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緑内障の世界で経験した事故、手術、そして幻視と夢 寺川 進
時代への提言 | 2025.12.03



© Susumu Terakawa
ある緑内障患者の眼


緑内障の世界

寺川 進





 

高齢者の多くが、緑内障で悩んでいる。その割合は、70歳以上では、10人に1人だという。男女の差はあまりないらしい。この病気は、未だ、根治治療ができない難病である。そこで、同じ悩みを抱えるかこれから罹患する可能性の高い人に、少しでも病気の経過を知ってもらい、直接、治すには至らないにしても、将来を見通すための参考にしてもらえるとよいのではないかと思う。紆余曲折で一喜一憂せずに、気を安らかに保つための役に立つかもしれない。徒然草の仁和寺の法師の段には、「先達はあらまほしきものなり」とある。また、専門医の先生方にも、何らかのヒントになるものが有れば、幸いである。



緑内障の始まり

プールで泳ぎ眼が真っ赤になったのは、52歳のときだった。そこまで赤くなったことは無かったので、直ぐに眼科に行った。明らかな結膜炎なので、抗生物質の点眼薬を処方されて終わりと思っていたが、医師は、説明もせずに、視野検査までやった。両目を終わらせるのに、40分以上の時間がかかった。検査が終わると、医師は言った。「両目とも、周辺視野が狭まり始めています」。緑内障が始まっていると宣告されたのである。眼圧も少し高いと言われた。眼圧が高いことが、緑内障の原因だとされているのだ。それ以来、点眼薬の投与が始まった。眼圧を下げるために、色々な薬効の薬を使用した(種類と薬品名は、ネット上に沢山載っている)。眼圧は、両目とも12 mHg という数値であり、正常範囲(10 〜 21 mHg)に入っているのである。医師は、恐らく睡眠中にはもっと高まるのではないかと言い、入院して、明け方の4時に起こされて、眼圧測定をした。確かに、17まで上がっている。点眼は続けたが、はっきり眼圧を下げる薬は無く、視野の欠失拡大は止まらなかった。20年くらいで最適な薬に到達したのか、眼圧は11辺りで安定した。教科書的には、眼圧が高いと、眼底にある網膜に圧力がかかり過ぎ、その中にある神経細胞が萎縮して死滅すると考えられている。また、眼球の変形が起こり、網膜内の神経束が眼球から外へ出る部分である視神経乳頭付近の神経線維を圧迫して萎縮させるのではないか 、 とも考えられている。しかし、私の例のように、それほど眼圧が高くなくても、視細胞などが萎縮していく場合も多い。本当に25を大きく超えるレベルまでに眼圧が高くなると、眼が痛くなり、大変なことになる。放置しておくと、視野の領域はどんどん狭まる恐れがある。



眼球の変形は、他に、近視や遠視といった状態も引き起こすことは良く知られている。こちらは遺伝性が認められ、眼鏡で矯正できるので、比較的対処しやすい。しかし、近視が強い人に、緑内障が発症しやすいという統計結果が指摘されている。近視の強い人では、緑内障の発見が遅れるとも言われる。緑内障の問題が、やはり遺伝性のものだとすると、根治治療はなかなか難しいことになるが、早期発見、早期治療が、先々の失明を遅らせるであろう、というのが。現在の指針である。30代からの定期検診が勧められている。私自身の考えは、老化というものは、遺伝子の指令で起きているもので、抵抗し難いのではないか、というものであるが。



70歳を超える頃から、運転中の対向車のライトが、自分の方へ直接向けられているかのように拡がって見えるようになった。そんなときは、視界全体が眩しくなって、自分の車から見る前方の道路がとても見にくくなる。これは、白内障も始まった兆候であった。



