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『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ
〈11〉
本居宣長 三部作
《11-1》
真淵先生の指導が書き込まれた
本居宣長の 『万葉集』
『万葉集』巻三(雑歌355)に 次のような歌があります。
「大汝少彦名(おほなむちすくなひこな)の いましけむ
志(し)都(つ)の石室(いはや)は
幾代(いくよ) 経(へ)にけむ」
※大汝(大国主の神)や少彦名命が居らした という、この志都の岩屋は どれほどの年月を経ているのだろう。
大国主命と少彦名命は 『古事記』、『日本書紀』などに出てくる 国造りの神です。二柱の神が住んだ という。
岩屋の候補地として、江戸時代には 石見国(島根県)、播磨国(兵庫県)などが 考えられていました。伊勢国に暮らす宣長にとって、石見や播磨は 遠方の地域であり、全く土地勘のない場所でした。
宣長が使った『万葉集』には、多くの書き込みや付箋があり、研究の過程で集めた情報が 付け加えられていました。
「大汝」の歌の見開きを見ると、書物からの引用や、師である賀茂真淵からの意見を書き込んだ箇所が 確認できます。
本居宣長記念館発行 「ふみの森探検隊 通信37号」(R3.1.26)では、賀茂真淵の指導を 次のように 紹介しています。
《賀茂真淵》
播磨国に 生石(オホイシ)大明神という 造りかけの岩屋があり、これが 「志都のいはや」だ とされている。
しかし、神が 造りかけの岩屋に暮らした というのも奇妙なことで 信じがたい。
(矢印の部分)
宣長も 播磨国説を支持しており、付箋に その宝殿の前には 生石子(おうしこ)・高御座(たかみくら)という二柱の神を祀った社が構えられていること などを書き込んで 補足しています。
後に、造りかけの社に 神が暮らした という点に 不自然さを感じていた真淵は、岩屋は 播磨国ではなく、出雲国(島根県)にあるのだ としました。
古典研究を通して、上代(奈良時代以前)の日本の姿を求めた宣長は、『万葉集』や『古事記』を読み進めながら、古代の地名に思いを馳せました。
諸国の地名、和歌に詠まれた名勝地などをもとにして
「日本」という国について
様々な角度から その輪郭を捉えよう
としたのです。
* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信5月号】(令和4年5月1日)転載
《11–2》
今も残る
本居宣長が暮らした 旧宅
本居宣長記念館(三重県松阪市)の正面玄関横の坂道を上がっていくと、松坂城の石垣が すぐに見え始めます。その小高い丘に 本居宣長 旧宅があります。
本居宣長 旧宅は、三重県松阪市の 松坂城・二の丸跡地にある史蹟です
宣長は、12歳から 72歳で亡くなるまで この家に住んでいました。
(京都遊学のおよそ5年間を除く)
1909年(明治42年)に 保存のため、現在の場所に移築され、
1953年(昭和28年)には、国の特別史跡に 指定されています。
宣長の昼間の仕事は お医者さんでした。(今の内科医・小児科医)薬箱を持って 患者さんを訪ねます。
夕方に帰ってきてから、町の人や全国から訪ねて来る人に 『源氏物語』や『万葉集』などの古典を 講釈していました。
夜も更けて みんなが帰った後は、一人で 『古事記』を解読して『古事記伝』を書き続けました。
1階は上がることができるので、当時の部屋の 静けさや暗さを体験することができます。
奥の8畳間は 来客時の応接間ですが、宣長の勉強部屋でもあり、後には 講義の教室にもなりました。
宣長は 7人家族であり、奥さんと5人の子供たちと一緒に暮らしていました。
宣長53歳の時、二階部分を増築して 自分の書斎(勉強部屋)を作りました。写真にあるように 大きな窓がある 明るい部屋です。
鈴を好んだ宣長は、書斎の床の間の柱に 鈴を吊り下げ、執筆活動の息抜きに 鈴を鳴らして 音色を楽しみました。宣長は、この書斎を「鈴屋」(ずずのや)と名付けています。
床の間には、「縣居大人之霊位」(あがたいのうしのれいい) と書かれた掛軸があります。
縣居大人とは、賀茂真淵先生のことです。二階に上がることはできませんが、外から部屋をのぞくことができます。
* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信7月号】(令和4年7月1日)転載
《11-3》
本居宣長記念館
の
「大日本天下四海画図」
伊勢湾岸自動車道を亀山方面に向かい、伊勢自動車道を南進して 松坂ICを出てから、5kmほど走ると 本居宣長記念館に到着します。
本居宣長記念館は 松坂城跡の近くにあり、1970年(昭和45年)11月に 開館しました。
本居本家から 松阪市に寄贈された資料など、16,000点が 収蔵されています。
宣長の著書、蔵書、遺品、版木の他、一族や門人の書簡など、近世国学資料を中心に 多岐にわたる史料を 保管・展示していて、国の重要文化財だけでも2,000点近くあるそうです。
玄関を入って、1Fフロアの壁には、宣長が17歳のとき描いた 「大日本天下四海画図」(国重文) が飾られています。
本居宣長記念館 発行 「ふみの森 探検隊 通信36号」(R3.11.17)では、宣長の「日本」への想いを 次のように 紹介しています。
「宣長の知的好奇心は、学びのおもしろさに目覚めた 十代の頃から 衰えることを知りません。
日本 という国についても、諸国の地理や地誌への関心、和歌に詠まれる歌枕・名勝地の検証など、さまざまな角度から その輪郭を捉えようとした かのように感じられます。」
17歳の宣長が描いた「大日本天下四海画図」は、縦120cm、横200cmで 畳一枚よりも一回り大きいサイズ です。若い宣長の 熱い想いが伝わってくる 迫力のある展示物です。
是非、実物を鑑賞するために、三重県松阪市にある 本居宣長記念館 にもお出掛けください。
* 以上 賀茂真淵記念館より許認可をいただき 【縣居通信8月号】(令和4年8月1日)転載
* より詳細な情報をお求めの方は是非 下記 浜松市立賀茂真淵記念館アカウントにアクセスくださいませ。
浜松市立賀茂真淵記念館
URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp
※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。
(編集: 前澤 祐貴子)
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