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【寄稿F】『北斎と応為』 ユーラシア問題研究家  清水 学
時代への提言 | 2023.06.29

©︎Y.Maezawa

『北斎 と 応為』

読んで

ユーラシア問題研究家

清水 学

清水 学

長野県飯田高校出身、東京大学教養学部卒 

専門:国際関係論

アジア経済研究所研究員、帝京大学教員など歴任

現在、「中央ユーラシア総合調査会」常任理事

©︎Y.Maezawa


はじめに

北斎と応為』 上下巻 (2014年、彩流社) を 読んだ。

言うまでもなく 葛飾北斎 (1760~1849) は  幕末江戸の 浮世絵師・版画絵師 として、数々の独特の絵を残した天才画家 である。

応為(生没年不詳)は その娘で  本来の名前は  お栄 であるが、最後まで 北斎の面倒を見ただけではなく、本人の筆による名画を残したことで知られる。

ともすれば  北斎の陰に隠れて、その作品について 独自の光が当てられることが少なかった。

しかし 今日 北斎とは異なる独自の画風について注目される など、新たな関心の高まりがみられる。本書は  応為 に焦点を当てたもので、北斎も 応為の目を通して 描かれている点に 斬新な試みがみられる。


私は 特に 絵心があるわけではなく、北斎や応為について 見解を述べる資格はない。

しかし  北斎に無関心だったわけではなく、江戸期、特に  後期の浮世絵の果たした役割 と 独自の存在感 に 無関心ではなかった。

今回、改めて 上記の本を読もう と思ったのは、筒井祥博氏に紹介された老成学研究所に投稿された 寺川進氏の論評「老成して観る『夜桜美人図』は素晴らしい」 を読み、寺川氏が素晴らしい と感動された背景を 知りたい と思ったためでもある。

©︎Y.Maezawa


1.応為 と「夜桜美人図」     (仮想問答)

本書の中で 「夜桜美人図」について 以下のような言及がある。

(下巻 262~263頁)

尚 本では「春夜美人図」としてあるが、「夜桜美人図」のことである。

この場面は、元吉原の遊女で 今は出家している 志乃(架空の人物と思われる) と 応為 の 仮想対話となっている。

禅問答のようであるが、最後の志乃の発言の本意を探ること が 一つのカギであろう。

「一緒にそれら(絵)を見て回る。志乃が質問をしたり、意見を述べたりする。『春夜美人図』もある。(中略)星の瞬く夜空の下で、女が手に筆を持っている。

『あなたは女を描くのが本当にお好きでしたね、この作品のように。男たちが囚われの女を慰み物にしても、女の心は決して冒されませんものね。』わたし(応為のこと)は言ってみた。「僕(しもべ)のようなもんだったからな、私も」

志乃はため息をつく。『人間はみな囚われの身なのです。もちろん、女には男に許されたわずかな自由しかありませんが、その男とて御仏に弄ばれる存在なのです。世の中を牛耳っているのは男かも知れませんが、それも結局は幻想で、男たちの権力も煙のようなものでしかないのです』

『まあ、そうかもしれないけど』と、私は疑わしげに言った。富士山の背後から立ち上がる煙に龍が浮かんでいる絵(北斎「富士越龍図」)を見ながら、その煙柱を志乃が指でなぞる。『わかっていたはずですよ』」

©︎Y.Maezawa

2.外国人が描いた 北斎 と 応為

ところで この本の極めて興味深いところは、この原作者(著者)が外国人、しかも 西欧世界に属する カナダ人女性だ ということである。何も明記してなければ、この本を読む人は 日本人が書いたものと言われて 何の疑問もなく 読み過ごしてしまうだろう と思われる。それは 翻訳者が日本人で 日本語がこなれているためだけではない。


著者は キャサリン・ゴヴィエ(モーゲンスタン陽子訳) で 1948年に カナダ・アルバート州で生まれている。この本を書くために 訪日して 関連地域に足を運んだことがうかがわれるが、それによって この本の面白さと 書きあげられた秘密を 解くことはできない。

私は この本が 応為を描こうとして かなり成功したのは 次の四点に帰属するため と考える。


第一に、絵画に対する感覚 と 知識の蓄積 があり、絵画そのものを通じて 直接、北斎や応為を理解しようとしたこと である。

応為について理解する客観的資料は ほとんど残っておらず 極めて少ない。生没年さえ不詳である。つまり 確実に依存できるのは 応為が描いた絵画である。

著者は、直接その絵から 彼女の性格・来歴を探り出し、感じとり、それを基礎に 長大なストーリーに膨らましていったのではないだろうか。

芸術作品に深く感動している その瞬間は 人生を深く生きている瞬間である。そこから 想像力を時間的に延長し 空間的に拡大しようとした と考えることができる。


第二に、吉原の全体像、システムについての 該博な知識 である。

著者には 日本の絵画、文化、家族・親族関係に対する 研究の裏付けがあった といえよう。文学を含めて かなり正確な知識を持っている とみられる。江戸後半・末期の 吉原、歌舞伎、黄表紙なども 町人文化の広がりと相互関係も きちんとつかんでいる。ジャポニスムは 絵画に限定されない拡がりをもっていたことも うかがわれる。


