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【寄稿A】⑧ 第四部 小児がんの子どもが描く向こうの世界と高齢者が描く死後の世界 白梅ケアホーム  本郷輝明
交流の広場 | 2021.04.25

第4部


小児がんの子どもが描く向こうの世界

高齢者が描く死後の世界


白梅ケアホーム 本郷輝明

はじめに

小児がんで亡くなった子どもが、死を間近に感じた時に残した言葉から、向こうの世界へ一人で旅立つ不安とこの世界との絆について考えてみた。

これらの言葉が記録されたのは1990年代で、まだ子供達に病名告知や予後などについて説明していない時代だった(現在は特別な拒否がなければ病名や治療内容、予後などについて子どもの理解できる言葉で説明がされている)。

これらの言葉の意味を考えながら、現在勤めているケアホームで毎日お会いする高齢者から、今生きている世界と死後の世界(お迎えに来る世界)に対する思いについてお聞きしたのでそれについても述べてみたい。

※ 尚、老成学研究所HPへの発表に関しては、Oさんご本人から承諾を得た。


5歳10ヶ月(女児、急性白血病に罹患)のKちゃんは死亡直前の2日前に、診察に訪れた研修医に夢のことを話した。

夢に出てきた祖母は1年前にすでに亡くなっていたが、母によると祖母に可愛がられた記憶はあるとのことだった。


「夢で遠くのお空からおばあちゃんがやって来た。怖くて眠れない」


Kちゃんにとっては、

亡くなった後の死後の世界は未知の世界で、

(祖母がいたとしても)

何があるか、何が起こるのか不安な世界で、

母と別れなければならない世界だ

とは知っていたようだ。

10歳の横紋筋肉腫の女児Lさんは次の言葉を残していた。

亡くなる2ヶ月前に(母に対して)

 「白血球800で外泊可能?白血球が低くて外泊許可って、おかしいよね。この外泊で最後ってことかな。かなり厳しいんじゃないかな。

もう覚悟出来ているつもりなんだけど、私もがんばっているんだけど。がんばっても、どうしようもない時ってあるんだね」


横紋筋肉腫の肺転移に対して抗がん剤の投与を開始する予定で(主治医は家に帰れる最後の機会かもしれないと考え)白血球低下にもかかわらず2泊3日の外泊を提案した時のLさんの感想である。

この外泊で最後ってことかな、かなり厳しいんじゃないかな、もう覚悟出来ているつもりなんだけど、と見通しが厳しい状態であることは説明していなくてもしっかり理解していた。

しかし自分自身に覆いかぶさってくる「死」というものがどういうものかを説明する試みは、病名告知前には不完全だった。

今では、もしこのような不安が少しでもあれば、いろいろな絵本(例えば「葉っぱのフレディ」や「忘れられないおくりもの」)などを使ってイメージさせることができたと思われる。

抗がん剤を投与してもLさんの肺転移は進行し、呼吸困難は強くなった。

そして死亡2日前に母に対して、

「もう生きてけんよ、苦しい。もうだめ、ねえ皆で死のう」


という言葉を残して亡くなった。

一人では向こうの世界に行けない、

誰かと一緒に行きたい、

という願いだったのだろう。

11歳のNさん(女性、急性白血病)はとても感受性が強い子で、死亡7ヶ月前にはこの病気で死ぬことがあるかどうか知りたがっていた。


「たまごっちが死んじゃう夢をみた。どくろマークいっぱい出てきて注射器で1つずつ消すんだけど、どんどん増えて死んじゃうの。すごく悲しかった。ほんとはそんなのないのにね」


否定しながらも、しかし死の予感は感じているようだった。

死亡6ヶ月前には

「たまごっち死んじゃった」

「たまごっちⅡの発売も、私、間に合わないかも・・」

「テレビの先が早く見たい。一度にやってくれないと間に合わない」

など間に合わないことで、死を意識していることを我々医療者側に伝えていた。


何回か再発後、治療抵抗性になった頃、また次のように、夢について話してくれた。


「昨日ね、へんな夢みた。

お母さんが隣にいるのに、みんなみぃんなテレビも壁もお母さんも、ぐぅんと遠くに思えて手が届かなくなっちゃうの。

怖かった。」

「ねえ、白血病って治療しないと死んじゃうの?」

突然の質問に「Nちゃんは、どう思う?」と聞いてみた。

「うぅんとね、良くわからないけど、そぅかなと思って」。

そして死亡1日前にそばに付き添っている父母に対して、


「こんな弱い子でごめんね」


とはっきり言っていた。


小児がんの子供達は、きつい治療過程の中で説明されなくとも感覚的に「死」や「お別れ」を捉えていた。

向こうの世界に一人で行くのは勇気のいることで、誰かがそばにいてくれれば安心して向こうの世界にいけるというメッセージを子供達は発していたが、受け取る大人の方が受け止める準備ができていなかったし、むしろ子どもの声を正面から受け止めることを避けていた。


