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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿E】演劇研究家 遠藤幸英シリーズ > 【寄稿E】(8)建築の伝統と間テクスト性 (intertextuality) 遠藤幸英
建築の伝統
と
間テクスト性(intertextuality)
『令和のお屋根替え』シリーズ No.1
「原皮師 檜と生きる」
を読んで 〜
遠藤幸英
凛とした人間の姿をとらえた写真と彫琢された言葉の幸運な出会いを実現した写真詩。
通常は まず写真ありき で、言葉が後づけされた説明文だ という前提だが、ここでは その前提が意図的に廃棄されている と読んでみたい。
写真と言葉は 本質的なつながりがあるが、それでいながら 両者の間には鋭い緊張関係が維持されている。つまり それぞれが 独自性を失うまい としている。写真がオリジナルであるのに対して 添えられた文は別形式のコピーだ とする通例の価値基準を度外視している。
(ここでは「写真」の無限の複製可能性をさて置く)
これが すぐれた写真詩 と呼べる所以である。
さて、この写真詩の題材は 貴重な職人技でありながら 世間一般の話題に上ることがほとんどないし、メディアも積極的に取り上げるわけでもない「原皮師(もとかわし)」という存在。
だが、原皮師は 伝統的建築技法の一つである檜皮葺(ひわだぶき)にはなくてはならない。檜皮葺は 千三百年の伝統をもつ。京都御所や格式の高い社寺の屋根の葺き替えは 檜皮の耐用年限である三十から四十年の周期で実施するというから 彼らの責任は重いし、その存在は尊い。
余談ながら、寺院や神社の屋根葺は瓦、植物性素材(檜・サワラ・杉・栗・茅など)、金属板(銅)の三種類がある。
神社建築では檜皮葺が最高級だと言われる。樹齢七、八十年(以上)の檜の外皮が「荒皮」とよばれ、荒皮採取後十年ほど経過して内皮だった部分が耐用面でより良質の「黒皮」を形成する。黒皮は建築上より重要な部位に、一方荒皮は重要度がやや低い部位に使われるそうだ。
檜皮の確保は 戦後の植林政策のおかげで 量的には不足していないものの、山林所有の古い慣習が未だに生きているため 安定性に欠けるらしい。
また 国家レベルの林業政策が問題孕みで 檜や杉の特性を適正に配慮しないままで進められてきた。
その結果、植林地の保水力が劣化し 雨水による地滑りなど 二次災害を引き起こしたりしている。言うまでもなく 地滑りは倒木をも招く。
檜皮葺の伝統は こういうハード面での問題もさることながら 後継者育成もないがしろにできない。この写真詩が焦点をあてる大野浩二さんの場合、井戸・前兵庫県知事との対談ビデオによると、ご子息が大野さんの下で数年の修業を積んでおられる上、既に 若者が一人弟子入りしている とのことだった。
(You Tube:「2020.8.30『ひょうご発信!』 IDOカフェ 檜皮葺の原皮師 大野浩二さん」)
ちなみに、原皮師の人数が近年、全国で二十人を下回るほどに減少した と嘆かれていたが、2021年の時点では ようやく増加に転じはじめたようである。
参考: https://www.okunijinja.or.jp
公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会が運営する「檜皮採取者養成研修事業」が 効を奏してきたに違いない。
参考:
『丹波新聞』 2019年6月29日
「世界遺産支える若手職人 清水寺の檜皮屋根吹き替え 50年に一度 立ち会い幸運」
伝統の継承 といえば、技術や様式の(単なるモノマネではない)厳密な意味での <模倣> と解釈されるだろう。ただしこの場合、伝統には 精神性(心構えなど) も関与するので 模倣 という表現がしっくりこないかもしれない。しかし ソフトおよびハードの両面を写しとるのだから 模倣の一種ではある。
伝統は 師匠から弟子へ あるいは 旧世代から新世代へ と継承される。弟子あるいは新世代は 先代・先人から技術、様式、さらに精神を受け継ぐ。
伝統は模倣されるが、丸写しではない。要はエッセンス、真髄を継承することである。
とはいえ、世代が違えば 時代や社会の様相も異なる。物事の理解と感じ方に <ズレ> が生じても 不思議ではない。檜皮葺の技術は 千年あまりの歴史を誇るが、その間 建築技術者あるいは職人の世代交代に連れて 微妙なズレが生じたに違いない。だが、ズレ と 誤解(曲解、誤読、誤伝) を混同すべきでない。
ところで、このズレで連想されるのが「間テクスト性intertextuality」という本来文芸批評の用語である。
(「ズレ」は J. デリダが提唱した「差異・差延」との接点がありそうだが、それは筆者の手に余るので触れない。)
