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【寄稿F】青春の噴水、人生は神田川のように ー『五十年目の俺たちの旅』論 吉田未明 
時代への提言 | 2026.04.13

青春の噴水、

人生は神田川のように

──『五十年目の俺たちの旅』論


『俺たちの旅』は青春ドラマだった。

しかし青春は永遠ではない。

五十年目にして、ついにドラマは終わった。

吉田未明

(ある内科医のペンネーム)


1.五十年前と変わらぬ噴水

2026年2月12日(木)。井の頭公園の噴水は、五十年前と変わらず水を噴き上げていた。

2026年2月12日、聖地巡礼。 

井の頭公園の噴水は、五十年前と変わらず水を噴き上げていた。噴水は高低差による水圧を原動力に、いつまでも水を噴き上げ続ける。しかし人はやがて老いる。だから人は、「一生青春」ではいられない。

『五十年目の俺たちの旅』のラストシーン。思い出の井の頭公園に三人が集まる。

赤いシャツのカースケ(中村雅俊)、赤いベレー帽のグズ六(秋野太作)、赤いズボンのオメダ(田中健)。

かつて連続ドラマでは、中村雅俊の私服がそのまま衣装となり、下駄も普段履きのものだったという。ところが今回の三人の衣装は、明らかにスタイリストが用意した借り物だ。舞台衣装のようで、現実感がまるでない。

中村雅俊監督は、「五十年目」もなお「一生青春」の物語として締めくくるため、還暦(生まれ直し)を思わせる赤い衣装の三人にカーテンコールをさせたのだろう。

しかし監督の意図とは裏腹に、私には三人が幽霊のように見えた。

今回のストーリー上、三人はまだ生き残っているので「六十年目」を制作することは可能ではある。しかし天国から盆帰りしたような三人の姿を見ながら、私は「終わったな」と思った。

「五十年目」にして、ついに「俺たちの旅」は終わったのだ。

もちろん、私がそう感じたのは思い入れが強すぎたせいもある。

予告編でオメダがカースケに問いかける。

「人生最後になって、本当にやりたいことって何か、考えたことあるか?」

私は今回の映画を、「俺たち」の三人がその問いの答えを見つけ、それぞれの人生に決着をつける物語なのだろうと期待していた。

もしかすると、期待しすぎていたのかもしれない。


2.青春ドラマの金字塔『俺たちの旅』

1975年に始まったテレビドラマ『俺たちの旅』は、三人の若者の友情を描いた青春群像劇である。

主人公・津村浩介(カースケ)はバスケットボール部のキャプテンで、すぐ熱くなる性格からその名がついた。彼の信条は「その日その日が楽しくなければ、一生が楽しいはずがない」。安定より「今」を選び続ける、怖いもの知らずの青年だ。

一方、オメダこと中谷隆夫は、口癖が「オレはダメだ」であることからそう呼ばれる青年。バスケット部では万年補欠で、想いを寄せる洋子(金沢碧)はカースケに惹かれている。父のいない家庭で育ち、料亭を営む母(八千草薫)と妹・真弓(岡田奈々)に支えられてきた、頼りない「ダメな兄貴」である。

だからこそ彼の中には、いつか自立し、父の代わりに母を支えたいという思いが強く根を下ろしている。自由に生きるカースケに憧れながらも、振り切れずに揺れる姿は、多くの視聴者自身の立場でもあった。

そしていつもグズグズしているグズ六こと熊沢伸六は、なぜか女性には縁があり、どこか憎めない。年上らしく時折核心を突く言葉を口にするが、決して達観した存在ではなく、二人と同じく迷いの中にいる。

もともとこのドラマは、学生運動敗北後の「モラトリアムの時代」に始まった。成熟へ向かうオメダと、それを自己欺瞞だと拒むカースケ。その決着をつけないこと自体が当時の倫理であり、限界だった。

