交流の広場
老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿C】医師 菅原一晃シリーズ > 【寄稿C】No.13 「第2次世界大戦と惨劇の記憶: その後の人間の生き方について」 精神科医 菅原一晃
No.13
第2次世界戦争 と 惨劇の記憶
=その後の人間の生き方について=
〜『赤い十字』から〜
サーシャ・フィリペンコ 著
『赤い十字』
奈倉有里 訳
集英社
2021/11/30
(原著 2020年)
精神科医
菅原 一晃
8月 というのは 日本人にとっては 特別な季節です。
誤解を恐れずに言えば、「宗教を忌避する日本人」が最も宗教的なもの、霊的なものを好んで、あるいは 受動的にであれ、意識する季節です。
理由と言うのは明快で、8月 というのは まず お盆の季節で、親戚が集まったり、それで墓参りに出かける機会があること。この時に 柳田國男の『先祖の話』のように、先祖の霊が彼岸から此岸に戻ってくることになっています。たとえ そのような物語を信じていなくても 自身の家や家族、それに連なるものを普段や他の季節と比べて 明らかに意識する季節であるでしょう。
もう一点は これも明確で、1945年8月15日 というのが 私たちにとっての終戦、あるいは 敗戦の日であり、必ず 「戦後〇年」 という形で報道されます。70周年、80周年、というキリ番では、総理大臣がどんな談話を述べるかについて、国内や近隣の国々でも話題になったり 政治的な事案にもなります。
また その前の 8月6日と9日には、広島と長崎での核兵器が落とされた日 ということで、これもまた大きく報道をされます。
「戦争」というと、人によって イメージは異なりますが、必ず 何かしらの惨禍を及ぶものであります。
もしかすると 何百年か前の騎士道物語にあるような、戦いを通じて友情が芽生える、というようなロマンがあった頃が 極稀にあったかもしれません。あるいは 第一次世界大戦の時には、お互い分かれた同士が いつか理解し合って…という風に 思っていたヨーロッパの兵士たちも それなりにいた という話もあります。
しかし 現実の戦争はそのようなものではなく、関わる人間の財産や生命を 脅かしてしまうものです。騎士道物語に憧れていた兵士たちも 実際の実戦に投げ込まれると 最早 そのようなものとは程遠い、特に 20世紀以降の戦争は、戦う相手が認識すらできないようなものであることに 絶望を抱かざるを得なかったでしょう。
勿論 誰かが損をすれば 誰かが得をするのが この世の中の常ではありますが、戦争は その損があまりに大きすぎ、国全体、人間関係や健康、仕事 など なんでもかんでも損なうもの としか思えません。
そんな中で 戦争をどのように伝えるか、ということは、今なお 現在進行形の難しい課題である と言えます。
今回 紹介したい本は サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』(2021年、集英社)です。
著者は 1984年、ベラルーシのミンスク生まれで ロシアのサンクトペテルブルグ大学で文学を学んだ作家です。現在は 母国を離れ 亡命して、創作活動を行っています。
この作品は ペレストロイカにより情報公開されたソ連と 国際赤十字の大戦中の交信記録からの着想により書かれたもので、戦争の記憶は ほぼ事実を小説としてアレンジしたものになっています。
舞台は 現代のベラルーシで、作者の出身地でありますし、主人公の男性は 作者と同じ サーシャ という名前です。
蛇足ですが ロシア文学では ドストエフスキーなどが代表ですが、なじみがない名前がたくさん出てきて、誰が誰かを把握できない沼に はまってしまうことがありますが、この小説では 登場人物は少ないために そのようなこともなく、非常に簡潔な作品である と言えます。
サーシャと もう一人の重要人物が、サーシャが引っ越してきたアパートの隣の部屋に住むタチヤーナばあさんです。
サーシャは いろいろな身の上に起こった不幸を抱えた中で ベラルーシのミンスクに引っ越してきます。
結婚して 妻が妊娠しているなかで、妻が脳死状態になってしまう という状態。とてもではないですが、それだけでもう、正常の精神状態でいられないでしょう。
