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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿A】医師 本郷輝明シリーズ > 【寄稿A】〈17〉第8部 在宅死について 再び考える 《その3》白梅ケアホーム 本郷輝明
第8部
在宅死 について
再び 考える
白梅ケアホーム
本郷輝明
在宅死 について
その1では、86歳の男性の終末期の経過 を述べた。
その2では、がんに罹患した壮年期男性の在宅死の自主映画 について述べた。
その3では、小児がんの子どもの在宅死 について述べたい。
小児がんの治療成績が向上し 治癒率が上昇した現在でも
難治性のがんが一定の割合で存在する。
そして その子どもが再発を繰り返し 終末期を迎えた場合、
残された時間をどう過ごすか は、本人と家族にとって 辛い選択となる。
小児がんそのものが難治であったり、治療抵抗性で何度も再発したりして、いよいよ治癒に向けての治療が困難になった時、これからどうするか、あくまで治癒を目指す強力な治療を選択するか、あるいは 緩和治療や治療をしない選択をするかは、両親にとっても治療担当医にとっても(もちろん当事者の子供にとっても)難しいことになる。
具体的な選択としては 次の3つがある:
① 5−6%の治癒の可能性を目指して 強力な治療に踏み切る
その場合は 治療途中で 合併症による死亡もあり得る
② 治癒は望めないが、将来のがん治療のために 新しい治験(薬剤)をトライする
この場合は治験として登録されている治療を選択する。生存期間が数ヶ月延長する可能性はある
③ 治癒の期待は捨て、子どもにとって 恐怖の場所である病院から離れ、安心できる我が家で 終末期を過ごす。
これは 両親にとって とても辛い選択になる。
小学校高学年以上の年齢になれば 本人の希望も取り入れて どうするかを一緒に考えることができるが、小学校低学年や幼稚園児の場合は 本人の理解を正確に測ることは難しいので 親が選択するしかない。
そもそも治療の場である病院は、優しい人に囲まれていたとしても その場自体が 「恐ろしい」ところ である。
点滴や採血、腰椎穿刺など いくら丁寧に説明されたとしても 「痛いこと・辛いこと」には変わりない。
今までは 治癒を望むからこそ 耐えることが出来たが、治癒の可能性が低いなら、できれば病院を離れ 兄弟と一緒に安心して遊べる家に帰したい(帰りたい)のは 親にとって 自然な感情である。
特に 末期が迫っている と感じている場合は、病気のことから離れ、残された日々を楽しく兄弟で過ごしてあげさせたい、と考えるのは自然である。
しかし 結果から見ると
③の在宅ケアを選択するのは 1割であった。
9割は治癒への希望を捨て切れず ①を選択した。
1980年から1990年代に 日本で小児がんの子どものターミナルケア(終末期の医療と看護)に取り組んでいたのは 聖路加国際病院小児科など 少数の施設のみ であった。
アメリカやイギリスでは 既に1980年代に 在宅ターミナルケアの試みとその成果についての報告が30名、あるいは40名といった規模でなされている。
その場合 home care project staff(アメリカ)あるいは home terminal care team、symptom care team (イギリス)を作り サポートしていた。
基本的には 毎日の子どものケアは家族が行うが、家族が必要とする時は いつでも どこでも 専門ナースが訪問し 鎮痛剤の投与、輸血などを行っていた。家族に悩みがあるときは相談相手にもなっていた。
私が、1994年に訪れたロンドンのグレート・オーモンド・ストリート小児病院では、Pediatric oncology Unit(小児がん病棟) にsymptom care team(症状緩和チーム)が設けられ 小児がんの治療初期から一貫して 治療・看護に携わり、在宅に移行した末期にも 鎮痛剤、CV(中心静脈)カテーテルによる栄養補給、輸血、症状緩和のための化学療法などの ある程度の治療もドクターと相談しながらナースが在宅訪問で行い、さらに 吸引器などの医療器具の貸し出しも行っていた。
そして 患児の死後に家庭訪問し、家族の悩みを聞くとともに 家族の予後の調査も行っていた。
ターミナルケアを家庭で実践した両親の方が、病院で行った両親より、死後1−2年の時点で 不安・抑うつ・自己防御が少なく、兄弟も心理的トラブルが少なかった。
また両親の罪の意識は、Home care群では20%程度だったが、Hospital care群では80%に見られた と話してくれた。
私も同僚と一緒に 日本で1992年までに、在宅ターミナルケアを5名に行った。
