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老成学研究所 > 時代への提言 > 『天体衝突現場への旅』5回シリーズ 寺川進 > 『天体衝突現場への旅』第3回/全5回シリーズ 「第3章 死海の谷(イスラエル)」 寺川進
『天体衝突現場への旅』
5回シリーズ
第3章
死海の谷
(イスラエル)
寺川 進
緑の無い土地
1987年、私は妻と共に、イスラエルを訪れた。エルサレムで国際生物物理学会が開かれたからである。特にイスラエルに行きたいと思っていたわけではなく、新しい発見を発表する場所を探したところ、たまたまイスラエルだった。
本命は、その後に続けてブリストルで行われる 脳下垂体の国際シンポジウムであった。その方が、より専門家が多く、本来の目的地と考えていたのだが、行く途中で寄り道をするだけならば、という軽い気持でイスラエル学会にも申し込んでしまった。
実際の旅行はかなり大変なものであった。飛行機の切符を用意する時になって初めて分かったのは、イスラエルに入国できる経路がとても限られていることだった。一度、ギリシャのアテネに飛んでから、イスラエルのテルアビブに飛ばなければならなかった。
そこで、アテネにも一泊し、パルテノン神殿を拝むことにもなった。アクロポリスの丘に登る階段の路で、最初に現れる礼拝所のような建築物は、有名ではないが、鮮やかに記憶に残っている。建物の周囲に配された大きな石柱が、すべて女神の姿をしていて、その頭に石造りの屋根が乗っているのだ。おそらく、建造当時は鮮明な色付けがなされていたであろう。2000年以上もの間、石の屋根の重さを苦も無く支える神々の力強さを実感する。
世界史に出てくる歴史的な建造物であるパルテノン神殿は、まことに壮大なものだった。建物の縦横高さの比は、どれもユークリッドが作図から求めた Φ (=1.618‥) の黄金比となっていることは、有名である。確かに、安定した重量感と機能的な美しさがある。エンタシス列柱も、石の存在感が大迫力で迫ってくる。中学時代に学んだ、アテネの政治家ペリクレスが、柱のひとつに手を当てて、上の方を満足げに見ているような姿が目に浮んだ。
屋根構造の切妻部分に相当するフリーズは、本物は大英博物館に有り、その部分的なコピーが嵌められている。それでも、彫られた人や馬の劇的な造形は、ギリシャ時代の繁栄の様子を目の当たりにするような荘厳さを感じさせる。さすがに大建築であるから、大屋根を、中央に柱を置かずに石造りとすることは、無理であった。つまり、屋根そのものは、当時は木造であり、現代では⻘天井である。
テル・アビブ空港での通関検査は、とても厳重なもので、沢山の質問や入念な荷物検査があり、通過するのに 2 時間以上もかかった。私は詳しい学会の説明をし、発表の予行演習をしたようなものだった。聴いている人が、理解できないことを説明するのはとても難しい。そばには、機関銃を手に持った兵士が、鋭い目つきで警戒している。この空港では、日本人の赤軍派の男が銃乱射事件を起こして、沢山の人が亡くなっており、同国人は特に警戒対象になっていたようだ。
やっとのことでエルサレムに着いてみると、近代的な落ち着いた雰囲気の街であり、未来的な印象さえあった。戶建て住宅もアパートも、同じ石材で統一的に作られている。妻は、建築事務所に飛び込んで、色々、聞きまくっていた。異国からの突然の客にも、結構、愛想よく応対してくれた。イスラエル建国後に造られたという新市街は、狭い地域であるが、欧米の住宅街のように、植裁が多く、閑静な環境である。
街の中心は、旧市街と呼ばれる所。嘆きの壁という大きな石の壁の前で、黑ずくめの服装に身を包み、聖書を片手に、ときに身をよじらせてお祈りをする人たちが、印象的であった。彼らは、ユダヤ教の正統派と呼ばれ、特に信仰心の厚い人たちだという。一生の間、髪や髭を切らずに、⻑くしたまま束ねており、黑い帽子をかぶっているので、一目でそれと分かる。徴兵されない特権もあるそうだ。
ユダヤ教徒の嘆きの壁のすぐ近くに、イスラム教徒の金色のモスクもあり、キリスト教徒の教会もあり、それぞれの聖地が隣り合った形で存在している。賑わっているのは、市場と、古い石造りの集合住宅群がある地域である。新市街のそれと違って、密集しており、ゴミが目立ち、緑は無い。
