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《私の本棚》 No.3 書評 『皇帝の新しい心』 森下直貴 
初代所長 森下直貴 作品群(2018 09〜2022 12) | 2020.08.10

                 
              あさかすず





ロジャー・ペンローズ著

『皇帝の新しい心 コンピュータ・心・物理法則』

林一訳、みすず書房、1994. 

R. Penrose, The Emperor’s New Mind: Concerning Computers, Minds, and the laws of Physics, 1989. 

デジタル化された今日の社会では、人と人、人とモノ、モノとモノのあいだを人工知能(AI)搭載のコンピュータがつないでいる。人は否応なく人工知能と関係することになるが、しばしばそれに振り回されたり、言いなりになったりしている。人がコンピュータと競合しながらも共生するためには、相手を知らなければならない。コンピュータのAIとは何者なのか。それは人の心とどこが違うのか。いや、そもそも人の心とは何か。これらの問いに答えるため、適当な書物はないかと記憶の倉庫を探ったとき、本書を思い出した。25年前に一度出会っているから、今回は再読になる。


著者のペンローズは、車椅子の物理学者ホーキングの先生に当たる方で、数学者兼物理学者として著名である。専門の業績としてはブラックホールに関する定理があり、また幾何学的センスに優れ、エッシャーの絵の元ネタを提供してもいる。そのペンローズの手になる本書は、数学と物理学の難解な内容をレベルを落とすことなく説明し、しかも読み物としても洒落ている。これが世界的なベストセラーとなったというから、世界中の読書人の知的レベルはかなり高いというべきだろう。


本書の題名「皇帝の新しい心」は、「裸の王様」の邦訳名で知られるアンデルセン童話「皇帝の新しい服」をもじったものだ。ここに著者の遊び心がうかがえる。「皇帝」とはコンピュータのことであり、その新しい服ならぬ「新しい心」がAIである。ペンローズはAIの本質を「アルゴリズム」に見る。アルゴリズムとは公理と推論の手続きからなる形式的な規則であり、実効的・機能的・機械的・計算可能という特徴をもつ。彼は、本物の人の心が「非アルゴリズム」であることを主張するために、数学と物理学の基礎に立ち戻って論じているが、これがまことに本格的なのだ。


コンピュータ(AI)の生みの親であるチューリングは、証明できない命題が数学システムにあるとするゲーデルの定理に刺激を受け、逆にアルゴリズムの理想型を追求した。それがチューリングマシンである。しかし、答えを出したのか否かが外から見ても分からないという停止問題に直面した。ゲーデルの定理とチューリングの「停止問題」が意味するのは、ヒルベルト流の形式主義が破綻するということだ。

ペンローズによれば、数学は形式的なアルゴリズムを含むが、その本質はむしろ「非アルゴリズム」にある。その一例がフラクタル幾何学である。彼はピュタゴラスを継承する「数的プラトニズム」に立って数学を捉えている。数の世界は人々の心から離れて実在し、それじたい美しい秩序をもつという見方だ。


数理の世界だけではない。物理の世界もまた、ニュートン古典力学に比べて精密な量子力学からみれば、「非アルゴリズム」である。数理の世界は0と1の間に無限があり、また微分と積分があるように、非連続の連続の量である。他方、物理の世界も非連続の連続の量であり、プランク定数のような飛び飛びの整数倍が存在する。だから数理をもって物理を近似的に表現することができるのだ。


物理世界の理論に関して彼は独自の基準を持ち出す。それが、決定論か非決定論か、計算可能か計算不可能かという二つの区分原理である。非決定論で計算可能だと考えれば、量子力学の標準理論になる。ペンローズの考えはそれとは違う。世界の物理状態は確定した物理量をもつ(決定論)が、その物理量を人は計算できないとみなす。彼はボーアではなくアインシュタインの量子力学観を支持するのだ。なお、ニュートンの古典力学では決定論かつ計算可能になる。


しかし、限りなく精密な量子力学にも限界がある。一つは、古典物理学が成り立つことを説明できないこと、つまり、ミクロの物理状態から(一個のリンゴのような)等身大の物理状態の成立を説明できないことだ。もう一つは、時間の不可逆的な矢を説明できないことだ。この限界を乗り越えるためにペンローズが(ホーキングとは違う方向で)構想したのが量子重力理論であるが、正直なところ、それは私の理解力を超える。


ペンローズは以上の数理と物理の見方に立って脳と心の解釈にとりくむ。彼は脳もまた量子力学的な非アルゴリズムで捉えられるとし、心における無意識は量子的な重ね合わせであり、意識は非アルゴリズム(審美的・創造的)であると主張する。しかしこの主張は、数理や物理に関する説得力ある見地に比べるとかなり見劣りする。その理由は、私の見るところ、脳と心を多元的なシステムとして捉える視点が欠けているからだ(この視点については拙著『システム倫理学的思考』で展開しているので参照されたい)。


哲学は、心理・倫理と物理・数理を統一的なプラットフォームに基づいて統合しようとする。ペンローズの場合、そのプラットフォームは「非アルゴリズム」である。しかし、そこから審美性と創造性を強調するだけでは、心理や倫理の複雑な世界は捉えられない。ペンローズの才能を持ってしても統合の域に届かないのは残念としか言いようがない。とはいえ、本書は私にとって人類の知の高みを示す点で魅力的である。そのなかで最大の功績は、確定した物理量の実在と計算不可能性との組み合わせを提示したことだと思う。これは少なくとも私にとって物理の世界を見る上で天啓となったが、この話は量子力学に絡めて次回とりあげたい。

(編集:前澤 祐貴子)


 
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