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【寄稿B】《14》「式部と納言と一葉」 西遠女子学園 学園長 岡本肇
時代への提言 | 2023.04.16

©︎Y.Maezawa

式部 と 納言 と 一葉

西遠女子学園 学園長

岡本 肇

樋口一葉のさをのしづく」という文の中で 紫式部と清少納言のことを書いているものがある。

ある人のもとにて 紫式部と清少納言のよしあし いかに などいふことの侍りし 

人は式部式部とたゞほめにほめぬ しかあらんそれ さる事ながら 清はらのおもとは 世にあはれの人也 

名家の末なれば 世のおぼえも かろからざりしやしらず 万(よろず)に女ははかなき物なれば はかばかしき後見などもなくては ふれけむほど うしつらしなど 身にしみぬべき事ぞ 多かりけらし

ある時 紫式部と清少納言とどちらが上か と話題になった。

紫式部だと褒めそやしたが 納言は可哀想な人です。

良い家柄の出であれば 世間の扱いも良いが 女は弱いものだから 後ろ盾がなくては 悲しいことや辛いことも多かったでしょう。

式部は をさなきより 父 為時がをしえ 兄もありしかば 人の妹として かずかずにおわゆる所も 有たりけん

式部は 小さい時から 父親の藤原為時が教育し 兄も妹に色々教えたこともあったでしょう。

假初の筆すさび、成ける枕の草子をひもとき侍るに うはべは 花紅葉のうるはしげなることも ふたたび三度 見もてゆくに 哀れに 淋しき気ぞ 此中にも こもり侍る

かりそめの筆の赴くままに 書かれた枕草子を見ると 表面的には 桜の花や紅葉のように 美しそうな部分も 二度三度読んでいくと 次第に しみじみと淋しい気配が文の中に篭っているのが 分かります。

少納言に 式部の才なし といふべからず

式部が 徳は少納言にまさりたる事 もとよりなれど さりとて 少納言 をとしめるは あやまれり

式部は天つちのいとしごにて 少納言は霜ふる野辺にすて子の身の上成るべし

あはれなるは 此君の上やと いひしに 人々 あざみ笑ひぬ

少納言に式部ほどの才能はない と言ってはいけません。

式部の才能は少納言に優っていることは言うまでもないことですが そうだからと言って 少納言を見下げるのは 間違っています。 

式部は 生まれながら 恵まれた境遇なのに 小納言は寒い野原に捨てられた子どものようです。

可哀想なのは 少納言です と言うと 人々は 馬鹿にして笑った。

一葉は 清少納言があまり恵まれなかった境遇の中から 宮中を代表する女房になったのも束の間 悲惨な状態で宮仕えを終わったのを 自分自身の身の上と重ねて 同情したのだろう。

©︎Y.Maezawa

清少納言は 一条天皇の中宮定子(ていし)に宮仕えて 定子の父 藤原道隆(みちたか)が栄華を極めた後宮の女房として 活躍した。

しかし 一年足らずのうちに 道隆が病死すると 叔父の道長と兄の伊周(これちか)の間で 争いが起こり 伊周は太宰府に流されて 定子の一族は没落してしまう。

多くの人が定子の元を去り 孤立無援の中で 25才で崩御してしまう。

定子が亡くなり 宮仕えを辞した後も 悲惨な末路の様子には全く触れず 定子の輝かしい栄華の時代を 春のような明るさと幸福感に満ちた時代として書き続けた。

これは 清少納言が本心から慕った定子を 後の世に 美しい姿のまま 伝えるためである。

また 定子の不幸を書けば とりもなおさず 道長が定子を死まで追い詰めた非道を糾弾することになって 既に権力を握っている道長の時代にはできないことだった。

©︎Y.Maezawa

紫式部は 道長の娘で 幼い(12才)中宮 彰子(しょうし)に仕えた。

皆が 定子の時代を懐かしがり あの頃は良かった という声を聞くと 清少納言に 怒りを感じたのだろう。「紫式部日記」で痛烈な批判を展開した。

清少納言こそ したり顔に いみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。

かく、人に異ならむと思ひ好める人は 必ず見劣りし 行末うたてのみ侍るは。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

清少納言は 得意顔になっている人。あそこまで利口ぶって 漢字を書き散らしているけど よく見れば まだ未熟です。

人と違って 目立とうとするのが好きな人は やがて 欠点が表れて 行く末は 嫌な奴になってしまうでしょう。嫌われ者になってしまった人の成れの果ては 良いわけがありません。

全盛を極めた道長の元で 紫式部がこれを書いたのは 定子が亡くなり 清少納言が宮中を去ってから 10年ぐらい後のことである。

紫式部は 定子の凋落の様子を知っているから その悲劇の片鱗も見せずに 美しく雅やかに 定子後宮を書いた清少納言を「そのあだなりぬる人」 すなわち 「そんなはずはない、 嘘ばっかり」 と言いたかったのだろう。

©︎Y.Maezawa

一葉の時代は 源氏物語がもてはやされ、紫式部様様だったらしいが そんな中で 零落した定子を慕い 自身も恵まれぬ晩年を過ごした清少納言に 一葉は心を寄せたのだろう。

さをのしづく」の最後の部分には 自身のことを 

はぎはぎの小袖の上に 羽織をきて 何がしくれがしの会に出でつ 身のいやしうて 人のあなどる又をかし 

此としの夏は江の嶋も見ん 箱根にもゆかん 名高き月花をなど 家には一銭のたくはえもなくて いひ 居ることに をかし 

いかにして 明日を過ごすらん とおもふに ねがうこと 大方はづれゆくもをかし 

すべて よの中はをかしき物也

つぎはぎだらけの小袖の上に 羽織を着て 色々な会合に出なければならない。身分が低いと馬鹿にされるのも面白い。

家に一銭の金もないのに 今年の夏は 江ノ島や箱根の月や花を観よう と言っているのも面白い。

明日の暮らしのための借金も大体断られるのも面白い。

全て 世の中は面白いことばかり。

母親と妹との女世帯で 収入といえば 縫い物と洗濯の手間賃で 一葉の生活は困窮を極めていた。そんな自分の顔が 5000円札になっているのを知ったら これこそ をかしきこと と言ったのではないか。

霜降る野辺の捨て子のように哀れなるは 一葉でもあったのである。

©︎Y.Maezawa


(編集: 前澤 祐貴子)

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