この市場兼居住区は、4つの区画に分かれており、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてアルメニア人が、互いに接しながらも、分かれて暮らしている。アルメニア人は、 自分たちがノアの箱舟が漂着した地から発したと信じており、世界最初にキリスト教を国教としたことに誇りを持っている。
異なる4つの⺠族が、仲良くしながらなのか、いさかいを起こしながらなのか分からないが、狭い区画に同居する大変な所だと思った。4つもの⺠族、宗教、歴史、言語が交錯している。それが日常となり、平和であるならば、素晴らしい所ともいえる。現在(2024年)、イスラエルとパレスチナの間では戦闘が続いており、あの辺りはどのようになっているのか、想像がつかない。
学会最後の日は、バケーションで、世界最古の都市の遺跡ジェリコ、古い要塞の丘であるマサダ、ヘロデ王の宮殿、ゲディの泉、それに死海を巡るツアーがあった。どこも、砂漠というか土漠というか、全く草木が無いのが異様であった。どうして、このような地に古い文明が栄えたのか、分からなかった。繁栄の当時は緑があったのに、その後に、水が関係する土壌の変化が起こったのだろうか。ゲディの泉が名所であるのは、水が特別に貴重であったことの表れだ。
私は、この泉の名所で、ヘブライ語では、泉をアインと呼ぶことを知った。ゲディの泉は現地語でアインゲジという。長男の名前は愛印と書いて ’あいん’ と呼ぶ。アインシュタインにあやかって付けたものだが、ドイツ語では、一を Ein というので、’はじめ’ という積りでもあった。それが、「寺川 泉」に相当するのだ。妻の旧姓は泉であったので、その偶々の成り行きが楽しかった。二人目の子は、ドイツ語では、Zwei ツバイになってしまうので、それは採用せず、あいうえお 順に、イオン(偉温)と命名した。
ツアーで一番印象に残ったのは死海である。死海の塩分濃度はすさまじく(海水の 10倍)、ちょっとでも眼に水が飛ぶと猛烈に痛くなる。すぐに、岸にある水道で洗い流さないと、どうしようもない。顔を水に漬けないように水面に仰向けになろうとするのだが、浮力が強く、お尻側が浮こうとするので、身体がうつ伏せ方向に回転し、まったく安定しない。観光案内パンフレットにある写真のようには、楽に浮いていられない。どうにも落ち着かないものだ。とうてい泳ぐことはできない(写真3)。観光客は皆、水着になっているわけだが、その使用目的は、体についた塩水を洗い落とすためのプールで遊ぶため、ということになる。
死海といって「海」の字を当てているが、その大きさは湖サイズである。ヨルダン川が、北から流れてきて、海抜 −430 m の低地に下り、流れ出る先の川が無くなって溜っているうちに、水が蒸発してしまうのだ。海面より低い土地は、気温が高くなり、その分、湿度が下がることになる。乾燥のため、死海の湖岸には、いくつもの塩の柱ができている。鍾乳石が成⻑するのに似て、水が湖岸の土に滲み上がって蒸発し、そこに塩を残すという形で成⻑するのだ。いかにも、古風な服装をした人の形に見える柱もあり、その中に「ロトの妻」という名前の付いたものがある。
学会終了後、空港の在るテル・アビブに戻るときは、ホテルでタクシーを予約してもらった。ほぼ時間通りに現れた車に乗って、しばらくすると、道はいつの間にか荒れ道になっており、辺りは少し砂漠のような雰囲気である。近道でもしているのかと思っていると、車は止まってしまった。どうしたのかと驚いていると、どこからか⺠族衣装の男が現れ、助手席 に乗り込んでしまった。運転士とヘブライ語で喋っており、知り合いのような感じであった。 さては、このまま、我々を拉致してどこかへ連れていくのかと疑った。周りに助けも無いし、諦めの境地になった。
ほどなく車が走り出すと、直ぐに対向車のある道路に戻り、街に入ると、同行の人物は大人しく降りて行ったので、胸を撫で下ろした。おそらく、知り合いをただで運んだのであろう。一時は、脅されるのか、はたまた、殺されるのかと、冷や汗ものであった。離陸する飛行機内では、轟音と共に、身体がシートに強く押し付けられる。その力で、私たちは現代に戻って行けるのだというような、深い安堵の心地を味わった。
彗星とその爆発