そんな中で 91歳の ボケているのかボケていないのかよくわからないおばあさんが、こちらの意向など関係なく 話しかけてきます。
正直 たまったものではありませんね。高齢社会の日本でも そのようなことは起こっているのかもしれません。
しょうがない とは思うものの、このサーシャにいろいろなことを話しかけるのは 迷惑以外何物でもないのではないか、そのように思わざるを得ないスタートでありました。
しかし タチヤーナがサーシャを毎日毎日見かけると、自分の人生について、過ぎ去った戦争、第二次世界戦争や さらに それが終結してもまだ 延長戦のように存在していた戦争後の 壮絶な体験について 話し続けます。
当初は うっとおしいおばあさん としか思えなかったタチヤーナばあさんですが、その内容の壮絶さに サーシャは引き込まれていきますし、恐らく 読者も聞かざるを得ない気持ちになっていきます。
蛇足ですが、「物語る」というのは そのような効果がある と思います。
どんな話でも 最初から面白い話をできる人は稀だ と思います。嫌々聞いていたものが、だんだんと 自ら聞きたくなる、そのような話をする人は 確かにいます。
これは 良いことばかりではなくて、宗教だったり、お金が儲かる系の話で そのようなことが多いことでしょう。しかし 自分の身の上の話 であればどうでしょうか。
「人の家族」や「その人が昨日みた夢」など 多くの人は 他人のものは興味がありません。自分にとっては切実でも 他人のものであると 途端に興味を失ってしまう…そういう類の話である と思います。
当然ながら 他人と自分とは違いますが、その他人に どのように伝えればいいか というと、感情移入によることである と思います。
感情移入をさせたり、共感をしてもらうことによって、本来 別の人間同士で話や体験を共有する。
これは 恐らく 有史以来 人間がしてきたことだ と思います。
近年は インターネットのSNSによって 情報を伝えることが 飛躍的に向上し、簡単に 多くのことを 迅速に 伝えられるようになりました。しかし それらはあくまで 情報 にしかすぎません。相手に伝えたい事、理解してもらいたい事を伝えること、あるいは それを聞くこと というのは、決して人間は 向上していません。
SNSの広がりで ますます世代間だったり、興味があるグループ内で垣根を超えて他者を関わったり、話を理解する、ということに関しては、今後 更なる障壁が生じやすくなっている とむしろ感じます。そこを どのように乗り越えていくか ということに 人類は試されていくことになると思います。
閑話休題。
91歳のタチヤーナばあさんの話は 壮絶を極めるものでありました。
第二次世界戦争の時代には、ソビエト社会主義共和国連邦、いわゆる ソ連 がありました。
ソ連のスターリンは 非常に脅威に思われていましたし、「粛清」という形で 多くの自国民が殺され、亡くなったことを 私たちは教科書で知っています。
しかし その内実を読むと、やはり といいますか、驚愕せずにはいられません。
ソ連では 当時 戦地で捕虜になることは 裏切り者と同じでありました。
そして その捕虜に対しては 他国からの捕虜交換にも 一切応じませんでした。この捕虜交換を 再三ソ連に要求をしたのが タイトルにもなっている 赤十字 であったのです。
そして 兵士が捕虜になると その家族も逮捕されてしまう時代でありました。
何故 そんなことが生じていたか というと、ソ連はジュネーブ条約を批准していなかったのです。そのため 捕虜となった自国の兵士とその家族を 裏切り者として 極めて冷酷に扱う ということができてしまったのです。
そして スターリンの恐怖政治とも相俟って 地獄のような状況を作り出してしまったのです。
尚 このジュネーブ条約を批准していなかった国が 他にもありました。日本です。そのことを考えると 私たちの国が 他の国にしてきたであろうことを考え、背筋がぞっとせざるを得ません。その意味でも この小説は 様々な広がりがあり、時代や空間を超えて 教えてくれる要素が多いのです。