緑内障の症状は、視野の周辺部に見えない箇所が現れ、そんな領域が、時とともに、ゆっくりと中心に向かって拡がっていく、というものだ。教科書に載っている、網膜内の神経線維の走行に関係した、斜めの帯の形の視野欠損も現れた。ときどき中心部でも、段階的に視力の低下が起った。見えが悪くなっても、その視野領域が暗転するわけではなく、灰色っぽくなって、形も色もはっきりしなくなる。周辺部でも同じことが起こり、片目ずつ調べれば、そのような変化が明らかであるが、両目で見ると、そのことが分からない。片側の健常部が対側の非健常部の視野欠損を補うためである。両目に対称的に視野欠損部領域が現れることが多いようである。片目における視野の欠損を簡易的に自覚するには.前方の1点を見つめながら、手を伸ばして指を立て、それを左右、上下、斜めにゆっくり動かしてみることである。どこかの位置で、明らかに指の先が消えるのが分かる。さらに視野欠損が分かりやすいのは、雑音信号を表示するテレビ画面を片目ずつ見ることである。最近のテレビは、この手の雑音表示画像を出さないが、アナログ時代のテレビ・スクリーンには、チャネルに放送波が入っていないときにそのような信号がノイズとして表示された。白黒の小さな点が乱雑に画面一杯に表示される。これに目を近づけて、片目ずつ見ると、視野の欠けているところでは、画像が静かになっているのがよくわかる。



両眼視をしている状態では、それぞれの眼の対称的な位置の周辺視力が低下していることに気づきにくい。実際、上記の指テストで、指が消えるということに気が付かないのである。それが大きな問題であり、それが失敗の元となる。私の場合、75歳まで一応車の運転ができた。しかし、後から考えてみると、70歳くらいから、失敗、つまり事故が起こるようになっていたのは明らかだ。



車の事故

  

それまで運転に自信を持っていたのに、あるとき、狭い道で左側のドブ川に脱輪したのだ。その道は、確かにぎりぎりの幅なので、ゆっくりと進んだのに失敗した。以前に何度か通過できていたのだ。それなのに、左側を流れる小川の方向に前輪が落ちてしまい、車は左側の腹を地面に着けて動けなくなった。若い頃に免許を取ってから起こした最大の事故であった。その時は、自分の目が悪くなったための事故だとは気が付かなかった。何しろ狭い道なので、何度か通れば、いつかは落ちるものと自分に言い聞かせた。



それから2年くらいして、今度は、やはり少しだけ細い道で、左側の石垣に車を盛大に擦った。石垣はしっかり見えていた積りなのに、擦ったのである。それから、さらに1、2年した頃、やはり左側の事故を起こした。このときは、右にゆっくりカーブしている道で、左前輪が、歩道との境になっている段差を擦る軽いショックを受けた。歩道に乗り上げるほどではなかったが、道幅が十分にあるのに、段差にタイヤを擦るように走ってしまった。



これらの事故は共通した特徴を示している。どの場合も左側の事故であり、障害物と車との間隔を見誤っていることだ。今考えると、これは立体視が不完全になっていることを意味している。運転席は右側にあるので、比較的外の障害物と車の右側との距離は分かりやすい(右側でも、トンネル内で向かって来る対向車が怖くなるのは感じていた)。緑内障の初期には、周辺視野の悪化が左右で不均等に進むため、片目だけで見えている対象が、立体的には見えない。そのため、前方を注視しながら行う左側の障害物までの距離判定に、誤りが起きるのである。そんな失敗をしても、まだ、自覚が不十分であったが、ある日、日中に出かけた場所から夕暮れになって帰宅するときに、広い道路の左側の植え込みや電柱、そして道路標識までがとても見えにくいことに気が付いた。車線の左側を自転車が走っているのかいないのかが分からず、これは運転できる眼ではないということが、はっきり自覚できた。家に着くまでの15分くらいの運転が、本当に怖いものであった。ここに至って私は免許返納を決意することになった。75歳の時である。妻も別の理由で免許返納をした。車の無い地方生活は少し大変ではあるが、生活できないことは無い。思ったより、不便さは無いものだ。現在は、結構楽しく徒歩での買い物に勤しんでいる。



手術

 

まだ車の運転をしていた74歳のとき、水晶体をプラスチックレンズに置き換える手術を受けた。それによって、運転時の視力が改善するかもという期待があった。すでに拡がっていた霧のようなものが、30%くらいは消えた。しかし、霧は大きく残っており、運転能力も全体的な視野の悪化も止まることは無かった。そこで次の年に、免許は返納し(前述)、ほぼ同時に線維柱帯切除術を受けた。これは、強膜に孔を開け、線維柱帯の一部を切除し、房水が排出される通路を作る手術だ。眼球表面をなす結膜は完全に縫い戻し、その下の強膜の一部を開放して、防水が排出されやすくする。手術の結果、眼圧は一時的に5まで下がり、以後、徐々に上がってきたが、正常範囲よりは下を保っている。この過程で、左眼については、眼圧の下がり方が不十分と判断され、追加の手術(濾過手術)を受けた。これは、線維柱帯の一部と虹彩の一部を切除し、前房に房水が流れ出やすくする手術である。