地球外からの天体が、地球の大気圏に入ると、その飛行速度は地上のどの物体よりも高速になる。それは、地球の重力で引っ張られて加速するからということもあるが、地球と地球外天体が邂逅する前の、それぞれの運動座標系(慣性系)が全く異なるからでもある。両者の運動速度と方向 (宇宙速度)が偶然に一致することはあり得ない。つまり、衝突するときの相対速度は、偶然に縛られており、どんな高速にもなりうるのである。
したがって、飛来物は、大気圏に接したときから、必ず空気との激しい摩擦を起こし、1万度ほどの高温にもなり、外表から溶け始める。そして、十分に大きくないものは蒸発・気化して無くなり、大きなものだけが地表にまで達して衝突し、クレーターを造る。前者は火球や流れ星となり、後者は隕石となる。
高温になった飛来物は、ときどき、別の最終形態をとることがある。すなわち、地上に達する前に、空中爆発をすることがあるのである。現代の眼で見て、間違いなく天体の爆発現象であるとされている例はいくつもある。
1908年、シベリアのツングースカで起きた天体の大爆発では、広範囲にわたって、森林の木が、燃えることなく、根元から同じ方向になぎ倒されていた。ある場所では、木々は、垂直に立ってはいたが、ほとんど丸焼けになって焦げていた。その辺りには、衝撃石英や微小なガラス粒(マイクロテクタイト)が多数発見された。地球にはほとんど存在しない炭素系の鉱物も発見されていて、飛来物は隕石とされている。落下の中心地と思われるところに大きなクレーターは無く、小さな湖だけがある。これらのことをうまく説明できるのは、隕石が地上に衝突する前に、空中で爆発し、地上に強い爆風をもたらした、とする考えである。
2013年には、ロシア南⻄部のチェリアビンスクの街で、天体の空中爆発が起きた。白昼、 突然、市街地全域で、大衝撃音が複数回起こり、数千ものビルの窓ガラスが割れるという現象が起こった。ガラスの破片が飛散して、1,500人もの人々が負傷した。眼が閃光で眩んだ人や、耳に高圧の衝撃を受けて一時的に難聴になった人もいた。死者は出なかった。車のドライブ・レ コーダーによって、空に、何らかの物体が飛行したと思われる、線状の雲が残っているのが撮影された。市街地 の外では、いくつもの小さな隕石が見つかっている。詳しい調査によれば、天体の推定の大きさは、直径 20 m 。飛行速度は 18 km/s 。爆発時の高度は 30 km 。放出されたエネルギーは、原爆30個分という。天体の飛来が予測できなかったのは、天体が昼間にやってきたからである。つまり、太陽の方向からということだ。太陽以外の天体は、ほとんど日中には観測できないのだ。地球から遠い所で、太陽の向うに回り込み、帰りの軌道が地球に交差したのである。
2018年には、ベーリング海の上空 25 km で、飛来した小惑星が爆発した。大きさは 10 m 程度。大気圏への突入速度は 10万 km/h (= 30 km/s)。成層圏を 1 秒以内に通過したと推定される。誰も 目撃者はいなかったが、誰かが、夜間、見ていたとすれば、空に流れ星のような光が走るのを見ることになったであろう。流れ星は、1 秒以内(あっという間)に現れては消えるので、通常、願い事をする十分な時間が無いのである。この時の流れ星は、最後に空中で爆発したので、消える前にひときわ明るく輝いたはずである。
誰も目撃者は居なかったが、核爆発探知装置が、微気圧振動(超低音)を検知した。さらに、日本の気象衛星ひまわりが、上空から同時刻に観測をしており、爆発に伴う粉煙の発生を捉えた。爆発の規模は、広島に落とされた原爆の10倍程度と見積もられている。大気圏に突入する速度があまりに速いため、急激な温度上昇で、爆発が起こるものと思われる。私は、この海域を旅行者として訪れたことは無いが、アメリカやヨーロッパへの渡航では、飛行機で何度も通過している。
ソドムの壊滅
死海の直ぐ北側、ヨルダン川東岸に、タル・アリ・ハマム(ハマムの丘)という遺跡がある。 古代の街の跡であるが、今ではそこは、完全な廃墟で、石が乱雑に積み重なった丘のようにしか見えない。考古学の研究者だけが訪れる所で、観光地にはなっていない。イスラエル側から行くことはできず、当時、私は、その存在を知る由も無かった。