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」 というのは かつて日本が戦時中に 兵士たちの訓戒とした言葉でありますが、ソ連も同じであったことを知ると いろいろ考えずにはいられません。
そして 物語は タチヤーナが戦時中、外交文書を翻訳していた時に、捕虜リストに夫の名前を見つけ、戦時中の不安な状態から、一気に 急激な展開となります。
上記の経緯があるために 夫が捕虜 ということが判明すれば、家族全員の命に危険が及ぶことは明白です。タチヤーナは 自分が最初に外交文書を見られると言う立場から、その報告書を改竄し、夫の名前を別の名前に変えました。
そのことで 別の人間が捕虜として認識され、家族もひどい目にあったり殺されてしまうのではないか という罪の意識をもって タチヤーナは暮らすことになります。
しかし 結局 タチヤーナの夫は 敵の捕虜となりました。夫が敵側に寝返った罪で 秘密警察に逮捕され、娘のアーシャとは生き別れになります。彼女は 収容所へ 一人娘は孤児院へ 行くことになりました。
収容所を出た10年後、タチヤーナは夫、一人娘、そして 自分が名前を改竄した兵士を 探すことになります。結局 夫も娘も 死亡していました。
絶望的な状況です。
それでも タチヤーナは 寿命がある限りは生きよう としていきます。戦争で生じた孤児を助けよう、自分が被害を加えた可能性のある兵士を探し出して 謝ろう とすることを目的に 前に進んでいきます。
91歳のタチヤーナに こんな前半生があったとは ということで 本書の最初で絶望的なサーシャに対し 邪魔するように語りかけていた彼女を 正直なところ 疎ましく思っていた自分自身を 反省しなければいけない気持ちにもなりました。
現代は 高齢社会であり、認知症の患者の数も 非常に多いです。街中でも 多くの老人たちを見かけますが、元気で健康的な人ばかりではありません。身体的に病気を抱え、歩行が不自由であったり、眼や耳が聞こえにくい方も多いです。また 時々 高齢者が自動車事故を起こすニュースもあります。年金など 財源の問題なども 聞こえてきます。
このように 高齢者や認知症を取り巻く 多くのネガティブな状況が 現代社会では頻出していますが、しかし 高齢者あるいは認知症患者にも 人に話さない あるいは 話せない 認知機能の関係で最早話せなくなってしまったような前半生が あったりするのです。認知症の面、悪い面だけをみて その人を判断しないように したいものであります。
そして これだけでも悲劇的な話でありますが、物語の最後 タチヤーナ自身は 年齢のために 男性を探せなくなり、サーシャがその任を負いますが、半世紀もの間抱えていた捕虜名簿改竄に対する良心の呵責が 思いもよらない形で裏切られます。
タチヤーナは ずっと長い間 自身と夫と娘のために 一人の兵士と家族を収容所行きにしてしまった と心を痛めていましたが、その兵士は 問題なく過ごせて 何食わぬ顔で登場します。そして 夫が銃殺された原因は その兵士による密告であったことが 判明してしまいます。
改めて言うまでもなく 戦争の悲惨さや 本人が持っていた良心の呵責のやりきれなさ、残酷さに 言葉を失います。
孤児院に収容された孤児が まず身につけるのが 密告 という話も出てきますが、極限状態の中で生き残るためには もうなんでもあり の世界です。
思えば タチヤーナも文書を改竄し、結果的には それは その兵士や家族の人生を変えるものではなかったのですが、そうなっても おかしくはなかったのです。その意味では 結果を知っている私たちが タチヤーナの罪の意識や良心の呵責を とやかく言うことは筋違いである と思えます。誰も彼も 生きることに必死だった。最早 それしかないのでしょう。
しかし 唯一の救いとしては その相手のせいで 夫が銃殺された事は知らぬまま 安らかにこの世を去ったことかもしれません。サーシャもそうですが 読者も このタチヤーナには 「どうか安らかに眠ってほしい」という気持ちを持たずにはいられなくなります。
この物語は 不幸なサーシャが聞き手でありながら、時代が異なる悲劇的なタチヤーナの話を聞く、さらには それが現代にも(生き残った兵士の話など)繋がっていることをみることになります。
