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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿B】教育者 岡本肇シリーズ > 【寄稿B】《15》「下座行」 西遠女子学園 学園長 岡本肇
下座行
西遠女子学園 学園長
岡本 肇
30年間勤めてきた学校の理事長、校長を辞める時は これをやろう と前から決めていたことがあった。それは 出処進退は自ら決めて その後 用務員として 働かせてもらうことだった。
あるスペインの修道院では 院長は任期が終わると 必ず修道院では一番下の仕事、掃除や給仕をすることになっている という話を聞いたからである。
何故 そういう規則になっているのか知らないが 一番下の仕事をすると 見えてくるものがあるからだろう。
英語で「理解する」という言葉は アンダースタンド、下に立つ である。舞台の上からではなく 下に降りて 平土間に立たないと 見えないものがあるのである。
もう一つの理由は 本校では 80歳に近い老人のHさんが用務員をしていた。自営の仕事をたたんで 晩年に用務員になったが 剣道七段、居合道五段、杖道三段の達人であることが 後でわかった。小柄で 控えめな人だったので 誰も気が付かなかっただけである。
そのHさんが 黙々と 教職員のトイレを何年も掃除していたのである。
私は 彼が退職したら トイレの掃除は自分がかわろう と決めていた。
彼の目に 教師がどう見えていたか 知りたかったからである。
75才の時 理事会の承認を得て 任を解かれて 学園長 という権限も責任もない身分を与えられた。決まった仕事といえば 春と秋に ひとクラスごとに生徒にお話をすることで 他は自由の身になった。そこで 一日の半分くらい 用務員の仕事をすることにした。
朝、校門と校舎を開けて 校内を見廻り トイレ掃除をする。日中は落ち葉掃きや雑草取りである。勿論 掃除の時間に 生徒もするが 広い校内を隅から隅まで というわけにはゆかない。夏休みなどは 草が伸び放題になる。
お寺には 「下座行」という言葉があって 人より一段低い位置に身を置いて 不平不満を表さず 己を磨く修行を言う。落伍者というのではなく 自分からその地位に安んじて 自己を識り 自分を鍛える行である。
昔は お寺が学問の場所であり 机の上で学ぶ座学だけでなく 行学として作務があった。
掃除から炊事、洗濯まで 日常の家事を修行として 全身全霊で当たって 自分を鍛えるのである。
年齢の多い少ない、位の高い低い に関係なく 朝のお勤めが終わると 全員で働いた。
百丈禅師の言うところの 「一日なさざれば 一日食らわず」である。
だから お寺の庭は いつも掃き清められていて 廊下は 磨き込まれて 黒光りしている。
戦前 大阪 天王寺師範(現 大阪教育大学)で 修身を講じていた 森信三の『修身教授録』がある。
その中で 「下座行」について
人生は自分の後輩が校長になって その下で働くこともあるし 自分の部下が上司になって 仕えなければならないこともある。そんな時 校長は校長として 上司は上司としての格式において 年が下であっても 人物が劣っていても 十分に礼を尽くして接し 昔の関係など おくびにも 出すべきでない。
と言っている。
菜根譚に
人ノ詐(いつわり)ヲ覚(さと)ルモ
言二現(あら)ワサズ。
人ノ侮(あなどり)ヲ 受クルモ
色二動カサズ
とある。
80を過ぎると 現役で活躍している人は 皆 自分よりも若い。
時には 眉をひそめる言動を見過ごすことも 「下座行」である。無礼だと思う振る舞いも 怒らないのが 「下座行」である。
体力の衰えを自覚し これといった特技も趣味もない凡夫として 毎日 校門を開け 汚れた所があれば 掃除するのが 自分の「下座行」だ と思っている。
老人であることは 肩書きでも 資格でもない。
自分の過去の仕事や苦労など 人には 何の意味もないことである。
老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すも
志 千里にあり
年をとって 馬屋に伏していても 夢は
千里の草原をかけることが出来る
「何のために 生きるのか」という永遠の課題があるが
自分の「下座行」を見つけて
人と比べることなく
最後まで 自分を磨き続けることだ
と思うようになった。
(編集: 前澤 祐貴子)
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昨日はありがとうございました。
素晴らしい提言を読ませて頂きました。生き方の指標になります。
岡ポンは、永遠にずーっと私達の大切な先生です。
この年になって、先生の文章を拝見できて、大変幸せです。
どうぞお身体ご自愛下さい。