追加の手術でさらに眼圧が下った。しかし、緑内障という病気に対して、眼圧を下げる手術の効果を判定するのは、実は大変難しい。手術をしても、視力全体としては、低下していくことを免れないのである。概ね、毎年、前年の半分くらいのレベルに下がっていく。ある程度、指数関数的な減衰であり、直ぐに直線的に全盲に向かうという感じではないが、手術に効果があったのか、無かったのかは、比較する対照がないので、何とも言い難い。



両目とも眼圧を下げる手術を受けて、結果として、眼球の形状が以前とは変わった。両方の眼球とも、左右への動きは良いのに、どうしても、見たいものの一点へ両目の視線を合わせることができない(輻輳反射:ふくそうはんしゃ  の不具合)。眼前の 30〜40 cm 先までは、何とか合わせられるのであるが、それより遠い所の像は二重に見える。眼球の形状が球から大きく変化して、歪んだ楕円球になってしまったと思われる。水晶体(実はプラスチック・レンズに交換済み)の後方の垂線上に黄斑部が位置していたのが、ずれてしまった結果、動眼神経の制御が正常な輻輳を与えなくなったもの、と考えられる。対処法として、フレネルレンズ(プリズムとして作用する細い筋が沢山入ったプラスチック板)を眼鏡に貼り付けて、視線の角度を修正するという方法を取っているが、見たい対象物までの距離に応じて視線角度を変えることはできず、全ての距離に対する適切な輻輳は難しい。輻輳が合わないと、向かって来る1台の車が、2台並んでやってくるように見えて、歩いている自分は、車を避けるべき方向が左と右のどちらなのか、とても分かりにくい。



視野の形は、教科書にあるような節穴から外を見る、という感じではなく、広がった霧を通して、全体が低いコントラストで薄ぼんやりと見える感じなのである。黄斑部も、ごく一部を残して霧で覆われ、狭い領域から大きな文字だけが垣間見えるような状態である。1カ月前には読めていた字が、次第に読めなくなるので、眼科の検査装置より、自覚の方が敏感である。視野の中心(黄斑部)でははっきり見えない物でも、視点をずらすと、却って、何があるのか分かるという状況にもなっている。



視野検査としては、Humphry Retinometer と Goldmann Retinometer の両方を、半年に一回ずつ、交互に受けた。時々、OCT検査もした。この装置では、コヒーレンス長の短い光を使って、網膜組織の断面図のようなものを撮影し、視細胞の有無が判別できる。私の網膜では、細胞層の判別がはっきりしないくらい、細胞形状が崩れているようであった。



緑内障を視力低下と表現するのは不正確である。いわゆる視力検査の数値は、かなり末期になるまで、それほど悪い成績にはならない。視力検査では、ランドルト環と呼ばれるCの形の記号を見せ、円環の上下左右どちらの方向に隙間があるかを答える。十分に時間を使って判断した答えを言う。すると、面白い事に、とても小さなCまで言い当てることができるのである。視力検査では、中心視野のみの状態を調べるのである。小さなCは、その中心視野の大きさに比べて十分小さな像を作る。中心視野の領域では、すでに、良い所と悪い所がまだら模様のように混在している。小さなCの像がそのどこに来るかで、その切れ目は結構判断できるのである。注視の方向を微妙に動かすと、良い像が見えたり、悪い像が見えたりする。時間をかけてベストの位置を探すと、自分でも驚くほどの精度で正解が出るのである。微小な見える点ひとつで、画像を走査するようなものである。もちろん、成績を上げるには、直前に提示されたCがどちらの方向だったかを覚えておくことも、欠かせない。検査技師は、同じCを続けて提示するような意地悪はあまりしないから、答えは3分の1の確率で当たるのだ。医学的にやれることはやった後の現在、いわゆる視力の数値は、0.03 となっている(1.5 m 離れたところで一番大きなCが分かる)。



歩行時の事故

  

