟掘り 戸田貞雄翁】シリーズ No.02  「志と信」
時代への提言 | 2024.06.06

©︎戸田達也
水面上の空間は10数センチ。
天井が低くなると 自然に体は水に沈む

夢を持つこと

夢を叶えること

同じ高さにない

到達するには

スタートとゴールに 長い梯子をかけ

一段ごと

這い上がる

©︎戸田達也
粘土をかき分け 前進

最も必要なのは

押し上げ

支える

信が なければ

かさます自重で 落ちる

©︎戸田達也
洞内 調査中 休憩

目に見えない関係性が

最後を決める

©︎戸田達也
「黄金の富士」/竜ヶ岩洞

信をいかに得るか

それこそが 

本物の才

夢の実現を決める

【竜ヶ岩洞:74歳からの洞窟掘り 戸田貞雄翁】シリーズ

No.02

志 と 信

©︎戸田達也
左から 竹内氏、貞雄、小野寺氏

戸田貞雄 74歳

小野寺氏  28歳

竹内氏  29歳

願ってもない若者二人の出現が

鍾乳洞発掘の方向性を決めた

貞雄は 調査・発掘の助っ人を 若い二人に依頼

©︎戸田達也

彼らが先行して 掘り進む先を調査

その結果を検討、反映し 掘り進む

©︎戸田達也
体をよじり 粘土の中を 泳ぐ

©︎戸田達也

普通の人では入れないような場所でも

どんどん入っていける 若い二人

©︎戸田達也

休みになると 石山へ

皆が 夢中に

©︎戸田達也

ここから 

ここで終わっていると思われていた

岩に塞がれていた 2億5000年前の鍾乳洞世界 が 

ベールを脱ぐ

老若が問われない環境とは

困難を解決する時…かもしれない

©︎戸田達也

「戸田さんの喜ぶ顔が見たくて、

先へ先へと 進んで行ったような気がするよ」

(竹内氏)

「新しい発見をすると 戸田所長がどんな顔をするかな

と考えるのが 楽しみだったね」

(小野寺氏) 

貞雄の笑顔は

発見の事柄報告の何よりの楽しみだった

©︎戸田達也
作業後 事務所で反省会&&検討会、深夜
まで続く。
未だ一人住まいの貞雄が作った無骨な野菜の煮物や味噌汁…
穴から出てきて冷えた体にはうまかった。

貞雄の知識吸収欲は旺盛

当初 洞窟についてほぼ知識のなかった貞雄に 専門書を貸すと

暫く経ってから かなり専門的な突っ込んだ質問をされる…

質問の内容は だんだん高度になっていった

偶然の必然のような運命の出会い以来

 この信頼関係は 続く

©︎戸田達也

小野寺氏と竹内氏は 職場の同僚、

ケーヴィング(洞窟探検)が大の趣味

休日になると 浜松付近の洞窟を調査・探検していた

※ 本業は自動車部品会社勤務の自営の溶接工職人。小野寺氏は特殊溶接免許所持の溶接工、竹内氏も腕1本でどこでも通用する技術の持ち主。

1981年(昭和56年)8月

竜ヶ石山調査時 

小野寺氏、竹内氏の二人は 初めて 貞雄に出会う

©︎戸田達也
開発当初
殺風景な洞前広場

木の柵も 立ち入り禁止の札もない 石山

「あんたら誰だね、

何をしているんだ」

野菜をぶら下げたお爺さん、山の所有者である貞雄、から 声をかけられた

実は 二人は 私有地に無断で入ったことを咎められないかとビクビクしていた

「まあ、上がって 休んで行けや」

貞雄は 二人を 山の横の事務所 兼 寝泊まり場所に 招き入れる

一人暮らし、思うようにいかない作業…

人恋しい状況だった

©︎戸田達也
「白蠟の間」/ 竜ヶ岩洞

経験を積んだ二人のケーバーは 調査で覗いた石山の穴から

予想以上の鍾乳洞がうかがえることに

 次元の違う鍾乳洞の可能性を直感

©︎Y.Maezawa

ここに 竜ヶ岩洞の存在を信じる 三人が 揃う

©︎戸田達也
床に広がる”石花”
珍しい鍾乳石

©︎Y.Maezawa

©︎戸田達也
本格的照明工事 開始

©︎戸田達也
広場周辺 石積み作業

調査は 古い石山上部穴から始まった

©︎戸田達也
「鳳凰の間」/ 竜ヶ岩洞

初めての発見は

鳳凰の間

上部の穴から降りて辿り着く。探検試掘。一般非公開。優雅で 美しい 鍾乳石を有す。

「オレが死んだら ここに祀ってくれ」

と 貞雄が叫んだ

©︎戸田達也
左下 洞窟入り口

石山 現在の入り口からの本格的調査が始まる

©︎戸田達也
削岩機の轟音が洞内に響き渡る
会話は怒鳴り声になる

©︎戸田達也
硬い岩盤を破砕機(ブレーカー)が
轟音を轟かせ 砕く

©︎戸田達也
洞内調査の貞雄

©︎戸田達也
一論車、クワ、鉄棒を使っての作業

©︎戸田達也
「黄金の大滝」の水源を求め
上部を調査

©︎戸田達也
作業中 新洞が見つかった時の満面の笑顔

©︎戸田達也

ひたすら 掘り進む

©︎戸田達也

©︎戸田達也

©︎戸田達也

©︎戸田達也

©︎戸田達也
一輪車は 最初は バランスを崩し
なかなかうまく押せない…

©︎戸田達也
工事中の照明はヘッドライト、懐中電灯、仮設電灯。
常に濡れている洞内で仮設電灯線にものがぶつかり
電気ショート、あたりは真の闇…ということもよくあった。