(但し1名は主に民間療法を受け 医療支援は全く受けず 在宅ケアは両親だけで行い、死後訪問で その内容を知った)
この5名(男児1名、女児4名)の病名と年齢(死亡時年齢)は、
脳幹部腫瘍の女児KNさん (6歳2ヶ月)
神経芽腫の女児ROさん (6歳7ヶ月)
胸壁腫瘍の女児ASさん (7歳1ヶ月)
頻回再発急性骨髄性白血病の男児TH君 (5歳7ヶ月)
頻回再発急性リンパ性白血病の女児RTさん (9歳11ヶ月)
である。
小児がんと診断された時の年齢は 2歳9ヶ月から5歳10ヶ月で、罹病期間は1年1ヶ月から2年5ヶ月だったが 白血病のRTさんのみ 7年2ヶ月と長い闘病期間だった。
いずれの子どもも 幼稚園児から学童期で、一番可愛い年齢だった。
この年齢を持つ親は 本来 最も楽しく子どもの成長に関われる時期である。
それが小児がんの発症と進展によって 成長を見守る楽しみを 突然断ち切られたという無念さや悲しさを考えると、1%の治癒の可能性を求め 治療を優先させるか、最期の大切な時間を家族で共有したいと考えるか は、時間が切迫しているだけに 切り裂かれるような選択だったことが想像された。
この5家族は いずれも一人っ子ではなく、兄弟がいた。
この兄弟姉妹の存在は大きく、両親の在宅ケアの選択に大きな比重を占めていたことが、死後の訪問と聞き取りでわかった。
民間療法を半年に渡って受け 自宅で亡くなった7歳1ヶ月のASさんの母親は、在宅にしたのは 兄の存在が大きかったと話された。
さらに家で看取ったことについては、「本人が病院を嫌がったので、その意思に従ったが、それで良かった。卒園式や結婚式に出られ、また 小学校に少しでも行けて良かった。」と話されていた。
神経芽腫のROさんは、骨折部の痛みを抱え、さらに 自宅で4ヶ月半に及ぶ輸血や鎮痛剤の投与を受けた。
母親は、「兄や妹の遊ぶのを見て、そのそばにいるだけで 本人は楽しそうだった。」と話された。
脳幹部腫瘍のKNさんは 放射線治療で一時 寛解状態になったが、再燃し 症状が進行し 歩行もできない状態になった。
兄と妹がいるので、両親は相談して 残りの期間を在宅で過ごすことにした。
(結果的に5ヶ月間、在宅で過ごせた)
母親は 「次第に 口から食事をとるのに 時間がかかるようになり、言葉も少なくなり、体の動きもだんだんとなくなってきたが、家族みんなで KNさんの存在を楽しめたし、本人も家族に囲まれ安心して楽しめた と思う。在宅を選んで満足している。」と語ってくれた。
死亡時 5歳7ヶ月のTH君は、再発後 母親の強い希望で在宅を選んだ。
主治医は治療継続を勧めたが、民間療法も試してみたいとの希望もあり、基本的には 在宅ケアを選択した。
しかし眼球突出や発熱、鼻出血など症状が悪化した時は 外来受診し、経口抗癌剤や抗菌薬の投与、さらに 外来で放射線治療なども受けた。
TH君の死後の訪問では、「姉や兄がおり 一緒に色々なところに連れて行って多くの思い出を作ることができた」と母親は喜んでいた。
さらに「検査や点滴などの痛い苦しい思いをさせなくて良かった。おうちに帰りたい という本人の希望を叶えてあげられて良かった」と話されていた。
ただ、在宅ターミナルケアを選択したことに対しては 夫との意見が合わず 夫婦の不和が進行している と打ち明けてくれた。
急性リンパ性白血病のRTさんは、2歳9ヶ月で発症し、小学2年生になった時点で5年間の治療を終了。しかし 治療終了後 すぐに再発し、その後 強力な治療を受けるも 複数回再発した。さらに 骨髄移植を行ったが 移植後2ヶ月で再発。この時点で 9歳11ヶ月になっていて、両親は 在宅でターミナルケアを行うことを希望された。
我々も 両親の希望に沿った形で 訪問診療し 在宅ケアを支援した。
RTさんの在宅期間は1ヶ月だった。
死亡当日と3ヶ月後の訪問で、「思い出をたくさん作った。ベランダで長いこと話をしたり、死亡前日に 家の風呂に一緒に入ったりして、本人の希望を叶えてやれて良かった。」と話された。
また「ドクターの訪問を週2回望んだが 言い出せなかった。また 治療すれば治るのではないか との希望は捨てきれなかった」とも話されたが、「亡くなった子供のことを 兄や弟も含めて 家族で話せるのは嬉しい。」とも語ってくれた。
がんの子どものターミナルに 在宅ケアを選ぶ利点 として 次の点が挙げられる。
一つ目は、親は 病気の子どもを身近に見て 触れながら介護をし、さらに 兄弟の面倒も見ながら 日常生活ができる。時には 子どもの介護に 家族全員で関われることもできる。
二つ目は、いつも子どものそばに行け、そして 子どもの存在を実感できること。
また 特別介護をする目的でなくとも、家族の誰でもが いつでも自由に 手を握ったり 抱っこをしたりして 優しさの気持ちを伝えることができること。
三つ目は、子どもの「家に帰りたい」という願いを叶えてやれて、親も満足感を得ることができること。