連続ドラマ最終回、三人がヨットで漂う場面は未来への船出というより、不安と戸惑いに満ちたモラトリアムの象徴だった。

カースケは自由な気持ちのまま生きられるのか。

オメダは自立できるのか。

答えは示されないまま物語は終わり、だからこそ続編が作られ続けたのである。


3.自由と責任 ― 十年ごとの再会

スペシャルドラマは十年ごとに作られた。

「十年目の再会」「二十年目の選択」「三十年目の運命」。

十年ごとに三人が再会し近況を報告しあう、まるで同窓会のような構造だ。

ここで「同窓会」という場の空気を思い出してほしい。

たしかに久しぶりに会えば楽しい。だが同時に、そこでは互いの人生を比較するような空気が漂う。誰が成功したのか、誰が幸せなのか。無意識のうちに互いの人生を測り合ってしまう。

オメダにとってカースケは、親友であると同時にライバルでもあった。

オメダの妹・真弓は「十年目」でこう言う。

「あの人を幸福にしてやれば、カースケに勝てるんじゃないかって思ったんじゃない」

オメダは父に捨てられ、母と二人で暮らした幼い頃の経験から、同じ境遇にある佐伯弓子(永島暎子)とその息子を支えようとする。ひとりで自由に世界中を飛び回って活躍しているカースケに対抗して。

カースケの生き方は、生をそのまま肯定しようとしたニーチェ的思想だ。

しかし、とオメダは思う。

「いい加減に生きてるカースケが、どうしてちゃんと生きていけるんだ?」

ニーチェは自由を神や道徳からの解放として肯定したが、サルトルは自由に伴う責任の重さを強調した。オメダは「自由には責任が伴う」という倫理の側からカースケを超えようとした。その後、家庭に戻り、米子で市長となり、社会的責任を引き受けながら生きていった。

続編のオメダは着実に成熟へ向かっていったのである。


4.青春ヒーロー・カースケの破綻

ここで、カースケの人生を振り返ってみよう。

十年目、世界中をひとりで飛び回るビジネスマン。

二十年目、宮前精工の社長に就任。しかし、もう一度自分らしく生きるため、妻子を置いて単身マジョルカ島へと旅立つ。

三十年目、帰国して、ひとり徳島で船の修理工として暮らしている。

一貫して、ひとりで「一生青春」を貫き、自由に楽しく生きている。

連続ドラマ第26話。

港湾労働のアルバイトでカースケは、植村辰己(植木等)というベテラン作業員と出会う。年をとっても自由奔放に見える植村に、カースケは自分の理想の将来像を重ねる。意気投合した二人は、オメダも一緒に酒を酌み交わす。

しかし翌朝、植村はオメダの財布を盗んで姿を消す。植村は、実際には酒と競馬に溺れ、家族にも見放された男だったのだ。カースケは激しく失望する。

後日、植村は改心し、これまで仲間の日当をピンハネしていたことを謝ることにしたとカースケに語る。半殺しにされると分かっていながらも謝罪に向かうその姿に、カースケは再び心を動かされる。

彼は植村とともに土下座し、一緒に袋叩きにされた。

やはり人は「一生青春」ではいられないのだ。

いつか責任を果たさねばならない時がくるのだ。

ところが続編以降、カースケは自由の代償を払おうとしない大人になってしまった。

「三十年目」。学校でいじめに遭い心を閉ざした長男・直也がカースケを訪ねてくる。直也は海に飛び込んで自殺を図る。

ここで驚いた。

カースケは直也に

「人生は他人のせいにするな。人生を楽しいものにするのは、自分の力なんだよ。必死で生きれば誰かが手を差し伸べてくれる!」

と叫びながら、自ら飛び込まないのだ。

かつてのカースケは、言葉より先に体が動く男だった。仲間のために殴られるのもいとわぬ、無茶な、身体で生きる青年だった。それなのに、憧れの青春ヒーロー・カースケは、飛べない大人になってしまっていた。

