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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿B】教育者 岡本肇シリーズ > 【寄稿B】《11》 「養生訓」 西遠女子学園 学園長 岡本肇
【養生訓】
西遠女子学園 学園長
岡本 肇
日本人の寿命が年々延び この頃では 「人生100年時代」という言葉も聞かれるようになった。
人間は何歳まで生きられるか…諸説はあるが 300年前に貝原益軒は
「人の身は百年を以って期(ご)とす。
上寿は百才、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長寿なり。」
と【養生訓】に記している。
【養生訓】は益軒が83才の最晩年に書いたものだが 昔の学者は 膨大な量の古典を読んで その上に自説を打ち立てなければならないので 長い時間と労力を必要とした。健康でなければ 学問は完成しないのである。そのために 保健や薬草の研究をして 養生する方法を身につけた と思われる。
益軒は 福岡藩に居て 江戸に12回、京都に24回、長崎に5回旅をし、 「今 八十三才いたりて、なほ夜、細字をかきよみ、牙歯固くして一もおちず」と書いている。自分の経験を踏まえて 養生の方法には自信があったのであろう。
そこで 「貧民は医なき故に死し、愚民は 庸医(ようい:やぶ医者)にあやまられて死ぬる者多し と古人はいへり。あわれむべし。」と 庶民が天寿を全う出来るように 自身が学んで体得した健康法を 易しい言葉で書いたのが【養生訓】である。
「人の命は我にあり、天にあらず」という老子の言葉を引用して 長寿か短命かは 自分の心次第だから 養生すれば命は長くなるし、不節制をすれば短くなる と養生の大切さを説いている。
「富貴財禄は外にあり。求めて天命なければ得がたし。
無病長生は我にあり。求むれば得やすし。
得がたき事を求めて 得やすき事を求めざるは なんぞや。愚かなるかな。」
地位、名誉、財産などは望んでも得られるものではない。自分の健康、長寿は心がけ次第でいつでも手に入る。簡単に手に入る幸せを求めないで 世の栄達ばかり追うのは愚かな事だ と言う。
「たとひ財禄を求め得ても
多病にして 短命なれば 用なし。
たとひ 百年のよはひを保つとも
楽なくして苦しみ多し。長生も益なし。」
自立して生活できる生存期間を 健康寿命 と言うが、現代日本では 男は72才、女は74才である。平均寿命との間に 男は7年、女は12年の差がある。この差が 高齢化社会に生きる老人の悩みであり 恐れである。
誰しもが 長く病んで苦しんだり、介護で迷惑をかけたくはない と願っている。
益軒もわざわざ最後の巻第八に「養生」の章を設けて 老人の養生と心得について書いている。
「老いて 子に養はるゝ人、
わかき時より、かへっていかり多く、慾ふかくなりて、
子をせめ、人をとがめて、
晩節をたもたず。心みだす人多し。
つゝしみて、いかりと慾をこらへ、
晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、
子の不孝をせめず、つねに楽しみて 残年をおくるべし。」
歳をとり 世間から退くと 訪ねてくる人もなくなり 生活の費えも心細くなって 不安になる。傍らにいる人が 恩知らずで 不人情な人間に見えてきて 怒りやすくなったり ひがみっぽくなるのが老人である。
見ていると 老人が常軌を逸して晩節を汚すのは 自らの 慾と未練と自惚れ によるようである。益軒は繰り返し 怒りと慾を抑え 寛容に楽しんで 残りの時間を過ごすよう
説いている。
「老後は 若き時より 月日の早き事 十倍なれば
一日を十日とし 十日を百日とし 一月を一年とし
喜楽して あだに 日を暮すべからず。
つねに 時日を惜しむべし。
心しづかに 従容として 余日を楽しみ
怒りなく 慾少なくして 残軀をやしなふべし。」
確かに 歳を取るほどに 時の流れは速くなる。
朝早く 目が覚めても すぐ 一日が終わるし、 毎週観ているテレビ番組もすぐやってくる。とても一週間たったと思えないし その間 何をやっていたかも定かではない。
益軒は 常時を惜しみ 心静かに余生を楽しめ と言っている。
「今の世の人は 比上に楽しむべきこと ひとつあり。
これを知りて 人ごとに楽しむべし。
かかる太平の御世に生まれ、 堯舜の仁にあひて
白頭まで干戈(かんか)を見ず。是 大いなる楽にあらずや。」
(楽訓)
益軒が生まれた寛永7年(1630年)から 亡くなる正徳4年(1714年)は 文化の爛熟した元禄時代で 戦のない太平の世だった。
自分も 終戦の翌年 小学校に入学してから80年近く 戦争もなく 日本は年々豊になり これ以上恵まれた人生ははいように思っている。それぞれ事情はあっても 世界的にも 歴史的にも 今の日本の老人は恵まれているように思う。
【養生訓】の中で 以って 銘すべき言葉をあげるならば
・養生の道は つとむべき事を よくつとめて 身を動かし 気をめぐらすべし。
・養生の道は 病なき時 つつしむにあり。
・養生の要は 自欺(自ら欺く)事を戒めて よく忍ぶにあり。
・心は楽しむべし。苦しむべからず。身は労すべし。休め過ごすべからず。
・凡て(すべて)のこと、よからんことを求れば、我が心のわずらひとなりて 楽(たのしみ)なし。
・古人の曰く(いわく)、酒は微酔にのみ、花は半開に見るべし。
・年老いては、やうやく事をはぶきて、少なくすべし。
・年老いては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心さしはさむべからず。
・小児を育つるは、三分の飢えと寒とを存すべしと、古人いへり。大人も亦かくの如くすべし。
追記:
貝原益軒は 【養生訓】を書いた翌年に 亡くなってしまう。
83才になっても 夜に細かい字を読み書きできるし、歯も一本も欠けていないといって 大作【養生訓】を書き上げた彼は 壮健そのものだったと思うが どうしてだろう。
その原因は 妻 東軒夫人に先立たれたことにある という。
彼が38才の時、 16才の初(はつ)を妻として迎えてから 40余年 連れ添った愛妻だった。彼女は 和歌、箏、書に優れた教養人で 益軒の心の支えだったのだろう。
益軒が68才の時 2人で 京都の名所旧跡を 1年半かけて 回っているのをみても 仲の良さがわかる。
しかし 【養生訓】には 大切な人を失った心を養生する方法は 書かれていない。
益軒は 夫人の死後 家に閉じこもり 1年も経たないうちに 後を追うように旅立っていった。
(編集: 前澤 祐貴子)
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