視力が著しく低下してからは、思わぬ経験も多くなった。一度は、電車を降りた駅の近くで、幅と深さがともに背丈に近い大きさの側溝に落ちた。暗闇で、いきなり足許の地面が無くなり、次の瞬間、頭と耳に強い衝撃を受けた。意識は途切れなかったが、何が起きたのか一瞬分からなかった。底はコンクリート製なのだが、幸い少量の水が流れており、その中に頭から落ちたようである。びしょ濡れとなり、11月の寒さで全身が震えたが、何とか自力で這い上がり、駐車場で待つ妻の車に辿り着いた。後でよく見ると、車道、ガードレール、側溝と隙間なく並んでおり、歩道がはっきりしない所だったのだ。ガードレールが、車から歩行者を守るように作られているものと思ったのが、間違いだった。



この事故以来、側溝にはことさらの注意をしていたが、それでも、さらに2回落ちることになった。2回とも、小さな側溝であったので、怪我をすることは無かったが、落ち方が悪ければ、脛を削るようなことにはなりそうだ。側溝の状態は色々で、一部の蓋が欠けていたり、草だけが覆っていたりするので、その危険性が分かりにくい。店舗前の駐車場にも危険がある。一見平坦に見えるが、車止めというコンクリートの出っ張りがあり、車が駐車していない所では、それに引っかかりやすい。もう少ししたら、白杖を使って探りながら歩く必要も感じている。



最近は、妻が私の腕を捕まえるようにして一緒に歩いている。歩道に立つ電柱や交通標識を避け、ちょっとした段差を注意してもらうためである。近所の幅の広い歩道を二人で軽快に歩いていたとき、ちょうど、これから渡ろうとする横断歩道が青信号となり、少し、急ぎ足になった。横断歩道まであと2 m というところで、私は、突然、何かに躓いて、前方につんのめった。アスファルトの上に膝をぶつけ、両手をついて顔を辛うじて守ったが、勢いで横に転がり、歩道の上に完全に仰向けになってしまった。妻は、私を支えきれず、私に引っ張られて一緒に転び、仰向けになった私の真上に覆いかぶさるように倒れ込んだ。横断歩道の白線にそって、何台もの車が、青信号になるのを待っていた。車の中で、退屈していた人達は、白昼、突然、歩道で始まった、老夫婦の息のあったパーフォーマンスに、眼を丸くしたに違いない。



駅や病院の階段は、段差部分に白や黄色の色が着けられており、これまでのところ、踏み外すことは無かった。しかし、所々に色着けしていない階段は存在し、そうした所では、手すりに頼りながらゆっくり上り下りするしかない。特に、上りでも下りでも、最後の一段が危険である。予想に反して、大きなショックを受け、転倒しそうになる。眼が悪くなると、外界の水平も鉛直も分かりにくくなり、その結果、重心の不安定性が増す傾向がある。そのため、身体のよろめきが多くなることも多い。夜間の外出は、足許がより分かりにくいので、極力避けるようにしている。



幻視と夢

  

ときに、視界に奇妙な模様が現れる。模様は、概ね、二種類に分かれる。一つは、ゆっくり回る歯車やシバ神の光背のような形で、燃えるようなオレンジ色に輝いている(タイプ Ⅰ)。30分から半日くらい現れては消える。もう一つは、レコード盤のような沢山の細い筋が、揃ってうねるように流れるものである。一本一本の筋の色が異なっており、全体としては虹色のように見える(タイプ Ⅱ)。こちらの方が現れている時間は短い。共に、視野の3分の1程度の大きさに拡がる。輝く模様の範囲は広いのであるが、視野欠損の影が重なっているようには見えない。毎回現われる場所は変わるが、現れると眼の動きに付いてきて、視野内での位置は変わらない。しかし、短い時間の間に、他の形に変わることもある。片目を軽く圧迫すると、その効果は模様に重なる。他にも色々試したが、末梢、中枢、左右のどこで生じるのか判定できない。これらの模様は、中枢性のものに感じられる。視神経から脳への生理的な入力信号が低減して、外側膝状体や上丘その他の中継核に自発性の信号が現れるのかもしれない。あるいは視覚領において、信号低下を補償するような機構が働くのかもしれない。2次元的な広がりの中で、ある種の統一性を持った形状なので、高次中枢レベルの活動である可能性も高い。実際には無いものが見えるという意味では、幻視というべきであろう。しかし、いわゆる幻覚によくあるような現実感は伴わず、幻を見ているという認識ははっきりしている。てんかんの発作時に見えるというイメージよりは、長時間の安定性がある。模様が現れると、その後に視野の悪化が進むような気もする。