最近になって知ったのだが、どうやら、その場所が旧約聖書の「創世記」にあるソドムの街だという。ソドムの街の人々は、神をあがめぬ退廃的な生活ばかりをしていたため、神が怒り、空から硫⻩の火を降らせて、一瞬にして滅ぼしたという。予言者アブラハムの甥で正直者のロトとその家族だけは、お告げが有って助けられた。
街の破滅に先立って逃げ出すことができたロト一家であったが、ロトの妻は、神が、逃げる道で後ろを振り返ってはならない、と告げたにも拘わらず、後ろを振り返って街の姿を見たため、塩の柱にされてしまった、という。退廃的な生活に未練を残したというのであろう。話は続き、ロトと二人の娘は助かったが、逃げた先の土地には泉が無く、塩気の多い土地であったため、とても厳しい生活となり、家族は全く増えなかった。よい男性が現れることなく、しかたなく、ロトの娘たちは、父と交わって子を産むしかなかった。そのようにして生まれた息子ら 2 人が、⻑い時を経て、やっと、家系を増やし、2つの新しい⺠族の祖となったという。
奇妙な話だが、考古学的には、⻘銅期の後半の 700年間は、ヨルダン川一帯は、人が消えたように、出土品が出ない空白期になっているのだという。彗星の空中爆発のため、死海の水が周辺に広く飛び散り、農耕や牧畜ができなかったことが想像される。聖書には、ゴモラという街も記されている。それは、ソドムの近くにあった別の小さな街で、今も発掘が続く廃墟の一つのようだが、どれであるかは分かっていない。
2021年、ある論文が発表された。紀元前 1700年頃、死海北方に天体が飛来し、空中爆発し た形跡があるという説が提唱されている。スチーブン・コリンズを中心とするアメリカとヨル ダンのグループの研究成果である。彼らは、この地域にあるタル・アリ・ハマムの廃墟を発掘調査しているときに、ロシアのチェリアビンスクの天体爆発のニュースに遭遇し、街が廃墟になった原因として、上空での飛来天体の爆発という現象が、最も適切であることに思い至ったという。
この地には、ヨルダン川に沿う死海の谷という低地はあるものの、いわゆるクレーターは無い。しかし、研究チームは天体の飛来が、ソドムの壊滅をもたらしたと結論している。紀元前 1700年頃、⻘銅器時代が始まってまもなく、推定直径 700m の天体(小惑星か彗星)が、死海北部の上空で空中爆発したとすると、クレーターはその地に無くても、大破壊は起こった可能性がある。 ちょうど、広島に原爆が落とされた時のように。
タル・アリ・ハマムの発掘現場では、衝撃変性石英や微小なガラス粒など、ツングースカ大爆発の地に見られたものと類似のものが、見つかっている。陶器の一部には、その表面に溶融ガラス層ができているものが見つかるという。⻘銅器時代の中期では、ガラスを溶かすほど高温になる炉はできていなかったので、その高温は、自然災害によるものとしか考えられない。
候補は、雷撃か隕石である。雷撃の場合は、大電流が流れるので、残留磁気というものが 被爆物体に残される。廃墟に残された溶融遺物には、そのようなものは残っていないことが確認された。そこで、高温の原因は、隕石衝突かその爆発ということになる。高温の痕跡だけでなく、家屋の跡は、屋根が圧し潰され、室内の物が、部屋の一方向に吹き飛ばされたように、偏 った位置に掘り出されるという。研究者たちは、この廃墟こそが旧約聖書の「創世記」にある ソドムの街に違いないと結論している。聖書には、「硫⻩の火が降った」と書かれているそうだが、硫⻩の元となる火山は、中東のこの地域には見当たらないので、天体爆発の方がもっともらしい壊滅原因である。聖書は、人類が初めて目撃した天体と地球との衝突現象を文字として記載した、最初の書物なのかもしれない。
塩の街
少し違和感があるのは、ソドムの街と退廃的な市⺠の物語である。なぜ、人々は神が怒るほど退廃的だったのか。聖書は、単に、退廃的な生活を戒めるために、架空の街の物語を作ったのだろうか。私は、そうは思わない。おそらく、ソドムには、沢山の裕福な人々が暮らしていたのだろう。ロトは、羊飼い(shepherd = sheep herder) である。羊飼いは、迷える羊(人々) を導く仙人かもしれないが、決して裕福になれるわけではない。それに対して、ソドムの多くの人々には裕福になれた理由があったのでは? 鍵は、その街の名前にあるのではないか?