安心して向こうの世界にいけることができるのは、誰かがそばにいてしっかり手を握ってくれている時だというのは、子どもも100歳の高齢者も同じでないだろうか。

そんな疑問を持って高齢者にも「向こうの世界について」話を聞いてみた。


106歳のEさん(女性)[③第二部で登場]からまず向こうの世界についてお話を伺った。


「脳梗塞を起こした時は半分向こうの世界に行ったが、こちらにいるみんなが呼んでくれてこの世界に戻ってきた。

これはしっかり覚えている」

「向こうの世界は、こちらほど良くないよ。

今が一番良い感じ。今が一番幸せだと思っている。

死んだ後のことは考えていない。

今の楽しいことだけを考えたり、思ったりしている。

辛いこと、悲しいことは忘れるようにしている」


これがEさんの人生に対する姿勢で、今この時を大切にして生きている姿勢が伝わってきた。そしてリハビリのスタッフと一緒にニコニコ話をしながら毎日歩行訓練を継続している。


「玄孫(やしゃご)の次は何と呼ぶの?そんな人は今までいなかったかもしれないけど」と尋ねてきた。

私もわからず、スマホで調べて「来孫(らいそん)と言うそうですよ」と答えた。

Dさん(97歳女性)[②第二部で登場]にも向こうの世界について話を伺ってみた。


「みんなが待っているので、さっと一気にいきたいね。兄弟みんなが待っている。早く来いと言っている。」

「今まで苦労して苦しんできたから、向こうの世界に行く時は苦しまないでいきたいね。誰かに起こしてもらわないと食事もできない状態の体になって辛いね。自分の体が、起きるのにも人手が必要になり、それが辛い」


とおっしゃっていた。

Dさんは毎日の生活の中に楽しみを見つけ出すのが苦手らしいが、私と会話している時にはニコニコして言葉のやり取りを楽しんでいる様子だった。

Oさん(93歳男性)は認知症が進み、短期記憶が極端に低下した。

いろんな手順も忘れ徘徊が多くなり歩行も不安定になり、昨年9月には早朝トイレに行こうとして転倒し、右大腿部頸部骨折し手術を受けた。

10月には手術を終え再度入所してきたが車いす生活になり、行動の不自由が増し不満はたまるばかりである。

食事やリハビリにも愚痴が多くなり入浴も拒否することがあった。


Oさんに話を聞き始めるとまずご自分の兄弟の話が出てくる。

Oさんは男3人兄弟の3番目で、兄二人はすでに亡くなっている。


「三男の俺は一番出来が悪かった。

長男は税理士で頭が良かったが75歳で亡くなった、

次男は70歳で亡くなった。アルコールを飲んでいてひっくり返って亡くなった。

自分はアルコールが全然ダメで出来が悪かったが93歳まで長生きしてしまった。

悪ガキで勉強はできなかったがやりたいことをやってきた。

真っ白なレンコンを作って京都まで売りに行き大儲けをした。京都では珍しい白いレンコンがよく売れたのだ。

その後は田圃3つぐらいの広い生簀でうなぎを育てた。」


機嫌良く話し始めたら、いろいろな話をしてくれるようになった。

教育についても話し始めた。


「おっかあが利口なら、子どもも利口になる。

これは俺の哲学だ。

舎弟(息子二人を指していると思われる)はおっかあが利口だったので二人とも**大学と**大学に入った」


Oさんのベット際に座って話を聞いていると、愚痴も消え、(向こうの世界について)ご自分の考えを話してくれた。

もうこの世界に未練はないとのこと。


「早くおっかあのところに行きたい。

優しいおっかあだった。

今はただ生きているだけになった。

人間は何か目的がないとダメだね」


「おっかあ」はOさんの母親を指しているようだ。

母親は6歳の時に亡くなり、その後は祖母に育てられたとのこと。

「おっかあがなくなり寂しい思いでずっと育ってきた」と話してくれた。

「おっかあ」のことは、

その後何回か話題になり、

そして母親の話は喜んで話してくれ、

その都度思い出しては声を詰まらせた。


「おっかあが亡くなってからは、寂しい思いで育ってきた。

尋常小学生の頃は特に辛かった、寂しかった。

おじいさん、おばあさんはタバコを売りに出て

家にはあまりいなかった」


「早くおっかあのところに行きたい。

迎えに来てくれないかな」

が今のOさんの望みだ。

そんなに行きたいのですか?と問うと、


「そりゃ早く行きたいよ。

なんとかおっかあのところに行きたい」

とおっしゃる。

最近はよく涙ぐみ、

向こうの世界に行かせてくれ

と言う。


死が迫ってきた時、子どもたちも高齢者も、幼い頃に築かれた絆(関係性)を心の一番の拠り所にする。

母親との優しい関係ができているとそこが最も頼りたいそして帰りたい場所になる。

そんな場所と関係性があることが、生きてきた人にとっての究極の幸せになるのだろう。

 
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