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老成学研究所 > 時代への提言 > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ > 『今、国学が呼びかけるもの』シリーズ ④:真淵と万葉研究
真淵と万葉研究
真淵は若いころから万葉集に関心をもち、上京して荷田春満かだのあずままろに学んだころにも万葉かなで書いた歌を残し、江戸に出府した前後から万葉調の歌を詠んでいます。
江戸に出てまもなく、万葉集の講会などをはじめ、やがて『万葉集遠江歌考』や『万葉解』などを著していますが、『万葉考』にまともに着手したのは、宝暦九年(一七五九)ころかと考えられます。
『万葉考』は、総論の「万葉集大考」と注釈からなり、巻六までは『別記』がついています。
真淵の万葉観は極めて独特のものであって、
「ますらおぶり」の意義を強調し、
「まこと」や「しらべ」を大切にしました。
万葉歌人として柿本人麻呂の偉大さを評価したのも真淵に始まります。
注釈も単なる注釈ではなく、批評と結びついて独自なもので、
その解釈には、真淵独特の詩人的な直観性が目立ちます。
真淵の主観的な傾向は、
万葉集の構成に対する考え方にも見られます。
真淵は、巻一・巻二・巻十三・巻十一・巻十二・巻十四を順次に『万葉考』の巻一から巻六までにあて、万葉集中もっとも古い原形とし、他の諸巻は「家々の歌集」と見ました。
したがって
『万葉考』巻一から巻六までは、万葉集の原形として特に力を注いだ部分であり、
生前に原稿の整理が終わっています。
そのうち、巻一・巻二と同『別記』合わせて三巻は、真淵の生前に刊行されましたが、巻三から巻六までと同『別記』は没後の刊行であり、巻七以下は写本で伝えられました。
二十巻全部が活字になったのは明治以降のことでした。
巻七以降の注釈は真淵の原稿に狛こま諸成もろなりらが筆を加えたと言われています。
©︎Y.Maezawa
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浜松市立賀茂真淵記念館
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※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。
この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。
(編集:前澤 祐貴子)