ひどく悪くなった眼であるが、夢を見ることは多い。外国の街や山野など、極めて鮮明な像が現れる。色も輪郭も、正常な視野を保っていた時と同じように鮮明である。みな、古い記憶にある材料が使われて、それらが混ぜられて、夢が生成されているのであろう。ほとんどの夢が、強い現実感をもっているので、しばしば、魘されることになる。強い恐怖や緊張、不安を覚えるような夢を見ることが多い。ホテルに帰る道を探していたが、行く手に砂山が現れた。見上げるような高さである。パステルカラーの縞模様になっていて、目には美しいが、とても急斜面で、登るべきか迷う。砂を崩しながらも何とか登って行った。登るほどに斜面が急になるようだった。100 m も昇った頃、頂上の平地に手が届く所まで来た。最後に身体を引き上げて、平地の全景を目にして驚愕した。頂上の平地と思っていた所が、実は、向こう側に切り立った崖の尖った稜線だったのだ。砂山が屏風のように薄く、てっぺんは刃物の如く尖っている。向う側の斜面は、こちら側より垂直に落ちるほどに急なのだ。砂山の稜線上から見える景色は、雄大な川が流れており、ちょうどグランドキャニオンのような色鮮やかな山並みに囲まれている。風景としては、美しいのだが、今にも崩れてしまいそうな、砂山の尖った稜線の上で、恐怖のため、身動きができなかった。夢の景色は緑内障とは無関係に思うが、こんな映画のシーンのような夢を見ることは、とても多い。



つい最近のことであるが、変わった夢を見た。表現が難しいが、綿生地を四角く千切って、碁盤のマス目に合わせて並べたようなイメージであった。綿は白い訳ではなく、細い線維の一本一本が、虹のように色々な色で輝いている。私は、その繊細な形と色に見入っていた。タイプ Ⅱ の幻視模様(上記)と似ているが、違うのは、眠っている状況で見ていることだ全体の形はあまりはっきりせず、曼荼羅のように大きく広がっているようであった。それだけならば、きれいな夢の一つで終わるであろう。変わっているのは、その夢のようなイメージが、眼前に、長い時間、留まっていたことである。このイメージは夢なのだということが、はっきり認識できるというべきか。もうそろそろ起きてもいいかという時間であることが、自分でよく分かるのである。それなのに、夢のイメージは視野に貼り付いており、消えたり、薄れたりしないのが、不思議であった。半分眠ってているような状態なのに、眼を意識的に動かすことができ、イメージの位置がずれるか試してみたが、眼に付いてくる。



尿意が強くなってきたので、仕方なく起き上がり、階下のトイレに入った。それでもイメージが消えないのである。眼をしっかり開けると、さすがに、イメージは消えて部屋の壁が見えるのだが、眼を閉じると、再び同じイメージが現れるのだ。気にせず着替えを進めているうちに、ようやく、消えていった。さほど困るようなものではなかったが、経験したことが無いものに出会うと、記憶に残る。このようなことが、緑内障が原因で起こるものとも思われないが、普段コントラストの無いボーっとした景色しか見ていないので、細かくはっきりした物を見たいという欲求が、そんな幻影のようなイメージを、作り出させたのかもしれない。



日常生活

  

定年後も、他大学での講義や、学会の仕事などは継続したが、新聞や雑誌、教科書まで、自分では読めなくなり、PCだけに頼っている。ネット上の資料は拡大できるし、YouTubeや放送大学の講義などは音声だけでも勉強できる。PC画面は背景を真っ暗にし、文字を白く明るく表示する。それも 1 cm ほどの大きさにして、何とか読めるという具合である。手紙や文書類は、妻に音読してもらう。小説類も沢山読んでもらった。蛇足になるが、お勧めは、五木寛之「親鸞」、三田誠広「空海」、百田尚樹「幻庵」、澤田瞳子「若冲」、朝井まかて「眩(くらら)」、恩田陸「蜜蜂と遠雷」、梶ようこ「広重ブルー」などである。定年前には手が出なかった物語の世界を楽しんでいる。クラス会などの世話役は一切免除して頂き、申し訳なく思っている。日程や金銭など、間違えてはいけないことが多いので、無理はできない。



