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[老成学事始] Ⅲ 「老」という言葉の背後 森下直貴 
活動の実績 | 2020.09.24

「老」という言葉の背後   

            森下直貴

老成学では、「老」とは人生後半の50年を指し、「若」とは人生前半の50年を意味する。人生100年時代では、人生の前半をどのように生き、そしてその延長線上に後半の50年をいかに老いるかが、一人ひとりに問われている。これから「老人の成熟」について考えてみることにするが、その前に「老」「死」などの言葉(句)に視線を向けておきたい。そこには人生50年時代の常識がたっぷり沁み込んでいる。その点の確認と洗い出しから始める必要がある。


最初に「老若男女」という常套句をとりあげる。これは、人の世が男女(性別)と老若(年齢差)の区分からできているという常識に基づいている。これはもちろん典型的な二分法だ。「男女」については今のご時世、非難のハッシュタグがつきそうなものだが、現時点ではそういう動きはない。それに対して「老若」の方はどうか。これまで「老」の時期はせいぜい10年程度だったから二分法といっても「若」がマジョリティだった。しかし、人生100年時代、ようやく本来の二分法らしくなった、いや、むしろマジョリティが逆転する勢いである。人々はいま男女の区別には敏感になっている。老若の区別はどうなるか。


次は「生老病死」である。これは仏教由来の句であり、この世の「苦」をもたらす人生のイベントを示している。その中で「生」の解釈にはが幅がある。つまり、「誕生」と「誕生から老いる前までの生」の両義がある。通常、後者の方が幅広く、妥当だと考えられるようだ。しかし、この句で注目すべき点はそこではない。「生」「病」「死」はくっきりとした輪郭を有している。ところが「老」の方の影は薄いというところだ。この背景には人生50年時代の常識がある。


三つ目に「生前、死後」をとりあげる。この句について誰しも聞き覚えがあろうが、その意味するところは案外に複雑である。

先に「死後」に注目すると、これは文字通りには「死んだ後の世界」である。死後の世界をいかに捉えるかの違いはあるにせよ、意味としては分かりやすい。問題は「生前」のほうだ。


「生前」という言葉は、「故人が生前たいへんお世話になりました」という挨拶にしばしば登場する。この文脈での「生前」は、内容的には「死ぬ前の世界」を意味すると考えられるが、文字通りにはどうも収まりが悪い。むしろ「誕生前」と解した方が的確のように思う。しかし、「誕生する前にお世話になった」というのも理解に苦しむ。それがもし本当なら、「生前」とは「前の世界」つまり「前世」のことでなければならない。だが、そうなると漢字をあえて倒立させた理由が分からない。


考えだすと困惑することになるのだが、この対句もじつは仏教に由来する。日本仏教では「人は死後、仏になる」。仏とは悟った人のこと、悟るとは一切の欲を捨てることである。では、どうして死者=仏か。一切の欲を捨てるとあらゆる苦しみも消える。たしかに死ぬと欲も消滅する。それゆえ、死者=仏という等号が成り立ったと考えられる。さらに、その背景には古代の「魂」の捉え方がある。


ところで、死者=仏はどこにいるのか。生者が死後に行く世界、つまり「来世」や「あの世」は、苦が消えたから極楽の世界、欲がなくなったから浄土の世界と観念されてきた。往生した死後の極楽浄土の世界に視点を置くと、そこから眺められた死ぬ前の欲に塗れた世界は「生前」となる。

要するに、死後の世界は新たな生の世界、死ぬ前の世界は旧い生の世界である。このように対句の背後では死のイベントを境にして新生と旧生が対峙している。老成学の視点から注目したいのは、この「生死」の二分法では「老」の場所がないことである。「生前」には「老」の余地がない。仏教では「老」が積極的に位置付けられていない。これも人生50年時代の常識の産物である。


以上、「老」「生」「死」をめぐって、言葉の背後に横たわる常識を洗い出してみた。最後に、この回の締めくくりとして、まとまった話は次回に譲ることになるが、老成学が捉える死後の世界について描いてみよう。それはあるのかないのか。あるとしたらどのような状態としてあるのか。


死後の世界、つまり老人が死んだ後に行くことになる世界とは、どこか遠くにある世界ではない。次の世代である若い人々が生きて活動する世界であり、その中に先代である老人の活動の跡が刻み込まれている。だから老人は、その活動が刻み込まれた形で死後の世界に生きていることになる。こう考えるなら、やがて死者となる老人が探求すべきことは、次世代の若者のために何を残すのかということでなければならない。人生前半の50年は先代から受けついだものを発展させる時期であり、後半の50年は次の世代に何を残すかを意識して活動する時期である。死生観もこの線上でとらえ直される必要がある。次回に続く。

 
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