お知らせ

記憶が切れ切れに始まったのはいつからだろうか…
忘れる年代に入ると その始まりすらおぼつかなくなる
それでも 今でもしっかりと刻まれている自覚ある記憶は 5歳だろうか
それが 早いのか遅いのかは わからない
それは
誕生日のキャンドルを吹き消し プレゼントに少し大きめの人形を抱いた時
薄明かりの中 突然 降りてきた

「ひとは死んだらどうなるの?」
「話している私は どうなるの?」
ひとつ 歳を重ねたとはいえ まだ5歳…
続く先に幸あれ と祝われた直後 稲妻のような疑問だった
「死んだら 私はどうなるの?」
「私がいなくなる ということは 私はどこにいるの?」
しつこく聞き続ける私に 親は言った
「いい子にしていたら死なないよ」
笑
まかれた私は まかれている奇妙な違和感を感じつつ そこで 思考を止めた
つまり 考えてもわからないことなんだ… と

この場面は 時々 思い出す
そして 幼き日の自分を客観視してみる
今でも疑問であるこの問いが 解けない問いであること
いや 考えてもわからないこと
いや let it beにするべきこと
いや とにかく 無になること…しかわからない
古今東西 避けては通れぬ この関門をくぐり抜け 歴史に登場した全人類は 消えていった

さて
この生きている間、
自分を認識している間、
これは 永遠の無に前後を挟まれた 天文学的に奇跡的な刹那である

「チャンスを掴む」と言うが…
生きていること自体が 既に 大いなるチャンスのただ中だ
その上で 何を選ぶかなど
極上の「おまけ」であり 醍醐味でしかない

(記: 前澤 祐貴子)