長期間に亘って各種の眼圧抑制剤を使用した結果、左眼の下眼瞼のまつ毛が、皆、逆まつ毛状態となり、常時、眼球側の結膜を擦るようになった。その刺激のため、酷いときは眼が痒くなって涙が止まらず、目ヤニが溜るほどになる。眼を水道水で洗うということを日に何度も繰り返す。まつ毛を生えないようにする手術もあるそうだが、病院の医師はそれをあまり勧めなかった。近医でまつ毛を引き抜いてもらう方がよい、と思っている様子であった。眼は大して見えないのに、眼を守るまつ毛に悩まされるのは困ったものだ。



私は、白いお茶碗に白いご飯が入っているのは、苦手になっている。最後のお米の一粒を確認できず、きれいに食べるのに大変長い時間がかかる。時には、舌を使って嘗め取った方が早い。しかし、作法上は難しい。茶碗の色を変えると、何とかなる範囲の話であるが、炊いた白飯というものを充填したチューブ製品が有れば、別の食べ方もできるであろう。眼が見えない不便さのかなりの部分は、マナーとかこれまでの習慣とかに左右されている部分が大きいものだ。



現在の眼は、これまでのうちで、一番悪い状態であるのは間違いない。視界全体に霧が広がり、所々に、それがわずかに薄くなった領域があって、そこでのみ、物が少し見える。全盲の人と比べれば、まだましであろうことを感謝しなければならないのだが、普通に見える人が、私の眼を通して辺りを見渡せば、ほとんど見えていないことに驚くであろう。それでも(このように)作文は一人で何とか書けるし、音楽も、物語も楽しめる。ここまで来られたのは、何人かの眼科医にお世話になったお陰であろう。特に、近医のT医師と、重要な時期の病状を診て手術をしてくれたK医師には、厚く感謝の意を表したい。最後の手術を受けてから丁度3年が経過しているが、生活の質はまあまあの状態に保てている。



視力補助

  

人生の1/3近くを緑内障と付き合ってきたが、どのように終わることになるのか、色々と想像はしているが、結局、いずれの予想も当たらずに終わることになるのだろう。基本的には、老化に伴って遺伝子のタンパク発現状態が変化し、細胞の活力が下がったということが、病気の根底にあると思われるが、分子生物学的にどのようなタンパクの変化が関与しているのかを究明できなければ、治療は難しい。iPS細胞などによる修復も試みられているようだが、未だ、難病であることを脱するには至っていない。カメラを使って映像の電気信号を作り、それを基に、脳の視覚領に刺激を送り、映像を再現するといったような技術に頼る方が、実用的な手法となるかもしれない。比較的、触覚の空間分布密度が高いという舌を使って、映像信号を、舌の表面に2次元的な微少振動として、視覚の代用とすることも考えられる。全盲となっても、散歩くらいできるような空間認識が得られるかもしれない。胸にスマホを付け、そこから細い電線か電波で口の中にある2次元振動表示器を動かすというのは、使いやすい道具となるであろう。カラー映像は、扱いにくいかもしれないが、全盲の人がスマホでテレビを楽しむという時代も、そのうち来るかもしれない。ヒトに画を見せるという方法ではなく、スマホが捉えた映像を、AIが判断して、「5メートル先に横断歩道があります」、「10秒後に青信号になったら渡りましょう」などと言葉で教えてくれてもよい。






[付録1]  正常な眼圧であるのに網膜細胞が萎縮する原因は何か?

 

眼圧というものは、房水の分泌圧で決まる。房水は、水晶体の厚み調節をしている毛様体(虹彩の後ろ側にある組織)から分泌される。房水は眼球内、特に虹彩の前後の部屋の中を流れ、狭い通路(虹彩の前側の根元:隅角)を通って、静脈に流れ出る。この流れを生む水の圧力が眼圧である。この圧力によって、眼球が球の形を保ち、潰れないように膨らまされている。水の排出路が狭くなると、眼圧が異常に上昇して、強い痛みが生じる。眼球に貼りついたような形で繋がっている視神経(乳頭部)が圧迫され、そのために網膜の神経節細胞からの信号が脳に届かなくなる、という説が多いようである。緑内障が強度近視の人に多いことからすると、眼軸長が伸びて眼球が細長くなることが、眼球後方に位置する視神経の乳頭部に無理な変形を強いる、ということもありそうだ。しかし、その部分の視神経の変形萎縮については、外部からの診断が難しく、あまり確立した話ではないようだ。医師は、神経軸索内の輸送を促進すると言われる薬剤(メチコバール)もしばらく処方してくれたが、特に効果は認められなかった。神経栄養因子の不足説やミトコンドリアや網内系の酸化ストレス説もある。視神経に沿って、血管も眼球の網膜と脈絡膜に流れ込む。眼球の変形によって、その血流に障害が起こる可能性もある。眼球の血流を促進する薬としてグラナテックがあるが、私は、その点眼をすると、結膜に過敏な反応が起こり、とても使用できなかった。医師は、それを残念がっていた。



