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『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ 〈12〉「県門の四天王 村田春海」
時代への提言 | 2023.10.02

©︎Y.Maezawa

今、国学が呼びかけるもの」シリーズ

12

江戸での弟子

県門の四天王 村田春海

村田春海は 県門の四天王 として知られ 

賀茂真淵の死後

真淵の作品を集めた『賀茂翁家集』の刊行に尽力した人物です。 

真淵の門下としては 加藤千蔭(橘千蔭)と共に 双璧 言われ

国学の面では 仮名遣いや五十音の研究を 行いました。

平安時代に作られ 存在が知られていなかった 漢和辞典『新撰字鏡』 を発見したのも大きな業績でした。

十八大通の一人 に数えられるほどの 遊興により 家産を失い、晩年は 和歌、和文の教授に資を得る生活を 送りました。

真淵の万葉風を受け継がず、古今調の才気の勝った理知的な歌を詠み、また 漢詩文の素養が高く、流暢な文章にみるべきものがあり、この時期の名文家 と評されています。

©︎Y.Maezawa

村田春海は 江戸日本橋の両替商にして 深川の豪商干鰯問屋の次男として 1746年(延享3年)に生まれました。

父 春道、兄 春郷に倣い 十代はじめに 真淵に入門、詠歌と学問を学びました。

1763年(宝暦13年)新上屋での 67歳 真淵と 34歳 宣長 との たった一夜の出会い 「松坂の一夜」 があった 真淵の大和旅行に 25歳の兄 春郷 他5〜6名の者と 同行していたのが 18歳の村田春海でした。

真淵は 田安宗武の命を受け 隠居の身とはいうものの 道中 田安家の家士 という格式を保ち 封建社会のしきたりに従い 供人や槍持ちを伴う 学術的な長期旅を挙行しました。

しかし この「松坂の一夜」(1763 05 25)には 春海は登場しません。

宿泊先である 松坂の旅宿 新上屋の隣室で 兄 春郷と 寛いでいた という説や 盛り場に繰り出していた という説もあります。真淵の大和旅行に同行するほど 重用されていた春海でしたが… 

©︎Y.Maezawa

1768年9月(明和5年)、兄 春郷が30歳の若さで 死去しました。この事態に 養子に出されていた次男の春海が呼び戻され 村田家を継ぐことになりました。

不幸は続くもので 翌1769年(明和6年)、父 春道が また 同年 師である 賀茂真淵が 相次いで 亡くなりました。

春海には 家長としての自覚、国学者としての自立が 同時に求められることになりましたが、次男坊として育てられてきた春海にとって 独り立ちすることは容易なことではありませんでした。

一時 春海は 国学から離れ 家業にも身が入らず 放蕩三昧に明け暮れ 江戸新吉原の花柳界・演芸界で豪遊し 「十八大通(じゅうはちだいつう)*」の一人に数えられ 村田屋帆船 と呼ばれていました。

また 吉原遊郭丁子屋のナンバーワンを 妻として 迎えたりもしました。

そんな春海の豪遊がたたり 遂には 実家の干鰯問屋は 破産の憂き目にあってしまいました。

* 十八代通: 江戸の遊里などで 派手に振る舞い 通人を気どった 一群の江戸の富裕商人のこと  

©︎Y.Maezawa

どん底に落ちてしまった村田春海が 再び 詠歌と国学に打ち込むようになったのは なんと20年後のことでした。

©︎Y.Maezawa

1787年(天明7年)8月、42歳の春海は それまでの生活を改め、学問の道に戻ろうと意を決し 京都に向かいます。翌年3月10日、旅の途中に 宣長宅を訪問します。

宣長と出会ってからの春海は 心を入れ替え  再び 学問に打ち込みました。

宣長と対面を果たした翌年 1789年(寛政元年)に 春海は ちょうど同時期 江戸町奉行与力の職を辞し 詠歌と古典研究に専念しつつあった 加藤千蔭(橘千蔭)と共に 万葉集の会読を 始めることになります。

春海の学問研究は 万葉集にのみに限られるわけではなく 精力的に 国学の様々な分野の研究を 進めていきました。

その間、研究面で先行する宣長に対する思いには 背反するものが あったようです。

真淵の家集「賀茂翁家集」の編纂にあたって 宣長の意向を汲むなど 宣長の学問に対して 尊敬の念を抱いていた一方、宣長に対する対抗意識もあったのです。

とりわけ 文章論や歌論などの 春海が得意とする分野において 激しく敵愾心を燃え上がらせました。

宣長は 春海にとって コンプレックスの対象であり、宣長没後 その攻撃には 拍車がかかり 宣長の門弟との間で 火花が散っていたようです。

©︎Y.Maezawa

歴史に 「たら れば」はありませんが

春海も 松坂で 真淵に同席し 宣長と出会っていれば…

その後の展開は 大きく 違っていたかもしれません…

【参考】

真淵と宣長「松坂の一夜」の史実と真実』 田中康二著 中央公論新社

©︎Y.Maezawa

* より詳細な情報をお求めの方は 是非 下記 浜松市立賀茂真淵記念館アカウントにアクセスくださいませ。

©︎Y.Maezawa

浜松市立賀茂真淵記念館 

URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp

尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。

(編集: 前澤 祐貴子)

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