今回の「五十年目」でも、カースケは叫ぶことしかできない。

男性社員に叫ぶ。

「助けてやるのが仲間だろ!」

退職しようとした女性社員(水谷果穂)に叫ぶ。

「負け犬で終わっていいのか!」

オメダを生家に還らせてやってくれと、オメダの妻(左時枝)に叫ぶ。

「世の中のしきたりや常識や、未来の不安や、そういうものと戦って生きてきました。」

カースケは若い社員や仲間の家族に大声で訴え、人生を語る「青春ドラマの先生」のような存在になってしまった。叫ぶことしかできない大人になってしまったのである。

しかしカースケはこの映画の主役である。だから脚本家・鎌田敏夫は、植村辰己(植木等)のようにカースケを打ちのめすことはできなかった。

だが、カースケというキャラクター自身は、自分の人生をどう思っていたのだろう。

映画冒頭、亡き洋子の気配に取り憑かれた真弓が拳銃でカースケを撃とうとする。本編では未遂に終わるが、私にはカースケが「撃たれても本望だ」と覚悟したように見えた。

肉体性を失ったカースケというキャラクターに残ったものは、亡き洋子への想いしかない。洋子に殺され心中するという結末は、カースケにとって最後の望みだったのではないだろうか。


5.カースケの「男の友情」

カースケは友情を最優先する男だった。ではなぜ彼は、職場の仲間や家族から離れて、ひとりで自由に生きる道を選んでしまったのか。

カースケはハリウッド映画の伝統を受け継ぐ古典的ヒーローなのだ。

彼の価値観の底には、内田樹の言う「アメリカン・ミソジニー」が潜んでいる。

西部開拓時代に定着し、ハリウッド映画に受け継がれた説話原型がある。

「女は必ず男の選択を誤って『間違った男』を選ぶ」

「それゆえに女は必ず不幸になる」

「女のために仲間を裏切るべきではない」

「男は男同士でいるのがいちばん幸福だ」

『俺たちの旅』も同じ構造を持っている。

洋子も真弓も、『間違った男』を選んだ結果、離婚し不幸になったと描かれる。

カースケにとっては、男だけが仲間なのだ。男の友情に亀裂を生み出す女は邪魔者であり、カースケは女を、「神聖で暖かく包み込んでくれる母」と、それ以外の存在という二分法でしか捉えられない。

今回の映画でも、カースケは「オメダを生家に戻す」という答えを選択する。

それはオメダを「母のもとへ還す」という発想であり、きわめてホモソーシャル的な解決だ。

なぜオメダの妻や娘の人生も含めて、家族全体の幸福を考えることができないのか。

悲しいかな、カースケはいかにも古くさいヒーローのまま、何もアップデートできていないと言わざるを得ないのだ。


6.オメダの選択

連続ドラマではいつも「オレはダメだ」と落ち込んでばかりのオメダだったが、「十年目」以降はカースケから「卒業」し、責任を引き受ける道を選んできた。

十年目、佐伯弓子(永島暎子)とその息子を支える。その後カースケとグズ六に助けられ、妻子のもとに帰る。

二十年目、妻・小枝子(左時枝)の実家で働き、米子にしっかり根を下ろしたオメダは、市長選に立候補し当選する。

三十年目、三期目の選挙の際、弓子との関係が怪文書として出回るという危機にさらされたが、それでも病気になった弓子の息子を助けたいと尽力する。市長選は無事、再選を果たす。

今回「五十年目」では、そんなオメダが仕事も妻子も捨てて、神楽坂の生家に還りたいという。

これは自分の自由を何よりも優先させたいというカースケの論理であり、卒業後のオメダの人生とはつながらない。カースケもグズ六も、「十年目」のようにオメダを妻子のもとに帰らせようとするのが当然なのだ。