四つ目は、兄弟姉妹と一緒に遊ぶことができる。
これは 親にとって 大きな喜びとなっている。病院では、時間に制限なく 思う存分 兄弟姉妹と遊ぶことは無理である。
五つ目は、家でケアした方が、患児の死後、親も兄弟も 早く悲嘆過程を通過し「死」を受容していく場合が多いこと。
これは 兄弟にとって 一緒に遊び 身近に見ていたから である。
また 死後も 家族で思い出を語り合えること。
治癒の可能性が低くなった時点で、残された時間をどう過ごすか の判断は とても難しいが、悔いが残らないように 決断しなければならない。
特に 幼い子どもを持った若い両親にとっては 人生最大の難問である
と言っても 過言ではないだろう。
治癒を目指して 強力な治療を望むか、
あるいは
死ぬことを前提に 在宅で安らかに過ごすか
の どちらかに決めた時には、
いつもその選択を 私は小児科医としてしっかり支え続けた。
決めるまでに 何日か時間がかかった場合も、
急がせないで 決めてもらった。
在宅死について 子どもから高齢者までを経験した感想を 述べてみたい。
施設入所者の高齢者が、嚥下が低下し、経口摂取が難しくなり いよいよ終末期を迎えた場合、どこで最期を迎えるかを いつもお聞きしている。
施設で最期を迎えるか、あるいは数日でも家に帰り、そこでみんなと会って最期を迎えるか である。
本人に(嚥下力が低下する前に)聞くと
「そりゃ家に帰りたいが、あまり迷惑はかけたくない。」という返事が多いが、思いを伝えない方も多い。
キーパーソンが、「家に連れて帰りたい」と希望し 実施したケースは、20名に1人程度か あるいはもっと少ない。
生活に関わる介護は 社会的資源を利用できるので、家に戻っても一時代前ほど家族の負担はないが、それでも躊躇することが多い。
これは 老人を抱えた場合の 世話に関するネガティブなK(汚い・臭い・危険・苦しい)が全面に来る為だろう と思っている。
私は 老いを自覚したら、意識してポジティブなK(感動・感謝・幸福感・共感)を 周囲との関係の中で作り上げていかないと ネガティブなKに囚われてしまう と感じている。
今までの人生で このポジティブなKをどう築き上げてきたか が、人生最後の時間に現れてくるのではないか と思っている。
子どもの場合は 全く異なっている。
いつも 両親は真剣であり、在宅ケアを一旦決めた場合は、亡くなるまで 心を込めて ケアを行っていた。
我々医療者は その姿に接し、その情熱に突き動かされ ケアを支えた と言っても過言ではない。
亡くなった後の訪問でも たくさんのエピソードを聞くことができ、写真を見せていただいたが、そこには いつも笑顔で喜んでいる患児の姿があった。
短い時間だったが 心からの幸福感や感動、喜びが満ちていた。
本文は 1992年に発表したものを参考にして 書き進めた*。
1992年までに治療を担当した 小児がんで死亡した49名のうち、余命の質を高める目的で 末期を可能な限り在宅ケアとした5名について 述べたものである。
1990年代では まだ小児の終末期の在宅ケアが ほとんどなかった。
小児がんの在宅ターミナルケアを担当する居宅訪問看護ステーションや 在宅訪問診療がなく、「小児がんの終末期」と伝えただけで 「経験がないので」と断られた。
現在では 小児専門の在宅ターミナルケアを支援する在宅訪問診療施設もある。
*【参考文献】
・本郷輝明ら「在宅ターミナルケア実践の経験」(小児がん第30巻2号p267-271)。
・Hongo T, et al: Analysis of the circumstances of death of 56 children suffering from cancer. Proposal for the development of terminal medicine in Japan. Pediatr. Int.37, 604-609, 1995
・Fujii Y, et al: Analysis of the circumstances at the end of life in children with cancer: A single institution’s experience in Japan. Pediatr.Int.45, 54-59, 2003
・Hongo T, et al: Analysis of the circumstances at the end of life in children with cancer: Symptoms, suffering and acceptance. Pediatr.Int.45,60-64,2003
(編集:前澤 祐貴子)
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