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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿B】教育者 岡本肇シリーズ > 【寄稿B】《12》 「福沢諭吉の心訓」 西遠女子学園 学園長 岡本肇
福沢諭吉の心訓
西遠女子学園 学園長
岡本 肇
長く一万円札の顔として親しまれてきた福沢諭吉は 慶應義塾大学の創立者であり 文明開花の先導者として 「西洋事情」、「学問のすすめ」、「文明論文概略」などを書いた啓蒙思想家でもあった。
福沢諭吉は 幕末に豊前(大分県)中津藩の下級士族の子として生まれた。
父 百助は 大阪の蔵屋敷に勤番していたが 諭吉が3歳の時に病死してしまう。母から「お父さんはいつも この子が大きくなって 十か十五になれば お寺にやって 坊主にすると言っていたから もし生きていれば お前は坊様になっていたはずじゃ」と聞かされていた。
諭吉は 何故 父親が自分を坊主にしようとしたか 考えた時 門閥制度で生まれながらに身分が決まってしまっている時代に 僧侶ならば 身分に関係なく 出世出来る という親心から 父は 自分を坊主にすると言ったのだろうと 思い至った。
「父の生涯、四十五年のその間 封建制度に束縛せられて 何事も出来ず、 空しく不平を呑んで世を去りたるこそ 遺憾なれ。またこの行く末をはかり これを坊主にして 名を成さしめん とまでに 決心したる その心中の苦しさ、その愛情の深き、私は毎度 この事を思い出し 封建の門閥制度を憤ると共に 亡父の心事を察して 独り 泣くことがあります。私のために 門閥制度は 親の敵(かたき)で御座る。」
と「福翁自伝」に書いている。
百助は 身分は低くても 勉強家で 死後に家族が借金に困った時 その蔵書千五百冊を売って 生活の足しにした位 本があった。この親の向学心の血統と封建制に対する反骨精神が 諭吉の思想と人間を作ったのだ と思う。
世に 福沢諭吉の心訓 という七つの教えがある。諭吉の書いたものではない という説もあって 真偽のほどはわからないが 誰にでもわかる 易しい言葉で 人の道を明確に示している。
(一)この世の中で 一番 楽しく立派なことは 一生涯を貫く仕事を持つことです。
(ニ)この世の中で 一番 美しいことは 全てのものに 愛情を持っていることです。
(三)この世の中で 一番 尊いことは人のために奉仕して 恩に着せぬことです。
(四)この世の中で 一番 醜いことは他人の生活を羨むことです。
(五)この世の中で 一番 惨めなことは人間として 教養がないことです。
(六)この世の中で 一番 悲しいことは嘘をつくことです。
(七)この世の中で 一番 素晴らしいことは常に感謝の念を忘れないことです。
言葉は易しいが 意味を理解しようとすると なかなか難しいように思う。
自分が歳をとるにつれ 違った解釈が出来るのは 人間そのものの見方が変わってきているからだろうか。
「一番楽しく立派なことは 一生涯を貫く仕事を持つことです。」
諭吉は生涯 政府への仕官を断り続けたが、その功労を称えたいと言った時「車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をこしらえて 書生は書を読む というのは人間 当たり前の仕事をしているのだ。その仕事を 政府が誉める というなら まず 隣の豆腐屋から誉めてもらわねばならぬ。」と 言って 断った。この言葉は「学問のすすめ」で「自ら 労して 自ら 食らう は 人間の独立の本源なり」と言っている通り。車屋でも 豆腐屋でも 職業に貴賎はなく どんな仕事でも それで身を立てれば 立派だ というのである。
日本には 昔から 「籠に載る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という諺があって 籠に乗る身分の高い人も それを担ぐ雲助と蔑まれた籠かきがいなければ 乗れない。籠かきも 草鞋がなければ 担げない。その草鞋は 農家の夜鍋仕事で 作られ 「二束三文」の言葉通り 安物の代名詞だった。そんな安物でも 丈夫だ、履きやすい、疲れない と評判が立てば 草鞋作りの名人になる。
「他人の生活を羨むことは 醜いことです」
「学問のすすめ」の中で 「不善の不善なる者は 怨望の一箇条なり。(中略)その不平を満足せしむるの術は 我を益するに非ずして 他人を損ずるに在り」と言っている。
羨むことが 何故醜いか というと 自分が努力して 向上するかわりに 他人を引きずりおろして喜ぶからである。西洋の諺に 「他人の不幸は蜜の味」と言うように 人の幸せを羨む心の裏には 人の不幸を喜ぶ醜さが隠れている。週刊誌の見出しを見ると 芸能人の離婚、政治家の失脚、王室のスキャンダルなどが多い。そのような話を好む人が多いから 売れるのである。
江戸時代の名僧 盤珪禅師を敬慕した盲人が「賀詞には必ず愁声あり、弔辞には必ず歓声あり」と言ったそうだが 目が言えない人だからこそ 心の声が聞こえてしまうのだろう。恐ろしいことである。
「惨めなことは 人間として 教養のないことです。」
「理非の理の字も知らず 身に覚えたる芸は 飲食と寝ると起きることのみ その無学のくせに 欲は深く 目の前に人を欺きて 巧みに法を逃れ (中略) 己の職分の何物たるかを知らず。(中略)いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者」と言っている。「学問のすすめ」の本題の通り 学問をすることで 教養を積む大切さを示しているが 「学問とは ただ難しき字を知り 解し難き古文を読み」といった「世情に実のなき」ものではなく 「専ら勤べきは 人間 普通日用に近き実学なり」と言っているから 教養と言っているのは 今の言葉で 常識 と言っていいだろう。
大人として 社会人として 一通りの礼儀作法や言葉遣いをわかっていないと 自分が恥をかいていることもわからないから 惨めである。「みっともないから」、「恥ずかしいから」やめておこう という感覚を支えているのが常識である。人間として 恥じる という感覚がないのは 惨めである。
「悲しいことは 嘘をつくことです。」
何故 嘘が悲しいか 考えてみると 人間は自分を信用する人しか騙せない ことである。
信用していない人は いくら上手く嘘をついても 騙せないのである。嘘は 自分を信用してくれている人を裏切ることだから 悲しい。
そして 最も悲しいのは 人間は自分に嘘をついて 騙すことである。一度 自分で立てた計画も 決心も それをやめる言い訳は 自分に対して山ほど思いつく。その結果 計画とか決心は 梅雨時の塩の山のように 崩れやすい。自分で自分が信用出来なくなれば 人間はいい加減になってしまう。
自分で自分を信じられることを 自信 といい、人から信じられることを 信用 と言うのだ。
諭吉の心訓は 思えば 子供の頃から 身近にあった。
小学校の時 教室に紙に書いて貼られていたこともあったし 温泉地の土産物屋で 手拭いに書かれて売られていたこともあった。公民館で木版に彫られ飾られていたこともあった。
その割に 心訓について 説明されたことも 解釈を聞かされた覚えもない。
考えてみれば その時その時 年代に応じて 自分で咀嚼して吸収してきたのだと思う。これからも また 違った味を味わえるだろう。
(編集: 前澤 祐貴子)
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