©︎戸田達也

©︎戸田達也

©︎戸田達也

我 地底の楽園を 見たり

©︎戸田達也

1983年(昭和58年)8月8日

貞雄 76歳

※ 貞雄は 末広がりの 八 に 縁起を担いでいた

竜ヶ岩洞 オープン

※ 竜ヶ岩洞 片道オープン、全長400m

東海地方最大規模 鍾乳洞

2億5000年前の 秩父古生層 石灰岩地帯

総延長 1000m (一般公開は 400m)

標高 359m (竜ヶ石山 南嶺)

洞内 平均気温 年間 約18℃

※ 竜ヶ洞 を 竜ヶ洞 としたのは 石より岩の方がどっしりした感がある故

代表的鍾乳石: 

カーテン、フローストーン、ストロー、石柱、つらら石、石筍

生息生物:

コキクカシラコウモリ、トビムシ、メナシヨコエビ、マダラカマドウマ、

オビヤスデ、ジャアナヒラタゴミムシ

貞雄は 観光事業は初めてではなかった。

自分以外 素人ばかりのオープン準備に際して 

安全面、照明効果、案内板設置、鍾乳石の保護措置 等 

細かい点までチェックし 手直しを指示

長年の経験で培った鋭い目と嗅覚は 観光を熟知

的を射た柔軟なセンスを十二分に発揮

アイデア、体力、発想、考え方は 若者以上だった

©︎戸田達也

©︎戸田達也

竜ヶ岩洞は

このままの状態で 次の世代の人に渡してやるのが 

私らの使命なのだから

鍾乳石を傷つけてはならない

という 貞雄の発掘方針に従い

苦労して 人の手で掘られた

生きたままの竜ヶ岩洞を発掘したいからだ

と…

爆破担当 戸田恭平氏は 岩の目を読み、狭い穴の中で 慎重に 

鍾乳洞は傷つけず 普通の岩だけ最小限に崩す」 

というハッパの仕掛けに苦心する

* ダイナマイト、削岩機の使用は 最低限

鍾乳石は水の一滴、一滴が育てた石、

今も生きて 未来に向かい 成長し続けている

※ 鍾乳石1cmの成長には 約100年かかる。例えば 不注意で 石を10cm折ると 約1000年の水と石の営みを無にすることとなる。

貞雄の念願は

『”地底の華”鍾乳洞を 

原型を崩さない あるがままの姿で発掘』

多くの人に見てもらい 

竜ヶ岩洞が語りかけることに耳を傾けてもらう

それが 

深い理解と保護に 自然と 繋がる

と…

©︎戸田達也
竜ヶ岩洞オープンテープカット。
初年度は50万人を集客。
お正月には 平均5000人/日が来所。

「郷土の発展に尽くしたい…

地域の発展と共に自分の発展がある。

それが自分を支えるんだ」 

貞雄は いつも 息子に語る

©︎戸田達也
詰めかけた入洞者

竜ヶ岩洞に 所長室は最初からなかった

2階事務所の窓際、ありふれたスチールデスクの前に座る 貞雄所長

オープン以来 1日も休まず 竜ヶ岩洞に詰めた

周囲の誰に対しても 変わらない態度で接し

言葉を飾ることもなければ

身を飾ることもない

様々な職業、様々な年齢層の人々が周囲に集まるが

「戸田さんの仕事は一番にやる」と…

自分にない知識は 若者からも吸収し 

共に仕事をするパートナーとして その意見も取り上げる

貞雄自身の意識の若さから 無理なく 仲間ができる

積極的な発想を求め

たとえ それで失敗しても 

それみたことか とは 決して言わない

志と信を 体現したような 貞雄

©︎戸田達也

滅多に 妻のことは 話さなかった

 妻 志げ留

竜ヶ岩洞完成を見ることなく

オープン前年 1982年6月(昭和57年)逝く 

50年連れ添い 

いつも仕事のことを考えている貞雄が 

政治の世界(村議会から町議会)、観光開発、地域開発、

消防団長、商工会長、自治会会長 等で飛び回る背後で

家を守り 

5人の子供を成人させ 

農作業をこなしてきた

竜ヶ岩洞完成間近のある日

「あいつにも 見せてやりたかったな」

貞雄が しみじみ  呟いた…

©︎Y.Maezawa

『我 地底の楽園を見たり 竜ヶ岩洞所長 戸田貞雄翁伝』(1985年、東方新報社)「ごあいさつ」に 貞雄は こう綴っている

最後に妻について一言書き留めておこうと思います。私は事業を興すことに専念し、生甲斐を求めてきましたが、それを支えてくれたのは、やはり家庭を守る妻がしっかりしていたなればこそです。

昭和五十七年六月、私の最後の仕事と期した竜ヶ岩洞のオープンを待たず、今日の盛況も知らずに、いつものように心配したまま急逝した妻でした。

いつの日か、またともに静かに歩きながら語ろうと思っています。


次回は 竜ヶ岩洞 鍾乳石 それぞれについての発掘秘話を取り上げる予定です。

 

尚 本シリーズにおきましては 戸田貞雄氏の直系の御子孫であられる 戸田達也氏(株式会社 戸田建設・竜ヶ岩洞 代表取締役)のご承認とご協力のもと 進めさせていただいております。

(記: 前澤 祐貴子)


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