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【寄稿B】 ❻ 『「論語」と孔子』  西遠女子学園 学園長 岡本肇
時代への提言 | 2021.06.29

©︎Y.Maezawa

【寄稿B】

「論語」と孔子

西遠女子学園 学園長

岡本肇

大河ドラマの主人公になったり、一万円札の顔になることが決まったりで 渋沢栄一は話題の人である。著書の「論語と算盤」もよく読まれて、「論語」も脚光を浴びるようになってきた。

江戸時代には寺子屋などで”素読”といって ほぼ口うつしで子供に暗唱させていた。武士階級だけでなく商人や農民の中にも浸透して、日本人の道徳の基盤を作っていた。

渋沢栄一も武州血洗島の農家の息子として「論語」を叩き込まれて育った上での「論語と算盤」である。

©︎Y.Maezawa

戦争が終わるとGHQ(連合軍総司令部)に 儒教の考えは軍国主義や国家主義の元凶だった と禁止された。自分が終戦の翌年、小学校に入った時、日本の教育はそれまでと百八十度違う民主主義教育になっていた。とにかく男女平等と民主主義がお題目だったように覚えている。そのために小・中・高等学校で古典や漢文はほとんど習わなかった。「論語」には「女子と小人は養い難し」とか「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」と書いてあるから差別的で封建的だと聞かされて育った。「男女七歳にして席を同じくせず」「三歩下がって師の影を踏まず」も槍玉にあがったが、この言葉は「論語」には出てこない。

卒業して社会に出てみると、旧制の学校を出た先輩たちと新制の教育を受けた我々の間に歴然とした教養の差があるのに気がついた。旧制の人たちは古典や漢文に親しみ、文学、宗教、芸術にも通じていた。学徒出陣で散華した戦没学生の手紙や遺書を読んでも、その人生観や教養、文章力にとても及ばないと思った。

大先輩たちの集まりで、ある人が「まさに免れて恥じず、ですな。」と世情を慨嘆したのに一同が深く頷いた時、若造の私は理解出来ず、話題から取り残されたことがあった。

それから何十年もして「論語」の中の「之(これ)を道く(みちびく)に政(まつりごと)を以てし(もってし)、之(これ)を斉う(ととのう)に刑を以て(もって)すれば、民免れて恥なし」という文に出合って、あの時の言葉はこれだったのか と思った。制度を作り規則で取り締まると、人々は法の網をくぐって誤魔化すことを恥ずかしいと思わなくなる。あの人たちはこのことを言っていたのだ。

©︎Y.Maezawa

孔子は時代が下がると理想の人間像として聖人として扱われるようになるが、「論語」に出てくる孔子は感情を表に出したりして もっと人間的な人である。

「宰予、晝(ひる)寝(い)ぬ。子曰わく、朽木(きゅうぼく)は彫るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。予に於いてか何ぞ誅(せ)めんと。」

宰予が昼間から布団に寝ていた。孔子は「腐った木で仏を彫ることはできない、ボロボロの土で壁は塗れない、こういう者は叱っても無駄だ」と言った。

昼寝をしていたぐらいで 朽木だ、糞土だ、と言って突き放すのはいかにも聖人らしくないし、教育者としてふさわしくない感じがするが、次に「子曰わく、始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」と続けている。

孔子には三千人の門弟がいて、そのうち六芸に通じる者七十人、さらに優れた者が「孔子の十哲」と言われて十人いた。宰予はその一人で子貢と共に弁説が巧みだった と書かれている。孔子は宰予の巧みな言葉にのせられて信用したが、これからは行いを見た上で人物を判断しようと言っているのである。

孔子は三千人の中で十本の指に入ると思っていた宰予の本性を見抜けなかった自分自身に腹が立って、あのような言葉を言ってしまったのかもしれない。

©︎Y.Maezawa

「原壌(げんじょう)、夷(い)して俟(ま)つ。

子曰わく、幼にして孫弟(そんてい)ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊(ぞく)と為す。杖を以て其の脛(すね)を叩(たた)く。」

原壌は母が死んだ時、外棺をつくる木の上で歌を歌っていたと「礼記(らいき)」に書いてあるそうだから、無頼の徒だったかもしれない。「俟(ま)つ」とあるから 訪ねていったのは孔子の方で、杖を持ったままだから戸外である。「夷(い)」は東方の未開人を指すので、彼らのように膝を立ててしゃがんで応対したのである。

孔子は、「お前は幼い時から 目上の者を敬うことを知らず、大人になっても遠慮することがない。その上 老いぼれてもまだ死なない。これこそ穀潰しだ」と言って 杖で向こう脛を引っ叩いたのである。

©︎Y.Maezawa

昔の儒者は聖人孔子のこのような言動の解釈や説明にも苦労したらしいが、

渋沢栄一だったら、宰予や原壌の話をどう説明するだろうか。

©︎Y.Maezawa

(編集:前澤 祐貴子)


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