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老成学研究所 > 時代への提言 > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ > 『今、国学が呼びかけるもの』シリーズ ③: 賀茂真淵と八咫烏(やたがらす)
古代鴨物語(弍)鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)と八咫烏(やたがらす)伝説
神武天皇が吉野を目指す時、太陽を背にするため熊野に上瓜区しますが、熊野の山中に迷い込み、率いる兵が次々倒れてしまう危機に見舞われます。
その時、天から遣わされた鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)が八咫烏(やたがらす)になり、上空から天皇を導いて難所を乗り越え、勝利をもたらしました。
「古事記」より
賀茂真淵
と
八咫烏(やたがらす)
真淵翁は、浜松の城下町の南西に位置する伊場村(現在の浜松市中区東伊場)の庄屋「岡部家」の一族として生まれました。
岡部家の先祖は、鎌倉時代に朝廷からこの地五百石を拝領し、支配のため山城国から入った賀茂氏一族で、氏神を祭る「賀茂神社」を建立します。これが、現在も伊場に鎮守する賀茂神社です。
この賀茂神社の祭神が、古事記に登場する八咫烏(やたがらす)に変身して、神武天皇を導いた「鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)」です。
真淵自身も著書「八咫烏考」で、自らの祖先である祭神の仮の姿である八咫烏について、その大きさなどを記しています。
弟子の本居宣長も著書「玉勝間」の県居大人の伝で同様のことを記しています。
多くのみなさんがご存知のように、日本サッカー協会のマークは八咫烏です。
神武天皇の故事に習い、 よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。
日本サッカーチームのマークが八咫烏になったのは昭和六年ということですから、長い歴史をもち、三本足の一本でボールを持ち、たたずむカラスは、国民に親しまれてきただけでなく、賀茂真淵の遠いご先祖でもあったのです。
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浜松市立賀茂真淵記念館
URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp
※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。
この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。
(編集:前澤 祐貴子)
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