だから、オメダを生家に還そうと娘を必死で説得するカースケを制して、オメダが思わず叫ぶ場面は良かった。

「もういいんだ!」

この瞬間、私は思わず身を乗り出した。

ついにオメダが、カースケの思想を振り切るのではないか。

神楽坂ではなく、米子へ戻るのではないか。

それこそが、オメダが五十年かけて辿り着いた成熟なのではないか――そう思った。

ところが映画では、オメダは娘に平手打ちされ、生家に還ることになって終わる。

これには、どうしても納得できなかった。


7.「人生最後になって、本当にやりたいことって何か考えたことあるか?」

もう一度、最初の問いに戻る。

「人生最後になって、本当にやりたいことって何か考えたことあるか?」

オメダの答えは「生家に還ること」だった。

ではカースケの答えは何だったのか。

映画は最後、井の頭公園駅の伝言板に書かれた

「会いたい、カースケに」

という文字を満足げに見るカースケの姿で終わる。

やはりカースケは、洋子のもとへ旅立ちたかったのではないか。

カースケはもう死ぬしかなかったのだ。

考えてみれば当然かもしれない。カースケはずっと「今」を生きる男だった。人生の意味を先に決めてしまうのではなく、その日その日を自由に生きることを選び続けてきた。

「人生最後にやりたいこと」という問いは、人生を振り返り、何を選び、何を引き受けて生きてきたのかを問う、成熟した人間の問いである。

その意味で、仕事も妻子もすべて中途半端に投げ出してきたカースケは、この問いに答えることができない。

カースケは青春の象徴として生き続けた。

しかし「一生青春」のままの人は、「人生最後の問い」に答えることができないのである。


8.もし私が書くなら――『父帰る』

そんな想いをこめて、「五十年目の俺たちの旅」を改変してみた。

「三十年目」から引き続きカースケは、徳島で一人暮らしを続けていたが、徐々に身体が弱り、生活が苦しくなってきた。

ついに東京の妻子のもとへ帰るのだが、息子・直也は拒絶する。

「自分の人生を他人のせいにするな」

「三十年目」でカースケが直也に言った言葉だ。

カースケは、介護施設の理事長をしているグズ六を訪ね、その施設の職員として働かせてもらうことになる。

そんなある日、グズ六がカースケに告げる。

「洋子が生きてる!」

二人が、洋子の住んでいるという場所に向かう。そこは神楽坂にあるオメダの生家だった。

洋子に取り憑かれた真弓の世話をするため、オメダは神楽坂の生家に二人で暮らしていたのだ。

真弓を通じて亡き洋子と話すカースケ。

二人は思い出の地、鳥取に向かう。そして、そのまま帰ってこなかった。

ラストシーン。

年老いたグズ六とオメダが井の頭公園で久しぶりの再会。

そこに死んだカースケの幽霊も現れ、三人がそろって、Fin。


9.さらば青春

ラストシーンで流れるのは小椋佳の『ただお前がいい』である。

また会う約束などすることもなく

それじゃまたな と別れるときのお前がいい

この歌を永遠の友情の歌と捉える人もいるだろう。

だが私は、もう二度と会えないかもしれない友人と別れ、現実や責任を受け入れて成熟していこうとする決意の歌のように感じる。

鎌田敏夫は「一生青春」という物語を書きながら、小椋佳の歌詞が常に「さらば青春」という成熟の倫理を漂わせていたからこそ、『俺たちの旅』は名作となったのだろう。

小椋佳は銀行員という安定した職業(現実)と、歌手という表現活動(夢)を両立させた。多くの人はそのような人生を送れるわけではない。しかし誰もが、さみしくても青春の終わりを受け入れ、成熟した大人としての責任を引き受けながら、日常を生きていくしかないのだ。

友情は美しい。

しかし友情とは、相手を自分の世界に引き止めるものではない。

相手が選んだ人生を認めること。

たとえその道が、自分とは違う方向へ続いていたとしても。

映画ではオメダは神楽坂へ向かってしまった。

しかし連続ドラマ第一話で、真弓が言っていた。

「お兄ちゃんの家出は、100メートルも行かないうちにすぐ帰ってきちゃう」

だから私は思う。今回もまた、彼はどこかで立ち止まり、引き返したのではないか。

神楽坂ではなく、米子の家へ。

友達のもとではなく、責任のある場所へ。

川の流れにのって。


2026年2月12日(木)

井の頭公園には神田川の源流があった。

その流れは東京の街を抜け、隅田川へと合流し、やがて海へ向かう。

 
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