時代は変わっても 様々な悲しみ、悲劇があり、また 時間が経っても 決して風化し得ない、時代を越える脅威を感じます。
この物語の主人公のサーシャは、脳死の中で出産した子供を 自分一人で育てないといけないわけで、そのことが 今後 本人や子どもに禍根を残すかもしれません。
脳死は 戦争と異なって、病気や事故で起こるものではありますが、自分たちが意図したものや臨んだものではありません。それでも このような形で、人間は 多くの予期せぬ不幸に見舞われます。戦争のように、一見 遠目で見ると大きな被害を与えるものではないかもしれませんが、一人の人間、あるいは その最小限のまとまりである家族にとっては とても大きな、運命を左右するものになることには 違いないのです。
その中でも 人間は、与えられた状況の中でしか 生きていけません。
難病になったり、五体満足ではなく生まれたり、障碍を持って 生きざるを得ない人たちは多いし、この小説のタチヤーナのように、政変や戦争いよって 振り回されることも 世界的には 決して珍しいことではありません。そんな中でもなんとか生きる希望や目的を持って生きる この小説の登場人物たちは、現代に生きる私たちに 勇気を与えてくれるともいえます。
最後に、アルツハイマーは人生の恐ろしい瞬間を忘れるための神様の寛大さだとか言われても、、タチヤーナは「そうはいかない。神様が いくらがんばったって あたしは何も忘れやしないよ、絶対にね」といいます。
私たちは「認知症」「アルツハイマー病」といったものを不幸なもの、病気であると判断します。認知症にならない方がいい、もしこの人が認知症にならなければ、あるいは認知症になるなら早く死んだ方がまし、と自身で述べる方も正直なところ多くいます。
しかし 認知症は果たして不幸なのか、ということです。そしてそれは周りにとっても同様なものなのか、と考えます。
もちろん、介護が大変で最後は殺人になる自体に発展するケース、認知症への長い介護の後に一方が死んだあと自殺で後追いするケース、自動車事故を起こしてしまうケースなど、悲惨な最期を遂げるケースは決して少なくありません。
暑い中、孤独死して、発見した家族が、身体が溶け出して顔ももとの状態と判別できないほと崩れてしまったケースなどもしばしば聞きます。認知症を美談にするつもりはありません。苦労している家族や本人も辛いケースは数多くあります。
しかし このフィリペンコの小説に出てくるタチヤーナのように、長い苦しみから解放されつつ、迷惑をかけながらも、自分の過去を語ること、それがこの女性にはできました。もし、人生に絶望したり、億劫になって死んでしまったらそれはできませんでしたし、もはや 自分以外の家族が 全員死んだ時点で、そうなっても全くおかしくなかったのです。
認知症、とりわけアルツハイマー型認知症というのは、短期記憶・記銘力が失われてしまう事態ですから、タチヤーナはサーシャに対して自分の過去を伝えたことを覚えていないかもしれませんし、その可能性が高いですが、それでも不幸禍にあり苦しんでいるサーシャにとってその体験を聞くことは意味があったには違いないでしょう。もしかするとタチヤーナがアルツハイマーでなかったならば、こんなことを言うべきではない、と話さなかったかもしれません。その意味では、彼女は、そして彼女だけではなく周囲の人物にとっても、認知症になって救われた面ももしかしたらあるのかもしれない、と、恐らく認知症に対しての少ないながらもポジティブな要素になりうるとも思える小説であったと考えるのです。
訳者の解説では、「『赤い十字』を読む人には 一晩か 長くても 二晩くらいで読んで、思い切り 作品世界に入り込んでほしかった」と書かれていますが、本当に そのように 作品世界に吸い込まれていく小説です。
多くのテーマが詰め込まれており、歴史的な意義や記憶、人間がどうやって生きていけばよいのか など、様々なことを考えさせられる作品ですので 是非 読んで頂きたい作品です。
(編集: 前澤 祐貴子)
* 作品に対するご意見・ご感想など 是非 下記コメント欄にお寄せくださいませ。
尚、当サイトはプライバシーポリシーに則り運営されており、抵触する案件につきましては適切な対応を取らせていただきます。