第三に、著者が女性であったこと で、それが 遊女の心理の理解を深める上で 有効に働いたことが重要である とみられる。

自らを 応為と一体化させる側面が なかったとは言えない。同時に 重要なことは、著者が いわゆるフェミニズムを相対化する 広い深い視点を持っていること である。


第四に、異文化を理解しようとする態度が バランスをとっていること である。

確かに オリエンタリズムの若干の影響を感じるところが 全くないわけではない。しかし、それは 今後 克服される方向性が垣間見える。

尚 オリエンタリズムは 意識的・無意識的に 西欧を基準に 他の地域を理解する傾向 を指す。

©︎Y.Maezawa


3.父と娘、弟子と師匠、親族 との関係

北斎について 実は 知られていないことの方が多い。ましてや その娘 応為については さらに知られていない。その中で 本書は 著者が自らの想像で ストーリーを築きあげていったものであり、ノンフィクションではなく 創作であり、小説である。そのように 読まれるべきものであろう。

しかし、その展開は ドラマティックであり、シーボルトあり、黒船ありで、著者の豊かな構想力を痛感させる。


その中で 全体を貫くテーマは、父の芸術的天才性を評価し、その影響の下にありながら、同時に 強い自我意識と 独自の画風の成長を意識する 応為の心理描写 である。

父は それを認めない、あるいは 認めないふりをする。それは 自己の自信の現れでもあるが、父娘との関係で 優越性を保持しようとする心理も 一方では反映する。

そこには 娘への愛情と 娘の画才に対する高い評価とが 絡み合っている。

北斎も 実は 娘の才を認めているから、手放さないのである。画風における共通性と 成長する独自の画風との複雑な矛盾。

相互に 相手の画風を認めざるを得ないが、父にとって 娘の能力が隠れた誇りであるにも関わらず、表面的に 正反対のことを言う。相互に 愛情を持ち、また 相手の能力を認めているが故に、離れられない。


他方では 娘は 絵の分野で 父と対抗しようとする。対抗しようとすると 相手の優れたところが 改めて見えてくる。

北斎の名前にあやかろうとする弟子たちと 応為、親族との摩擦などの リアルな描写は 著者の想像力の世界である。

私は、父と娘の 複雑な葛藤が テーマとして リアルな問題として 読者に迫ってくるのは、著者が この関係を 北斎と応為の 絵画を通じて 読み取ったことによるものである と捉える。勿論 それは 著者の理解である。しかし、それにより 外国人のもつ制約を乗り越えることに 基本的に成功した作品になった のではないだろうか。


4.今後の課題

骨太の基本的ライン以外では、読者として いくつかの不満があるのは止むを得ない。

一つには 江戸時代の幕府の 支配体制の強権的側面が 強調され過ぎており、その複雑性の叙述が やや不十分である。

いかに制約があったにせよ、何故 北斎や応為が 大胆な構想の浮世絵を描くことが出来たのか。江戸時代に 一定の自由な空間が存在し得たのは 何故か。松平定信の人間像は 果たして 幕府の全体像を表現したものであるか。知識人でも商人、農民出身で活躍した者も少なくなかったのは 何故か…などである。


何故、このような問題が重要か といえば、明治維新とは何だったのか の基本線に関わる と思われるからである。

また 不十分だと思われる点は、高井 鴻山(1806年~1883年)との関係と 信濃国高井郡小布施村での 北斎と応為の活動についての叙述が少ないこと である。それは 北斎の晩年に属するが故に、また 応為の絵と重なる故に、非常に興味深い時期なのである。

高井は 当代の豪商的文化人の典型である。北斎父娘との緊密な交流は 事実として認められており、そこから 北斎、応為と その絵画にアプローチできる方法もあるのではないだろうか。

私は 残念ながら、未だ小布施に行ったことがない。同好の士で 小布施訪問が企画できれば良い と思っている。

©︎Y.Maezawa


本書は 米国では 「版画家の娘」 という題で出版され、カナダでは 「代理の画筆」 という題名で 出版された。

ある時期以降、応為が 北斎の代理の画筆を振るっていたのではないか という想定が ベースになっている。その後 本書は、日本語の他、フランス語、スペイン語、ルーマニア語に 翻訳出版されている。

(2023年4月24日 筆)

(編集: 前澤 祐貴子)


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