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『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ 〈11〉 本居宣長 三部作
時代への提言 | 2023.07.01

©︎Y.Maezawa

今、国学の呼びかけるものシリーズ

11

本居宣長 三部作

11-1


真淵先生の指導が書き込まれた

本居宣長の 『万葉集』


万葉集』巻三(雑歌355)に 次のような歌があります。

大汝少彦名(おほなむちすくなひこな)の いましけむ 

(し)(つ)の石室(いはや)は 

幾代(いくよ) (へ)にけむ

※大汝(大国主の神)や少彦名命が居らした という、この志都の岩屋は どれほどの年月を経ているのだろう。
大国主命と少彦名命は 『古事記』、『日本書紀』などに出てくる 国造りの神です。二柱の神が住んだ という。

岩屋の候補地として、江戸時代には 石見国(島根県)、播磨国(兵庫県)などが 考えられていました。伊勢国に暮らす宣長にとって、石見や播磨は 遠方の地域であり、全く土地勘のない場所でした。


宣長が使った『万葉集』には、多くの書き込みや付箋があり、研究の過程で集めた情報が 付け加えられていました。

「大汝」の歌の見開きを見ると、書物からの引用や、師である賀茂真淵からの意見を書き込んだ箇所が 確認できます。

©︎Y.Maezawa

本居宣長記念館発行 「ふみの森探検隊 通信37号」(R3.1.26)では、賀茂真淵の指導を 次のように 紹介しています。

賀茂真淵》 

播磨国に 生石(オホイシ)大明神という 造りかけの岩屋があり、これが 「志都のいはや」だ とされている。

しかし、神が 造りかけの岩屋に暮らした というのも奇妙なことで 信じがたい。

(矢印の部分)

宣長も 播磨国説を支持しており、付箋に その宝殿の前には 生石子(おうしこ)・高御座(たかみくら)という二柱の神を祀った社が構えられていること などを書き込んで 補足しています。

後に、造りかけの社に 神が暮らした という点に 不自然さを感じていた真淵は、岩屋は 播磨国ではなく、出雲国(島根県)にあるのだ としました。

©︎Y.Maezawa

古典研究を通して、上代(奈良時代以前)の日本の姿を求めた宣長は、『万葉集』や『古事記』を読み進めながら、古代の地名に思いを馳せました。

諸国の地名、和歌に詠まれた名勝地などをもとにして 

「日本」という国について 

様々な角度から その輪郭を捉えよう

としたのです。

©︎賀茂真淵記念館
真淵の指導が書き込まれた『万葉集』の版本

* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信5月号】(令和4年5月1日)転載


11


今も残る 

本居宣長が暮らした 旧宅

本居宣長記念館(三重県松阪市)の正面玄関横の坂道を上がっていくと、松坂城の石垣が すぐに見え始めます。その小高い丘に 本居宣長 旧宅があります。

本居宣長 旧宅は、三重県松阪市の 松坂城・二の丸跡地にある史蹟です

宣長は、12歳から 72歳で亡くなるまで この家に住んでいました。

(京都遊学のおよそ5年間を除く)

1909年(明治42年)に 保存のため、現在の場所に移築され、

1953年(昭和28年)には、国の特別史跡に 指定されています。

©︎賀茂真淵記念館
松坂城の石垣

宣長の昼間の仕事は お医者さんでした。(今の内科医・小児科医)薬箱を持って 患者さんを訪ねます。

夕方に帰ってきてから、町の人や全国から訪ねて来る人に 『源氏物語』や『万葉集』などの古典を 講釈していました。
夜も更けて みんなが帰った後は、一人で 『古事記』を解読して『古事記伝』を書き続けました。

©︎賀茂真淵記念館
宣長の旧宅の入口付近

1階は上がることができるので、当時の部屋の 静けさや暗さを体験することができます。

奥の8畳間は 来客時の応接間ですが、宣長の勉強部屋でもあり、後には 講義の教室にもなりました。

宣長は 7人家族であり、奥さんと5人の子供たちと一緒に暮らしていました。

©︎賀茂真淵記念館
宣長の旧宅の中の様子

宣長53歳の時、二階部分を増築して 自分の書斎(勉強部屋)を作りました。写真にあるように 大きな窓がある 明るい部屋です。


鈴を好んだ宣長は、書斎の床の間の柱に 鈴を吊り下げ、執筆活動の息抜きに 鈴を鳴らして 音色を楽しみました。宣長は、この書斎を「鈴屋」(ずずのや)と名付けています。


床の間には、「縣居大人之霊位」(あがたいのうしのれいい) と書かれた掛軸があります。

縣居大人とは、賀茂真淵先生のことです。二階に上がることはできませんが、外から部屋をのぞくことができます。

©︎賀茂真淵記念館
右上の小部屋が書斎の「鈴屋」

* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信7月号】(令和4年7月1日)転載

11-

本居宣長記念館

「大日本天下四海画図」

伊勢湾岸自動車道を亀山方面に向かい、伊勢自動車道を南進して 松坂ICを出てから、5kmほど走ると 本居宣長記念館に到着します。

本居宣長記念館は 松坂城跡の近くにあり、1970年(昭和45年)11月に 開館しました。

©︎賀茂真淵記念館

本居本家から 松阪市に寄贈された資料など、16,000点が 収蔵されています。

宣長の著書、蔵書、遺品、版木の他、一族や門人の書簡など、近世国学資料を中心に 多岐にわたる史料を 保管・展示していて、国の重要文化財だけでも2,000点近くあるそうです。

玄関を入って、1Fフロアの壁には、宣長が17歳のとき描いた 「大日本天下四海画図」(国重文) が飾られています。

©︎賀茂真淵記念館
17歳の宣長が描いた「大日本天下四海画図」

本居宣長記念館 発行 「ふみの森 探検隊 通信36号」(R3.11.17)では、宣長の「日本」への想いを 次のように 紹介しています。

「宣長の知的好奇心は、学びのおもしろさに目覚めた 十代の頃から 衰えることを知りません。

日本 という国についても、諸国の地理や地誌への関心、和歌に詠まれる歌枕・名勝地の検証など、さまざまな角度から その輪郭を捉えようとした かのように感じられます。」

©︎賀茂真淵記念館

17歳の宣長が描いた「大日本天下四海画図」は、縦120cm、横200cmで 畳一枚よりも一回り大きいサイズ です。若い宣長の 熱い想いが伝わってくる 迫力のある展示物です。

是非、実物を鑑賞するために、三重県松阪市にある 本居宣長記念館 にもお出掛けください。

* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信8月号】(令和4年8月1日)転載

©︎Y.Maezawa

* より詳細な情報をお求めの方は是非 下記 浜松市立賀茂真淵記念館アカウントにアクセスくださいませ。

©︎Y.Maezawa

浜松市立賀茂真淵記念館 

URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp

※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。

(編集: 前澤 祐貴子)

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