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【寄稿E】[11]映画評:トルコ映画『扉』(Kapi) 遠藤幸英
時代への提言 | 2024.08.28

©︎Y ,Maezawa

映画評

『扉』

遠藤 幸英

トルコ映画

『扉』( Kapi

(2019年)

Directed by NİHAT DURAK
Cast: Kadir İnanır, Vahide Perçin, Aybüke Pusat, Timur Acar, Erdal Beşikçioğlu, Menderes Samancılar
2019 / 110 min. / with English subtitles

出典:https://www.bostonturkishfilmfestival.org/2020/films/kapi-the-door.html

動画:https://www.youtube.com/watch?v=M_j357i909k

(人生の入口と出口)

誕生から死へ

魂の遍歴

©︎Y ,Maezawa

トルコは日本人の目には特異な存在だ。幾分かヨーロッパ的に見えていながら、アジア、正確には西アジアの国である。実際、(首都アンカラの3倍の人口を抱える)大都市イスタンブール)を南北に縦断するボスフォラス海峡は東西文化(キリスト教徒イスラム教)の交差点と言われてきた。

にもかかわらず宗教的、文化的混淆の地域でありながら、13世紀末に建国されたオスマントルコ帝国のイメージがあまりに大きすぎてついついイスラム文化圏と思われがちである。だが、2千年の歴史を遡ると、それはキリスト教の誕生の時期にあたる。

キリスト教は今現在ニュースメディアに頻繁に取り上げられるイスラエルとパレスチナの軍事衝突の地エルサレムに登場したキリストの教えが東方に広がりはじめる。まずトルコのほぼ全域を占める(俗に「小アジア」よばれる)アナトリア地方(古代の奇怪な岩の居住地と気球による観光で有名)で信仰勢力が強まり、次に伝播の方向が西方へ転じてギリシャ、ローマへと向かった。イスラム教が定着するまではユダヤ教徒キリスト教徒が大多数だった。

アナトリアは世界三代宗教たるユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の共通の始祖とみなされるアブラハム(イブラーヒーム)アナトリアの南東部の出身である。現代の宗教対立が不思議に思えるほど当時のトルコは信仰が重層的だった。

さて前置きが長くなってしまったが、トルコ映画『扉』はイスラム化したトルコでは極めて少数派で長らく迫害を受けてきたアッシリア系キリスト教との家族が主人公である。

老夫婦が1組(ヤクップとシェルサ)。彼らは幼い子供を連れて25年前ガスト・アルバイター(出稼ぎ労働者)としてドイツ、ベルリンに渡ったが長い移住生活に区切りをつけて余生を故郷の村(トルコ南東部マルディンの郊外)で過ごそうと帰国する。老夫婦には孫娘(ナルディン)が同行する。ドイツで生まれ育った孫娘には何もかもが珍しい。

老いの安らぎを求めて郷里に戻った老夫婦だが、村は(ドイツに出稼ぎに出かけてしまったせいか)ほとんど空き家ばかりだった。それに何よりショックだったのは元の自宅が廃屋然としているばかりか木工細工師だった老人と(渡独前に行方不明になった)長男が精魂込めて仕上げた自宅の玄関扉が消失していたことだった。老夫婦の憔悴は激しい。

失意の日々を送る老夫婦に更なる悲劇が追い討ちをかける。ある日警察から長期間行方が知れなかった長男の遺骨らしきものが近郊の廃村の古井戸で発見されたと連絡が入る。DNA検査の結果遺骨は長男のものだと判明する。

両親らがドイツに去った後孤立無援で木材工芸の文化を継承しようと虚しい努力を続けることに疲れて長男は自殺したらしい。古井戸の闇に向かって泣き叫びながら老母は息子が必死で助けを求める声が聞きとれなかなかったと激しく悔やむ。老父もまた25年前自分の血の中に生きる木材工芸の伝統を継承しようと今は亡き息子とともに汗を流した日々が思い出され痛恨の念に苛まれる。

そんなある日村に売り物になりそうな工芸品などを買い漁る男が現れる。この男、古物買取りを表向き看板にしてどうやら盗人稼業もしているらしく、老父はこの男が扉を盗んで他所へ売り飛ばしたのではないかと疑い始める。老人は男を扉探しの旅に無理やり引き摺り込む。男の取引先を手がかりに扉の行方を突き止めようという狙いである。地元マルディンの古美術商で入手した情報を元にくだんの扉が遠く離れたイスタンブールの私設博物館に展示されていることを知る。車で15時間以上かかる長旅だ。当然男は拒否する。しかし男から偶然預かることになった古代ローマの金貨をカタに運転を引き受けさせる。金貨は男が(盗品だと承知で買いとった)古美術商から転売を頼まれたものなので警察に持ち込まれると自分が窃盗罪で逮捕される。ようやく扉を目にすることができた老人だった。

だが、ここでまた問題が発生。博物館でその扉の所有権を主張しても信じてもらえない。当然だろう。けれど神は彼を見捨てなかった。扉の「鍵」を老人の手元にあったのだ。実はこの鍵、25年前に村を離れてからいつか帰郷した時のためにと老妻が肌身離さず守り続けていたのである。トルコに戻った際、妻はその鍵を家父長たる夫に手渡していた。

結末で扉は元の玄関口に取りつけられる。しかし問題は盗難事件の解決という事態ではない。キリスト教を信仰するアッシリア系トルコ人にとって「扉」は民族の魂の棲家への入口なのだ。同時に死後の魂がたどり着くべき神の世界に向かって開かれる出口(入口)なのだろう。すでに亡くなっている一家の長男を含め老夫婦の一族全員になくてはならない安息の場所を象徴するのが重厚な彫刻を施した「扉」なのである。

10年ほど前の統計によると、主人公である老夫婦のようなアッシリア人はトルコ国内に約2万4千人。トルコの周辺国、イラク、シリアには50万人前後が在住。レバノンが20万人。そして一見不可解だが、スウェーデンには15万人。これは1970前後に起こったこの北欧の国での経済成長が外国人労働者を必要としたためらしい。移民の国らしく合衆国は在住者が50万人に上る。このほか東アジア、アフリカを除く世界各地にアッシリア系の住民が暮らす。

皆が皆それぞれの形で祖国に想いを馳せ、民族の魂を培っているのだろう。偶然見つけた映画だが、人間にとって魂がいかに大切かをしみじみと思わせてくれる映画だった。

(編集: 前澤 祐貴子)

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