他に考えられる病理学説は、網膜にアミロイド斑のようなものが蓄積する、長年のX線や紫外線の効果で光障害が起きた、網膜組織の抗酸化力が低下(リコピンやルテインの不足?)する、遺伝子の指令による局所的な変性や老化の進行、または免疫異常やアポトーシスの促進など、色々ある。私自身、冬期に暖房の無い寝室で就寝中に、顔や頭部が冷えるため、眼球への血流低下が起るのではないかと疑った。厚い毛糸の帽子を被って寝ると、鼻より上部に対して、とても防寒効果がある。これは、習慣として続いているが、病状の進行を止めることは無い。あまり言及されていないのは、視細胞そのものの変化である。視細胞の中で光刺激を化学変化に変換する部位である外節は、常時成長を続けており、光酸化を受けて古くなった部分を処理している。長くなった外節の先端部分は、それに覆いかぶさるように隣接している色素上皮細胞の食作用によって、除去されている。この食作用が何らかの原因で加速すると、視細胞の外節再生作用は負けてしまうのではないか。逆に、色素上皮細胞は、視細胞に栄養やビタミンを与えて、これを養ってもいるので、その機能低下は、視細胞の萎縮に繋がる。これは、黄斑変性症の原因の一つとされている。それら色々の可能性を絞り込むためには、緑内障が激しく進行している人の病理学的なデータを、十分に集めなければならない。



緑内障の初期には、脳下垂体の腫瘍の可能性を疑い、一度は、MRIやX線CTなどの画像診断装置によって、下垂体の様子を確認しておかなければならない。下垂体が正常のサイズを超えて大きくなると、頭蓋骨の底部にあるトルコ鞍の形が崩れ、そばを走る視神経交差の内側部を障害する。このため、両眼の鼻側網膜が損傷を受けている場合がある。また、最近のMRI装置では、トラクトグラフといわれる画像を撮影することができる。脳内の神経線維束のように、ある程度束になって配列している構造を、選択的に可視化することができるのである。時間空間分解能を上げて、乳頭部近辺の視神経の異常が検出できれば、原因究明が進むかもしれない。



ちなみに、画像診断装置について追加する。この装置は、非常に有用な医療機器で、体内の様子を手に取るように見せてくれる。CTでは、ほんの30秒くらいの時間で、がんや炎症など、全身の異常の有無を、かなり網羅的に検出してくれる。私は、最近、この装置の緊急使用で、大助かりした。直腸内の便滞留がはっきり診断されたのである。同時に、大腸憩室、前立腺肥大、肝内蜂巣、肺尖部肥厚と一部末梢肺胞の炎症を指摘された。腎、胆管、肺、縦郭、甲状腺などには異常が無く、腸の閉塞兆候も無いことが確認された。診断にはAI判断も加わっているとのこと。検査室に入ってから、検査を受け、終わって結果を受け取るまで10分程度。支払い代金は、6000円であった。



[付録2] 眼の色について

 

緑内障という病名があるので、眼の色から診断が付くのかと思いがちである。緑内障の語源はギリシャ語である。緑色ないし青色、それらと灰色の混ざったような色を、ギリシャ語で glaukos という。それが元になって、病名になった。それでは、緑内障の症状のひとつとして、眼(の中)がそのような色に見えるのか、ということになるが、それほどはっきりした色が着くわけではない(冒頭の写真参照)。同じように老人に多い白内障の方は、症状が進行すると、瞳の中央の本来は黒い部分に、白い雲や水流の様な模様が現れる。これは、水晶体の微細な組織構造が、規則的な整然としたものから少し不規則なものに変化して、光を散乱するようになったことを示している。丸い瞳の一部に白い模様が現れると、滝のように見えることから英語でカタラクタ(ギリシャ語:滝:chataracta)と呼ばれる。白という語が病名に入っているわけではない。緑内障は、患者の自覚としては、白内障と同じように視界に霧が出て見え方が悪くなるのに、瞳の見た目は白くはならない。このタイプを区別するために、わずかな暗緑色に注目して、緑内障と呼ぶようになったのであろう。網膜の薄層化や血流低下がある場合は、実際に、暗緑青色になる傾向が出てもおかしくない。特別な光学装置を使わずに眼を覗き込んだ時の眼底の色は、光が少ないために、黒いものとなる。