「ソドム」が私の頭の中で渦を巻き始めた。「ソドム」で、何か思い出せないか? 私は、風呂に漬かりながら、30分以上、考えた。老成したお前は、色々知っているはずだ。どこかに似 たものが、あったはずだ。死海は、塩の濃度が高すぎて、魚は棲めない。それゆえに「死の海」という。ソドムは塩に満ちた死海のすぐそばにあった街なのだ。
塩。英語で salt。ドイツ語ではSalzという。モーツアルトの生誕の街は、ウィーンの近くの Salzburg (塩の砦)である。その名称は、近くに岩塩が採れたことに由来する。ドイツ語の 名詞は頭が大文字で書かれ、S の発音はザと濁るが、英語とドイツ語の発音は、大体、近い。 だが、英語の salt の発音はソドムにはまだ遠い。ソドムは、日本語(および英語)のソーダ(曹達=炭酸水素 ナトリウム)に似ているのでは? ソーダ水は、レモン水に重曹を混ぜて炭酸ガスを発生させ、 それを溶かし込んだ水のこと。苛性ソーダは水酸化ナトリウムのこと。つまり、ソーダはナトリウム(原子記号: Na)の英語名で、sodium のことだ。英語では、Na のことをソーディアムと発音するのだ。私は、かつて、この語を毎日のように使っていたではないか。
神経細胞の生理学を研究していたとき、Na イオンは、中心的な課題であった。ついでに、 カリウム(原子記号: K)は、英語では、potassium (ポタッシアム: ポットに残る灰)という。 これもよく使っていた。塩(しお)は NaCl で、塩が水に溶けると Na+ と Cl– の2つのイオンとなる。Na イオンは、ヒトが生きるのに必須のものである。米、パン、麺、芋の栄養素である糖分も、肉や豆腐などのタンパク質の栄養素であるアミノ酸も、腸から吸収されるには Na イオンがなければならない(共輸送体というものが働かない)。また、全身の細胞、特に神経と筋肉の細胞には Na イオンが絶対に必要である。それが無ければ、神経も筋肉も全く働かない (細胞膜電位の信号が作れない)。Na イオンが無ければ、尿は毎日風呂の浴槽ほどの量が出てくる(尿細管での水の再吸収低下)。逆に、汗も、涙も、唾も、ホルモンも、全く出なくなるのである。ここから、ソドムの人たちが、裕福になったであろう理由が想像できる。
ソドムは sodium と同じなのだ。つまり、塩の街。Sodium の ium は、元素といった意味の接尾辞なので、塩を表す部分は、やはり sod の部分だけで、ソドムのムは音合わせには不足しているかもしれないが、結局、sod, salt, Salz は同じものを表していることは、間違いない。 Sod であれば、Sodm にした方が、語の最後に唇が閉じるので、発音しやすい。あるいは、kingdom、dominion、 domestic などに使われている dom 、つまり境界の内側を意味するような語が、sod に繋がって sodom になったのかもしれない。
死海には、自然にできた塩の柱が何本も立っている。人々はそれを取ってくるだけで、周辺の砂漠に住む人々に、さらに、その先の多くの国々に、塩を高く売ることができたはずである。労少なくして、ほゞ純粋な塩を簡単に手に入れることができたのだから、裕福にならない筈がないではないか。ほとんど、遊んで暮らすような自堕落な生活になったとしても、自然のなりゆきであろう。
この第3章を書き終える現在、2025年の8月になっているが、イスラエルはパレスチナと3年に亘る戦争を続けている。ガザのパレスチナ人は、イスラエルの封鎖と攻撃によって、食料不足と爆弾に苦しんでいる。国際社会は何も有効な手を打つことができずにいる。イスラエル人は、かつてのドイツにおけるユダヤ人に起こった悲劇を、どのように記憶しているのだろうか? 3700年前に、神の手で滅ぼされたこの地で、今は、人の手による破壊が止まらない。
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