間テクスト性はマスコミで普及しているわけではなさそうだ。一般には ブルガリア出身のフランスの文学批評家・哲学者 J. クリステヴァによる造語とされている。それはまさに 政治と哲学の熱い季節であった1960年年代末のことだ。
ただし、この概念の構築には 彼女ばかりでなく R. バルト、R. ジラール、J. デリダ、J. ラカンら フランス思想界の錚々たる面々が大きく関わっている。
(この概念の形成と変容を丁寧にあとづけているのがGraham Allen著 Intertextuality 第3版、2020年)
当初は主に 文学、芸術、哲学の分野で適用されていたが、ほぼ半世紀経過した現在では 理系文系を問わず 広範囲で援用されているようだ。
クリステヴァは 間テクスト性を理論構築する際に ロシアの文学・哲学思想家M. バフチン(1895〜1975年)の理論から刺激を受けている。
バフチンは主要な文化現象の一つである西欧中世の<祝祭>に斬新な解釈を施したことで広く一般に知られる。
中世民衆は 支配者・権力者に終始隷従したのではなく、定期的に催される祝祭において 通常彼らを抑圧する価値観を逆転させて 自由と解放に対する潜在的欲求を満足させた とバフチンは唱える。
この祝祭論は 人間性に対する広い視野を新たに開拓し、何世紀にもわたり人間の思考を拘束してきた秩序や制度を解釈する方法としての 一元主義の誤り をあぶり出したのだ。
支配者と民衆との関係の可逆性(あるいはそういう逆転の可能性)という視点は、バフチン理論を特徴づける「対話主義dialogism」や「ポリフォニーpolyphony(多重声)」に通じる。
話し手と聞き手の関係は一方通行ではなく、絶えず両者の意識が交錯している。
さらに重要なのは 両者それぞれの意識は 意識するとしないとに関わらず、歴史的かつ社会的な価値観や慣習などによって染まらずには済まない。一種の「複雑系」かもしれない。
こういう視点から クリステヴァは間テクスト性を理論化する。
彼女に言わせると テクストは文学作品のように文字で書かれたものと限らず、思考の断片、心に思い描くイメージ、さらには文字化されない、文字化不可能な社会的慣習、人間関係などの一断面も含まれるのだ。
このようなさまざまな<テクスト>は、バフチンが読み解いたように、個々のテクストに関与する他のテクスト群との関係を意識化せずには論じることができないはずである。
ここで 原皮師の作業からはじまる檜皮葺の伝統技術の継承にもどろう。
牽強付会の誹りを承知の上で言わせてもらうが、個別の技術もテクストと呼べるだろう。旧世代に引き継がれた技術は 新世代において新たな土壌 あるいは磁場で 命をはぐくみはじめる。更新された技術=テクストは 更新前の技術=テクストの引き写しではない。新鮮な息吹を吹き込まれて その後数十年かけて成熟していく。しかし、繰り返すようだが、これは断絶ではない。新旧のテクストは 相互につながった状態のままなのだ。それが 新規に誕生したテクストがその生命を維持する必要条件なのである。
もう一点 見落とせないことがある。技術=テクスト間のつながりは 新旧のそればかりではないという点である。
旧世代のテクストが伝統技術の歴史(種々のテクストのつながり)という縦のつながりに加えて 各世代の社会的 そして 文化的環境——これもテクストとよべる——という横のつながりをも保持していた。
同様に 新世代のテクストも このような縦方向と横方向のテクスト群と接触を保つ状態にある。このような複数のテクスト同士が それぞれの本質の一端に関わる部分で結びつく関係に 間テクスト性が読みとれると思われる。
すでに触れたように、伝統が伝統と称されるまでに成熟した時点から現在に至るまで 継承が行われるたびにズレが生じたにちがいない。だが、この変容は伝統をないがしろにしたことではない。ある時点の継承以前には意識されなかった伝統の本質の一端が意識化される。こういう現象が繰り返し生起したはずである。
だからこそ 伝統はその本質を失うことなく存続できる。古くから伝わる伝統建築技術は孤立しては存続できない。関連する潜在的情報の網目の中に組込まれていてこそ その意味が立ち上がるのである。
こうして間テクスト性が顕在化する。
原皮師の師匠格である大野浩二さんは その父大野豊さんから技を学び受け継いだ。今度は 息子の隼也さんが加わり 親子で伝統を守る。それぞれの世代が先代から受け継ぐ伝統技術(ならびに精神)には 必ず新たな発見が伴う。
こういうあらかじめ予測できない発見は おそらく若い世代にのみ可能な特権だ と言えそうだ。若き日の浩二さんも 本質の新しい側面に目覚めたことだろう。息子の隼也さんは 徐々に発見の喜びを感じはじめていることだろう。
この詩的なビジュアル・エッセイのおかげで 日本文化の新たな一面を発見できた と喜んでいる。
☆ /写真下 無料画像アプリより転用
(編集: 前澤 祐貴子)
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