眼の色は色々に変わる。眼を真っ赤にしてといえば、泣いている状況だ。怒っているときも該当するかもしれない。随分と怒りすぎているが。血眼でといえば、必死に活動していることになる。いずれも、眼球結膜が充血することにより、起きる状況である。心理的な原因がなければ、炎症という症状が起きていることになる。他に、眼の色が変わる症状として、胆管閉塞や肝炎に伴う黄疸がある。ミカンの食べ過ぎでも起こることがあるが、いずれも黄色の色素(黄疸では、ヘモグロビンの分解産物であるビリルビン)が血管から染みだして、本来白色の結膜が黄色味を帯びる状況だ。そんな時は、手掌や爪床も黄色味を帯びている。



いわゆる眼の色というのは、水晶体の前にある組織で絞りの作用をする、虹彩の色である。虹彩は、光を遮ることがその機能であるので、多くのメラニン色素を含んでいる。その量は人により異なり、茶色から青色や灰色までの色となる。メラニン色素が少ないと、虹彩の微細な構造がもたらす、いわゆる構造色が現れる。これは、蝶の羽に色が生じるのと似た原理で発色するもので、色素ではなく、微細な繰返し構造が光の散乱や干渉を左右して色を生じるものである。普通、ある程度固定した周期構造が色特異的に干渉を起こす現象を、構造色とよび、微細な粒子の流動的な集合体が起こすカラーフィルターのような散乱効果を、チンダル散乱と区別している。虹彩の色に各成分がどれだけ寄与しているかを評価するのは、かなり難しい。



よく、白兎の眼は、どの方向から見ても赤くなっている。このウサギの眼の色は、遺伝子で決まるもので、虹彩だけでなく、網膜最外層の色素上皮細胞にも、全身の皮膚にも、メラニン色素がほとんど無いために、網膜と脈絡膜の血管網が良く見えるためである。白兎の毛を剃れば、赤ウサギに見えてくる。



カメラ撮影のときにフラッシュを使用すると、時々、赤目になることがある。写っている人の全員の目がそうなることはなく、1,2人だけが、それも片目だけ、大きく開いた虹彩が鮮やかな赤色になってしまうのだ。部屋が暗いので瞳孔が開いており、本人は、比較的遠方を見ている状態である。フラッシュからの明るい光が、眼底にある太い血管にフォーカスされており、その赤い像が、眼のレンズによって平行光になってカメラに戻ってくるためである。血管の像がレンズ一杯に広がった形になって見えている血の色なのだ。



近赤外光を照射して、同じ波長の光を撮影すると、広い角度で赤目と似た現象が現れる。実際は、赤目ではなく、暗闇で瞳孔が明るく光って写るということである。眼球内に入った近赤外光は、組織透過性が高いため、網膜、脈絡膜をよく透過し、強膜で散乱され、眼球内を全体的によく照明することになる。その明るさが、水晶体のレンズ効果を受けて、瞳孔から観察できるのである。



ネコやシカなど、動物によっては、暗闇で眼内が黄色く光るのがカメラに捉えられることがある。それは、そうした夜行性の動物の眼底に、輝板(タペタム)と呼ばれる光を反射する鏡のような組織があるためである*。組織内のフォトニック結晶と呼ばれる微細な周期構造が、鏡の役割をする。この反射板は、一度網膜を通過した光を反射させて網膜に送り返し、効率よく光を捕捉するための工夫である。その成分は亜鉛とシステインの複合体であるとのこと。ヒトなどの非夜行性動物では輝板は無く、前述のように、メラニンを産生する色素上皮細胞が視細胞のすぐ裏側にあって、透過光が散乱するのを抑えるようになっている。

 

*:Review by L. Zueva et al., J. Biophotonics (2022).  DOI: 10.1002/jbio.202200002


 

 
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